カーネーション 120話 優子は心斎橋で独立を希望

連続テレビ小説(朝ドラ)『カーネーション』
本放送:2012年2月24日(金)放送
再放送:2014年8月22日(金)放送
第21週 第120話 「鮮やかな態度」
花言葉の花「ルドベキア」

『カーネーション』第21週 第120回
「鮮やかな態度」あらすじ

優子は北村が持っている心斎橋の店舗物件で自分の店をはじめたい、独立させてほしいと言い出しました。北村からの融資を受けて開業資金を調達する話しまで相談をまとめている優子。

糸子はオハラ洋装店の看板を譲るつもりで準備していたことを告げるものの、優子の気持ちを帰ることは出来ません。岸和田では自分のやりたいことが出来ない、それを我慢するのは生きながら死んでいるようなものだと優子は主張。

命より大事な看板を譲ると言ったのに北村の物件のほうがいいと言われたことが悔しくてならない糸子でしたが、優子の独立を認める決意をする糸子。店の開業に集中しろとオハラ洋装店から優子を追い出す形で糸子は娘の独立を見届けました。

聡子が一人前になるまでの間は店主でいられることに内心ほっとする糸子。年が明けて昭和40年(1965年)元旦。三姉妹が揃った小原家、東京の店をやめてパリに行くと言い出す直子は、正月早々優子と大喧嘩をはじめるのでした。


『カーネーション』第21週 第120回
「鮮やかな態度」感想

糸子、看板を譲るつもりでいたのに優子まさかの独立宣言。思えば糸子は二つの点で時代の変化に追いつけなかったのかも知れません。一つは自分の生業の流行に追いつけなくなったこと。

今ひとつは「命より大事な看板」を譲られるということに、最早優子の世代は価値を見いだしていないのかも。代々受け継がれた看板よりも立地。特に流行を追う商売をしている以上、立地がもの言う時代のはず。

これが呉服屋のままであれば優子も有り難く看板を譲り受けたのかも知れません。そんな看板の価値観の変化にも気付いていなかった糸子。北村に負けたと悔し泣き。北村でなく時代に負けたのかもです。

話しが前後しますが独立を宣言した時の優子の言葉が力強く素敵でした。「東京で店を一軒流行らせる力つけて帰って来た。岸和田では自分のやりたいことが半分も出来ない。それを我慢しながらここにいるのは生きながら死んでるようなもん」

今、「オハラ洋装店」のモデルとなった「コシノ洋装店」は岸和田商店街に記念館のような残し方をしてあるそうですが、優子の言う通りもし看板を譲られて満足していたら歴史は変わっていたかもです。

東京・銀座、言わば日本一の激戦区での商売に挑戦しそれを成功させた経験。その経験で鍛え抜かれた慧眼が、オハラ洋装店の近未来の姿を見せたのでしょう。

「あんた、もう帰り、仕事の邪魔や、とっとと先進め、準備は片手間に出来ない、やるならそっちに集中し、うちとこはあんたなんかいなくてもどないでもなる」

体育館の裏に呼び出されカツアゲされるの図、みたいですが一度は看板を譲ることを宣言しながらそれを取り消し娘の独立の背中を押すにはこんなやり方しかた残されていない。優子にもそれは通じたようです。

一方で直子は店をやめてパリへ。正月早々の優子と直子の大喧嘩の中、聡子はひとりニコニコしながらテレビに夢中。久しぶりにマイペースの姿が見れました。

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