竹鶴政孝、リタ夫妻の墓所/マッサン、エリー夫妻・モデルの死

朝ドラ『マッサン』主人公マッサンとエリー夫婦のモデル、竹鶴政孝・リタ夫妻の墓所についてまとめました。

IN LOVING MEMORY OF RITA TAKETSURU

『IN LOVING MEMORY OF RITA TAKETSURU ・・・(竹鶴リタを偲んで)』

ニッカウヰスキー余市蒸留所と余市川が一望できる美園町の丘の上に、上記の文字が刻まれた墓石が建てられたのは、威氏によればリタさん没年の翌年の昭和37年。竹鶴氏の著書によれば昭和40年。

昭和36年(1961年)1月17日に亡くなった竹鶴リタさんの氏を、竹鶴氏は深く悲しみリタさんが亡くなってから二日間、葬儀の準備の一切を養子の威氏に一任し部屋に閉じこもったままだったと伝えられています。

出棺の時、家の玄関を出る棺を繰り返し撫で続けていた竹鶴氏は火葬場には姿を現さず、孫が拾ったリタさんのお骨を香炉に納めると、納骨までの間、その香炉を自室床の間に安置していたのだそうです。

竹鶴政孝氏逝去

それほどの深い悲しみの中で建てた墓石にはリタさんの名前とともに自分の名前も一緒に刻ませました。生前墓の場合、通常なら墓石に刻んだ名前には朱を入れるものですが、竹鶴氏はそれを許さず、残すは自分の没年月日を刻むだけの状態で墓石を完成。

その後竹鶴氏は、工場敷地内から墓所のある美園町の丘の方角に向かって手を振ることはあっても、墓参はあまりしなかったとの由。竹鶴氏にとってリタさんの墓参はあまりに悲し過ぎたのかも知れません。

その竹鶴氏も昭和54年(1979年)8月29日、肺炎で逝去。リタさんが亡くなってから18年後、竹鶴氏はリタさんのもとに旅立つのでした。

『マッサン』劇中で描かれる墓所

『マッサン』最終回、エリーの死後につくったウイスキー『スーパーエリー』は名誉ある賞を受賞。授賞式の式典後、老マッサンはウイスキーのボトルとグラスを二つ携えてエリーの墓前にその旨を報告。

そのウイスキーの完成はもとより、今日ここまで来れたのはエリーの支えあってこそ。老マッサンは涙をこらえて何度も何度も墓石となったエリーにありがとうと呼び掛ける場面が最終回の結末近くで描かれるようです。

尚、その場面の一部のビジュアルはすでに公表されていますが、墓石の裏側に『IN LOVING MEMORY OF ・・・』の文言はないようです

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