花子とアン 136話 従軍作家・宇田川の報告

連続テレビ小説(朝ドラ)『花子とアン』
2014年9月4日(木)放送
第23週 第136話 「アンとの出会い」

『花子とアン』第23週 第136回「アンとの出会い」

1939年(昭和14年)初夏。宇田川が従軍作家として赴いていた戦地から帰国し、花子が働いているラジオ局に現れました。戦場で兵士たちが戦う様子をラジオを通じて報告することになったのです。その様子を満足そうに見守る漆原。

放送の後、かよの店で宇田川の帰国を祝う会が開かれました。従軍作家として体験したことを得意げに語る宇田川の姿を惚れ惚れと見つめていた醍醐は、従軍記者として戦場に赴くことへの憧れを募らせてゆきます。

その頃、龍一は釈放され宮本家に戻って来ました。しかし、龍一が憲兵に捕まったことで隣近所からは非国民扱いを受ける宮本家。父と考え方を異にする純平は龍一と激しく対立。家族の間がギクシャクする中、龍一を見捨てないでくれと浪子は蓮子に頭を下げます。

1939年(昭和14年)秋。ヨーロッパで第二次世界大戦が始まった頃、スコットが花子のもとを訪ねて来ました。カナダに帰国することを報告したスコットは、花子にとって運命の出会いとも言える一冊の本を花子に渡すのでした。


『花子とアン』第23週 第136回 「アンとの出会い」感想

戦地に赴く直前の宇田川先生は、彼女には似合わない(または似合いすぎる?)軍服みたいな色の衣装を着せられてちょっと気の毒でしたが、今日の衣装はかつては恋愛小説家だった宇田川先生らしかったかもです。

宇田川先生らしい衣装が恋愛小説家が従軍作家になってしまう時代の空気を良く現していたと思います。リアルで従軍作家、従軍画家として戦地に赴いた方々のお名前を見ていても特に異常な人でなく時代の空気から逃れることができなかったのでしょう。

一方、龍一くんの活動の詳細は劇中では語られないようですね。リアルの宮崎氏の活動は民間の小規模なものではなかったわけですが、もし龍一くんの活動もリアルと同様のものだとしたら純平くんに責め立てられるのは気の毒かもと思ったことでした。

でも、リアル宮崎氏と同様の活動だとしたら、家族といえども簡単には口外できない内容なので、純平くんに責め立てられても説明も出来ず、父としてはつらいところですね。そんな父の孤独が垣間みられるいい表情してました、今日の龍一くん。

そんな時代の中、梶原さんが村岡家を訪問。翻訳ものはもうやめるとの由。やめる理由が統制があったからとかそういうことでなく、商売にならないから。人々が求めなくなってきたようです。

実際、この頃から英字の排斥が激しくなったようですが、最近初めて知ったのですが英字の排斥は法的根拠のあるものでなく、人々が熱くなり過ぎてそんな空気が出来上がったとか。だから軍隊の中でも外来の部品は英語の名称のままだったと言います。

そして、ついに「運命の出会い」。でも、今回は最後の最後にチラッと出ただけなので「運命の出会い」という仰々しさがありませんでしたね。明日盛り上げるのかな?それとも、それを花子が運命と感じるのはもっと先になってからの話しなのでしょうか。

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2 Responses to “花子とアン 136話 従軍作家・宇田川の報告”

  1. しげさん より:

    戦時の柳原白蓮の様子を探してみました。
    http://shosuzki.blog.jp/archives/9805276.htmlによれば、
    1942年、東大生の出征に際し、宮崎龍介と柳原白蓮が日章旗を贈ったそうです。
    白蓮が 「きみ征きて 祖国安泰なり 君が征く 東亜の空に 栄光うまるる」 と筆で書き、宮崎も「武運長久 祝入営」と書いているそうです。
    これによれば、柳原白蓮も宮崎龍介も当時の一般的な日本人の行動をとったということです。つまり、ドラマとは異なり実際の2人は反戦ではなかったということです。

    • hublog より:

      貴重な情報ありがとうございました。
      お二人ともあの時代としてはごく普通の価値観を持っていたんですね。

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