森野熊虎の借金とニシン漁の歴史【マッサン ネタバレ注意】

朝ドラ『マッサン』で、マッサン一家はついに北海道余市へ。早速、かつて世話になった森野熊虎に挨拶するものの、様子がどこかおかしい熊虎・・・

森野熊虎の借金、ネタバレ注意

マッサンは北海道余市に到着後、ただちにニシン漁網元・森野熊虎のニシン御殿に挨拶しに行きます。余市でウイスキー工場を建てるに当たり必要となる人脈の紹介を熊虎に請うマッサン。俺に任せておけと親分肌の熊虎は威勢良くマッサンの頼みを快諾。

早速、紹介された人たちをマッサンは訪問。しかし行く先々で熊虎の名前が出るや否や、門前払いを食らわされたり、頼みは全く聞いてもらえなかったりと思いがけない反応。そんな中、熊虎はマッサンに金を貸してくれないかと言い出します。

自分の下で働くヤン衆たちに大盤振る舞いし、ウイスキーが一本も売れずに困り果てるマッサンの姿を見るに見かねて、ウイスキーを不味いと言いながらも全部買い上げてくれた熊虎に一体何が起こったのか。

ニシン漁の歴史

かつてマッサンが余市に来た時、熊虎のニシン御殿は大漁に湧いていましたが、その後は凶漁続き。熊虎は多額の借金を抱え経済的に困窮していたのです。

さて、森野熊虎を通して垣間みることが出来るニシン漁の栄枯盛衰の歴史を簡単にまとめてみます。北海道西海岸で和人による本格的なニシン漁がはじまったのは江戸時代。その頃、ニシン漁は松前藩によって規制されていたものの明治に入って規制撤廃。

明治30年(1897年)にニシン漁の捕獲高はピークに。網元は数日漁に出ればその後一年遊んで暮らせるほどだったと言います。そんな中、不眠不休で働くヤン衆たちが眠気覚ましに歌ったのが「ソーラン節」の由来になったという説もあるようです。

しかし、ピークに達したニシンの捕獲高はそれ以降は減少傾向に。特に昭和に入ってからの余市でのニシン捕獲高激減は著しく、大正15年(1926年)に4万トン超だった捕獲高が翌年の昭和2年には半分以下の1.4万トン。昭和4年にはわずか6トン。昭和10年はついに0に。

森野家の困窮

マッサンが北海道余市に移住し、森野熊虎の異変を知ったのが昭和7年。ニシンの捕獲高が乱高下を続けていた時期に当たります。これが森野家を経済的に追い詰めていたのです。

朝ドラ『マッサン』劇中では、借金まみれになった森野熊虎が余市の人たちから煙たがれる場面が描かれるようです。その理由はまだ明らかになっていませんが、借金で不義理を重ねたと予想しています。それほど困窮していたということなのでしょう。

また、森野家はついには土地家屋を手放さざるを得ない事態に陥ります。しかし、余市の「敗者復活の町」という夢を託した土地家屋はマッサンに売却。マッサンは土地家屋とともに熊虎の夢をも引き継ぎ、理想のウイスキーづくりがいよいよスタートです。

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