余市のリンゴの歴史/森野熊虎と西田進のルーツ【マッサン】

森野熊虎の義理の弟・西田進の農家が栽培している余市のリンゴ、そして熊虎と進のルーツ「会津」について、当ブログの過去記事への案内を交えてまとめました。

森野熊虎と西田進のルーツ「会津」

会津の男として矜持を質す進に対して、自分は会津を捨てたと突き放す熊虎。余市では戊辰戦争に破れた旧会津藩士が明治4年(1871年)に余市に入植。対立する熊虎と進の会話の中に出て来る「会津」とはこの時の歴史を語っているものと思われます。この歴史については以下の記事に概要をまとめました。

熊虎と会津藩、余市、そしてリンゴの関係とは を読む >>

旧会津藩士が育てた余市のリンゴ

さて、熊虎の長女・長男が出荷を手伝っている余市のリンゴ。このリンゴは、熊虎と進のルーツ・旧会津藩士が苗木から育てたものです。

旧会津藩士が余市に入植したのと同じ年、アメリカから「KING」という品種のリンゴが日本に導入され、北海道開拓使が明治8年(1875年)に北海道内で苗木の無償配布を開始。余市でも500本が配布されたものの、当時困窮を極めていた農家には関心の対象外。

苗木は畑の片隅や庭先に植えられたもののその大部分は枯死したと言われています。そんな中、旧会津藩士の赤羽源八と金子安蔵という人物はリンゴ栽培の努力を重ね、ついにリンゴの結実に成功したのが明治12年(1879年)。

赤羽源八が実らせた品種は後に「緋の衣(ひのころも) 」という品種名がつけられ、余市を代表するリンゴの品種となりました。

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