朝ドラ『まれ』製菓指導・辻口博啓パティシエの受賞歴まとめ

朝ドラ『まれ』製菓指導・辻口博啓パティシエのコンクール受賞歴と、各コンクールの概要をまとめました。

希が夢見る「世界一のパティシエ」とは?

NHK連続テレビ小説『まれ』のヒロイン・希が目指すのは「世界一のパティシエ」。単なるパティシエではなく「世界一の」パティシエです。一体「世界一のパティシエ」と普通の「パティシエ」はどう違うのか。

「世界一のパティシエ」を具体的にイメージ出来るよう、朝ドラ『まれ』で製菓指導を受け持たれる「世界一のパティシエ」辻口博啓氏の実績をまとめてみました。

尚、「パティシエ」という職業については以下の記事に記しましたのでご覧ください。

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ヒロイン・希の職業パティシエとは

朝ドラ『まれ』製菓指導・辻口博啓パティシエの実績まとめ

▼1985年 18歳の時に石川県七尾市より上京し、田園調布のパティスリーに入店。
入店したパティスリーは「レピドール」。しかし実家の和菓子屋「紅屋」の倒産で呼び戻され3ヶ月で退店。しかし再度上京し「ラ・リスボン」に入店。

▼1990年 全国洋菓子技術コンクール 優勝
同コンクールの通称は「スプラウト」。ルールは極めてシンプルで、直径21㎝の円の中にお菓子をつくる。そのお菓子は見た目の美しさのみを競い、味覚は審査の対象外。

辻口氏は3回目の挑戦で優勝を獲得。2回目の挑戦だった前年には銅賞受賞。尚、優勝の副賞で辻口氏は初の渡仏を経験しています。

▼1992年 50周年記念全国洋菓子技術コンクール 総合優勝
▼1993年 東日本洋菓子コンクール マジパン部門 優勝
50周年記念全国洋菓子技術コンクールで2度目の優勝を目指すものの、渡仏後に入店した「オーボンヴュータン」のシェフにコンクール参加を反対され退店。

建築現場作業員を経て「センチュリー・ハイアット・ホテル」にパティシエとして迎えられる。勤務後の厨房で訓練を重ねて1992年、1993年のコンクールで連勝を果たしました。

尚、1993年の「マジパン」とは粉末のアーモンドと砂糖を練り合わせてペースト状にしたものです。この「マジパン」で造形物を創り、見た目の美しさを競います。

▼1994年 コンクール・シャルル・プルースト 銀メダル受賞
フランス菓子の職人たちのコンクール。出題だれたテーマに応じたケーキ(アントルメ)と飴細工(ピエスモンテ)を作り、造形と味の美を競います。主催はサンミッシェル協会。

▼1995年 クープ・ド・フランス・インターナショナル杯 優勝
飴細工(ピエスモンテ)だけのコンクール。辻口氏が優勝を勝ち取った「インターナショナル杯」と、本国フランス人だけによる「フランス杯」の二つの部門があります。

▼1996年 ジャンマリー・シブナレル杯 3位優勝
チョコレートのワールドカップという異名を持つコンクール。異名の通り、日本の予選を勝ち抜き、フランスの決戦に挑みます。

▼1996年 ソペクサ コンクール 優勝
翌年、優勝を果たすクープ・ド・モンド、英訳するとワールドカップの日本予選。フランス大使館が主催しコンクールの正式名称は「フランス食材を使ったプロのためのフランス菓子コンクール」。

参加には10年以上の菓子職人としての経験が必須とされ、筆記試験と実技試験によってフランス大会、すなわち「クープ・ド・モンド」参加者が選抜されます。

▼1997年 クープ・ド・モンド 個人優勝
フランス菓子のコンクールの最高峰。朝ドラ『まれ』のヒロイン・希も、世界一のパティシエが夢ですが、このコンクールかこのコンクールをモデルにした劇中オリジナルのコンクールが登場するかも知れませんね。

▼1998年 モンサンクレール 開店
「クープ・ド・モンド」優勝の実績により、出資者を得て出店するのが夢だった自由が丘の地に辻口氏のパティスリー「モンサンクレール」を出店。

朝ドラ『まれ』のヒロイン・希も、物語後半で自分の店を持つに至るそうですが、辻口氏のような展開になるのでしょうか。

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