森野熊虎の父祖は会津藩の武士、モデルは網元ではない?【マッサン】

朝ドラ『マッサン』82話(1月8日放送)で、森野熊虎(演:風間杜夫)は自身の父と祖父のことについて言及。熊虎は実在の網元をモデルにした人物ではなさそうです。

森野熊虎の父祖は会津藩の武士、モデルは網元ではない?

当ブログでもこれまで二度ほど森野熊虎のモデルや熊虎とニシン漁の関わりについて記しました。しかし、1月8日に放送された『マッサン』82話で熊虎は自分の父と祖父が刀と土地を取り上げられ津軽海峡超えを余儀なくされた会津藩の武士であるとマッサンに説明。

会津を追われ余市に入植した熊虎の父と祖父は、余市入植後はリンゴの苗木を一本一本植えるところからこの土地の生活を開始。しかし、やっと実らせたリンゴの果実は台風ですべて落とされ家が借金を抱えたため、熊虎は家を出たとこれまでの経緯が語られました。

熊虎の父祖が語られるまで、熊虎は余市またはその周辺に実在したニシン漁で財を成した大網元がモデルになっていると思い種々調査を続けてきましたが、熊虎のモデルはどうやらそういった大網元ではなさそうです。

森野熊虎の父祖・会津藩士と、大網元の父祖

熊虎の父祖は会津藩の士族。父と祖父は恐らく戊辰戦争で幕府側だったことの流罪で余市に入植した会津藩士だったのでしょう。一方で、余市で財を成した大網元の初代はヤン衆(出稼ぎ漁師)の叩き上げです。

今は小樽の高級旅館として知られる銀鱗荘は、かつては大網元・猪俣家が余市に建てたニシン御殿。猪俣家の初代・猪俣安之丞は出身が越後で、漁場の手伝いからの叩き上げ。余市に保存されている旧余市福原漁場の福原家の初代・福原才七もヤン衆の叩き上げです。

ところで福原家は二代目が大時化で出来た借金のために漁場を売却。その後、漁場は二つの家を経て最後に川内藤次郎が所有。川内家はリンゴ園経営なども手がけて凶漁を乗り切り、昭和60年まで旧余市福原漁場を住まいとしていたそうです。

というわけで、熊虎のモデルは大網元ではなさそうです。しかし、猪俣安之丞の「猪」が熊虎の「熊」と「虎」の動物つながり。また川内家がリンゴ園経営も手がけたことなども熊虎のキャラクター造形に取り入れたのかも知れません。

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2 Responses to “森野熊虎の父祖は会津藩の武士、モデルは網元ではない?【マッサン】”

  1. ※※靖彦 より:

    大変面白く読みました。史実に寄り添うように語られながら、家族、地方、会社、国が生き長らえることが、共感をよぶように感じました。僕はニッカで技術継承が役割だと受け止め生きましたが、若い社外の友人が政孝像をクリエイティブに語ってくれました。それが共感を呼ぶ実像に育つことを知りました。余市に生きる熱意ある人たちに触れ、余市創生の架け橋になれないかと念じています。お力を貸してください。

    • 朝蔵(あさぞう) より:

      コメントありがとうございます。
      また昨日、別途メッセージを頂きありがとうございました。微力ながらお役に立てれば幸甚に存じます。

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