あさが来た 主要登場人物と商店・企業・団体の実在モデルまとめ

NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『あさが来た』主要登場人物と、各キャラクターの実在モデルの人物名及び解説を本ページにまとめています。

このページの関連記事

このページの目次

各キャラクターの実在モデルの人物名をクリックすると解説欄に移動します。ただし、お使いのブラウザとスマホによっては移動しない場合があります。

ヒロイン夫婦【広岡夫妻

今井家(ヒロイン生家)【三井家、京都の豪商・油小路三井家(小石川三井家)

白岡家(ヒロインの嫁ぎ先)【広岡家、両替商「加島屋」

眉山家【大阪の両替商「天王寺屋」

  • 眉山はつ(ヒロインの姉)・・・・・・・・・大眉春
  • 眉山惣兵衛(はつの夫)・・・・・・・・・・大眉五兵衛
  • 眉山栄達(惣兵衛の父)・・・・・・・・・・大眉?
  • 眉山菊(惣兵衛の母)・・・・・・・・・・・大眉?
  • 眉山藍之助(はつの長男)・・・・・・・・・大眉?
  • 眉山養之助(はつの次男)・・・・・・・・・大眉?
  • 眉山達夫(養之助の長男)・・・・・・・・・大眉?

その他の登場人物

  • 五代友厚(あさを叱咤激励する師)・・・・・五代友厚
  • 福沢諭吉・・・・・・・・・・・・・・・・・福沢諭吉
  • 成澤泉・・・・・・・・・・・・・・・・・・成瀬仁蔵
  • 渋沢栄一・・・・・・・・・・・・・・・・・渋沢栄一
  • 大隈重信・・・・・・・・・・・・・・・・・大隈重信
  • 大隈綾子・・・・・・・・・・・・・・・・・大隈綾子
  • 翠山啓介・・・・・・・・・・・・・・・・・?
  • 田村宜・・・・・・・・・・・・・・・・・・井上秀?
  • 田村フナ(田村宜の母)・・・・・・・・・・?
  • ヴォリンガー(米国人建築家)・・・・・・・ヴォーリズ
  • 平塚らいてう(明、はる)・・・・・・・・・平塚らいてう

『あさが来た』登場人物の実在モデル解説

広岡夫妻

  • 広岡浅子/三井浅子(幼名:三井照)[1849-1919]
    1849年(嘉永2年)、広岡浅子は京都油小路三井家(後に小石川三井家)六代当主・三井高益(たかます)の四女として生まれました。幼名は照。当時の女子としては珍しく琴や茶の湯の稽古ごとよりも学問に関心を示すものの13歳の時に読書を禁じられました。

    1865年(元治2年)、浅子は17歳で結婚。相手は江戸時代には鴻池家と並ぶ大阪の豪商・加島屋の八代当主・久右衛門正饒の次男・広岡信五郎。信五郎は浅子の学問を許し、実学を身につけた浅子はほどなくして迎えた明治維新の騒乱から加島屋を救いました。

    日本が新しい時代を迎えると、浅子はそこに大いなる商機を見いだし、筑豊(福岡県飯塚市)の潤野炭鉱を買収して経営。その後も加島銀行の設立。大同生命の創業への参画などを手がけ明治を代表する女性実業家としての地位を固めてゆきました。

    夫の信五郎死去を機に浅子は実業界から引退。引退前より尽力していた日本女子大学校を開校に導いた浅子は、同校設立後も日本の女子教育に情熱を注ぎ、最晩年まで将来の日本を担う若い女性たちを対象とした勉強会を主催しました。

    『あさが来た』のヒロイン、今井あさ/白岡あさのモデル・広岡浅子に関するより詳しい記事はこちらのページをご覧ください。

  • 広岡信五郎[1844-1904]
    1844年(天保15年)、広岡浅子の夫・広岡信五郎は加島屋八代当主・広岡正饒の次男として生まれ、幼くして分家の嫡男として養子に出されました。しかし本家の嫡男であった長男が早逝したため三男・正秋が嫡男となっています。

    浅子が新五郎と結婚した頃、新五郎は分家の当主として茶の湯や謡曲に耽る趣味人として気楽な暮らしをしていました。しかし温厚な性格の新五郎は浅子の学問好きに一切口を挟まず、このことが浅子が実業家として大成する礎を築くことにつながりました。

    浅子と新五郎が結婚した2年後の1867年(慶応2年)、加島屋八代当主・正饒が死去。嫡男だった三男・正秋が九代を継ぐものの、まだ若かった正秋に代わって浅子が加島屋再建の陣頭指揮に立ち奔走。新五郎も本家の嫡男・正秋を支えたと伝えられています。

    危機を乗り越えた加島屋は鉱山や紡績業、銀行の分野に進出。1889年(明治22年)、加島屋が設立した尼崎紡績(現ユニチカ株式会社)で、信五郎は初代社長を務めました。

  • 広岡亀子[1876-?]
    浅子が28歳の時に夫・信五郎との間にもうけた長女。浅子の女傑の資質は、浅子が唯一残した長女の亀子には受け継がれず、長じて女婿として迎えた一柳子爵の次男の恵三と結婚。恵三は信五郎の死後に家督を継ぎました。
  • 広岡恵三[1876-?]
    1902年(明治35年)大同生命発足の年に広岡家の女婿として迎えられた広岡恵三は、一柳末徳子爵の次男。東京帝国大学卒の秀才で、加島銀行と大同生命に勤務し、大同生命第2代社長などを歴任。恵三の長男・喜一は長じて大同生命取締役に就任。

    尚、恵三の妹・一柳満喜子の夫で米国人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズに、浅子は広岡邸や大同生命本社ビルに設計を依頼。また、当時困難を極めた子爵令嬢と外国人の結婚をすすめたのは他ならぬ浅子でした。

三井家、京都の豪商・油小路三井家(小石川三井家)

浅子の生家である京都油小路三井家(後に小石川三井家)は、三井高利を家祖とする三井十一家の中の一家。高利は直系男子の六本家と養子筋の三連家(後に二連家が加わる)を三井一族とし、浅子の生家は高利の直系男子の六本家の一家です。

家祖・三井高利の祖父は武士であり越後守の官職にあった高安。高安は織田信長に追われて伊勢松坂に居住。高安の子、高俊の代で武士を廃業し質屋や酒・味噌などを商いはじめました。そして1622年(元和8年)、伊勢松坂の地に家祖・三井高利は生まれました。

ところで家祖・三井高利の父である高俊は、自身の代で刀を捨て商家に転じたものの商売には関心を示さなかったと伝えられています。家業を実質的に取り仕切っていたのは、豪商の娘として生まれた高俊の妻・殊法でした。

殊法は商才に恵まれ、家祖・三井高利は母・殊法の秀でた商才を受け継いだと言われています。また朝ドラ『あさが来た』の原案書『小説土佐堀川』の中で浅子の父・高益は、浅子について「殊法大姉さまの血が流れとるようや」と語っています。

  • 三井春[1847-1872]
    三井春は浅子の2歳年長の異母姉。浅子が加島屋(広岡家)に嫁いだ六日後、春は大阪一伝統と格式を誇る名門両替商・天王寺屋(大眉家)に嫁ぎました。春が天王寺屋(大眉家)に嫁いだ後についてはこちらをご覧ください。
  • 三井高益(小石川三井家6代当主)
    三井高益は油小路三井家5代当主・高経の三男として生まれ16歳の時に家督を継ぎました。高益は正妻・孝との間に一男三女をもうけるものの四人とも夭折。原案小説『土佐堀川』では孝の死後、継室の貞が浅子を産んだとありますが家系図には「別腹」とのみ記され、実母が誰なのか定かではないようです。
  • 三井貞(貞は継室、正妻は孝)
    高益は正妻・孝との間に一男三女をもうけるもののいずれも早逝し、子らの後を追うように正妻・孝も没しました。浅子と春は家系図では「別腹」とのみ記され、実母については一切の記載がありません。
  • 三井高経(小石川三井家5代当主)
    油小路三井家(後に小石川三井家)5代当主・三井高経は、室町三井家3代当主・高興の長男として生まれました。高経は6歳の時、養子として油小路三井家に迎えられ、長じて油小路三井家4代当主・高薫の長女・三保(美保)と結婚、油小路三井家の嫡男となりました。
  • 三井高喜(小石川三井家7代当主)[1823-1894]
    小石川三井家7代当主・三井高喜は、京都南家の5代当主・三井嘉菊の8男として生まれました。三井北家(三井の総領家)83代当主・三井高福が維新期に新政府への協力をいち早く表明したのに追随し新政府軍の資金調達に協力しました。
  • 三井高景(小石川三井家8代当主、幼名:弁蔵)[1850-1912]
    小石川三井家8代当主・三井高景は、上記7代当主・三井高喜の長男。浅子とは幼少時より親しくし、父の高喜が没し家督を継いだ後も浅子を信頼していた。三井鉱山社長を歴任。ヒロインの弟・久太郎のモデルは高景ということも考えられます。

広岡家、両替商「加島屋」

浅子が嫁いだ両替商「加島屋」は、江戸時代には鴻池と肩を並べると言われた大阪の豪商でした。1829年(文政12年)と1848年(弘化5年)の文献に、東の大関は鴻池善右衛門、西の大関は加島屋久右衛門と記録が残されています。

加島屋は、1625年(寛永2年)に初代の広岡久右衛門正教が大阪・浪速村で精米業を開業。初代・正教の代に両替商を営みはじめた際、隣村の加島村で良貨を鋳造していたことにちなみ屋号として「加島屋」を名乗り始めました。

江戸時代後期に隆盛を誇っていた加島屋は全国諸藩の三分の一以上に当たる藩と取り引き。しかし、大名貸しと呼ばれる諸藩への貸付は明治維新によって不良債権化。貸付総額900万両(現在の貨幣価値に換算して4500億円)の大半は貸し倒れとなりました。

不良債権にあえぐ加島屋の窮状を救ったのは浅子でした。資金繰りに窮した加島屋を再建すべく浅子は加島屋の借入金返済猶予の交渉する一方で新政府への協力という賭けに出て、老舗の両替商が軒並み倒産する中、加島屋再建を成功に導いたのです。

  • 広岡久右衛門正饒(広岡家8代当主)[1806-1869]
    6代正誠、7代正慎と先代の実子が家督を継いだ広岡家でしたが、7代は男児に恵まれず婿養子として広岡家に迎えられたのが8代当主・正饒でした。正饒は浅子と信五郎の結婚四年後に没し、家督は三男の正秋に譲っています。
  • 広岡よね(とら)
    広岡家8代当主・正饒の妻の名は原案小説『小説土佐堀川』では「よね」と記されていますが、広岡家の家系図では「とら」の名で記載があります。とらは広岡家7代当主・正慎の実子で、婿養子の正饒と結婚しています。
  • 広岡正影
    広岡正影は8代当主・正饒の長男として生まれました。正影は広岡家長男として家督を継ぐはずでしたが夭折。次男の信五郎は分家の養子の身であったため、下記する三男の正秋が家督を継ぐことになりました。
  • 広岡久右衛門正秋(広岡家9代当主)
    広岡家9代当主・正秋は8代・正饒の三男。正饒の死後、次男の信五郎はすでに分家の養子に出されていたため、正秋が家督を承継。9代当主を継いだ時、まだ若かった正秋を支えたのは浅子でした。正秋はその後、加島銀行初代頭取、大同生命初代社長を歴任しました。

大阪の両替商「天王寺屋」

江戸時代の通貨制度は複雑さを極めていました。金貨・銀貨・銅貨、さらに単位も呼び名も異なった多種多様な通貨が流通する中、それぞれの通貨を交換する「両替商(りょうがえしょう)」が発達します。

その両替商を大坂の地で最初に開業したのが天王寺屋。1628年(寛永5年)のことでした。1670年(寛文10年)には諸大名の資金の融通などを請け負う「十人両替(十人組)」が設置。天王寺屋は鴻池、平野屋など名うての両替商とともに十人両替に選ばれました。

最大手の両替商が軒を連ねる十人両替の中にあって天王寺屋はその筆頭をも勤め、天王寺屋は名実ともに大坂の両替商の最老舗でした。しかし、明治維新に伴う大名貸しの不良債権化などにより倒産。明治中期には創業家である大眉家も断絶しています。

しかし『あさが来た』ドラマ化に当たり、一族の子孫がいたという情報もあるようです。

  • 大眉春
    大眉春は浅子の2歳年上の異母姉で、名門両替商・天王寺屋(大眉家)に嫁ぎました。しかし結婚二年後に大政奉還等の時代を荒波に飲み込まれます。諸藩への貸付(大名貸し)が焦げ付いた数多くの両替商は維新後に軒並み倒産。大阪一の伝統を誇った両替商・天王寺屋も例外ではありませんでした。

    妹の浅子の嫁ぎ先の加島屋が激変する時代の風雪に耐え、その後に加島屋の隆盛を見たのに対して、姉の春は困窮を極める生活を強いられる中、1872年(明治5年)25歳の時に死去しました。

  • 大眉五兵衛
    調査中。

その他の登場人物

広岡浅子が実業界に身を投じて後、知己を得た明治の重鎮たちに支えられながら、浅子は様々な分野の事業を展開し、晩年には日本初の女子大学校創設に携わります。

  • 五代友厚(ごだいともあつ)[1836-1885]
    大阪の春の風物詩の一つである大阪造幣局の桜の通り抜け。この大阪造幣局を設立したのみならず、大阪市民にも桜を楽しんでもらおうと「桜の通り抜け」を発案した人物こそ、大阪商工会議所の礎である大阪商法会議所を設立した大阪財界の重鎮・五代友厚です。

    五代友厚は1836年(天保6年)薩摩藩士である五代秀尭(ひでたか)の次男として生まれました。五代友厚(幼名:徳助)は少年時代より秀でた才覚を示し、1857年(安政4年)には長崎海軍伝習所で勝麟太郎(海舟)らとオランダ士官から航海術を学んでいます。

    1868年(明治元年)明治新政府の発足により、参与職外国事務掛、外国事務局判事、外国権判事、大阪府権判事、大阪府判事などを歴任した後、1869年(明治2年)に退官。下野後ただちに設立した金銀分析所で得た巨万の富を資金源に実業界に進出しました。

    朝ドラ原案小説『小説土佐堀川』によれば、浅子と五代の接点は、三井家の法要で挨拶を交わした場面が描かれるのみ。史実でも二人の接点は記録が残されていないようですが、『あさが来た』劇中では、実業界に身を投じたヒロイン・あさを導く師匠役として重要な役回りを演じることになるようです。

    また『あさが来た』の主要登場人物の多くが、劇中創作名を付けられる中、五代友厚は実在モデルと同じ名前で登場します。

    『あさが来た』のヒロイン・あさを叱咤激励する師匠・五代友厚の実在モデルに関するより詳しい記事はこちらのページをご覧ください。

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コメント

  1. ねんねん より:

    「うめ」は、どういった位置づけになるのでしょうか?

    • 朝蔵(あさぞう) より:

      コメントありがとうございます。
      実在モデルの広岡浅子さんの幼少期の面倒を見たお付きも、三井家ほどの家なら当然いたとは思いますが、記録に残ってはいないようです。記録に残っているのは、劇中のふゆちゃん同様、同年代のお付きの女性です。

  2. tonden より:

    考証担当が経済学で有名な宮本又郎大阪大名誉教授で、資料提供が神戸大の高月泰郎准教授とその筋では有名な先生方を配置してるところを見るとNHKの本気度を感じると同時に現大河ドラマに対する対決姿勢を感じずにはいられませんね。
    大河的朝ドラという前作とは違う挑戦的な姿勢は評価すべきだと思いますが。

    • 朝蔵(あさぞう) より:

      コメントありがとうございます。

      > NHKの本気度を感じる

      セット、衣装、小道具のすみずみまで本気度を感じます。

      > 現大河ドラマに対する対決姿勢

      大河ドラマの土方歳三をそのまま起用したのにはビックリポンでした。