竹鶴リタの葬儀とリタ幼稚園/『マッサン』エリー・モデル

朝ドラ『マッサン』ヒロイン・亀山エリザベス(エリー)のモデル、竹鶴リタさんの葬儀についてまとめました。

昭和36年(1961年)1月17日、竹鶴リタさん逝去

竹鶴リタさんは昭和36年(1961年)1月17日早朝、64歳の時に肝硬変で亡くなりました。マッサンこと竹鶴氏は長年連れ添った最愛の妻の死を深く悲しみ、葬儀は養子の威氏と当時の工場長にすべてを任せ、火葬場にも顔を出さなかったと伝えられています。

さて、この記事では竹鶴氏が威氏と工場長に任せた竹鶴リタさんの葬儀の模様について、その概要をまとめてみました。

竹鶴リタさんの葬儀を取り仕切った吉岡一牧師

時は竹鶴リタさんが亡くなる前年の12月に戻ります。リタさんが自宅で療養されていたクリスマスイブの雪の降る夜のこと。威氏は窓の外から賛美歌の声がするのに気がつきました。余市教会の吉岡一牧師と数名の信者が竹鶴家の庭で歌っていたのです。

理由を訪ねると「リタさんのお加減が悪いと聞きましたので見舞いに」との返答。

さて、リタさんは生前、リタさんの回復を願って賛美歌を歌ってくれた吉岡一牧師に会いたがっていたのだそうです。それを知った威氏は当時の工場長とともに吉岡一牧師を訪問し、余市教会にリタさんの葬儀を依頼。

葬儀は竹鶴家にて執り行われました。竹鶴家の周辺には100メートルにもわたって花輪が並び、葬儀が終わり出棺の際、竹鶴氏は玄関を出て行く棺を、別れを惜しみ撫で続けていたと伝えられています。

竹鶴リタさんの葬儀の後、リタ幼稚園

リタさんの葬儀の一切を任せた吉岡一牧師に、竹鶴氏は謝礼の申し出をするものの吉岡一牧師はそれを辞退。竹鶴氏は謝礼の代替として、その頃、老朽化がすすんでいた教会と教会付属の幼稚園の移転の援助をすることで両者は合意。

移転先の土地取得と建物新築にかかる費用720万円のうち120万円を竹鶴家が寄付。その寄付金はリタさんの遺産であったことから、建て替えられた余市幼稚園はその名称をリタ幼稚園に変更。名称変更は葬儀の翌年の昭和37年(1962年)のことでした。

リタ保育園?

ネット上では「リタ保育園」をリタさんゆかりの保育園とする情報も存在します。「リタ保育園」という名の保育園も実際に存在しますが、同保育園は竹鶴リタさんとは関係がありません。同保育園関係者の方に直接その旨をご教示頂きました。

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