べっぴんさんヒロイン・すみれのモデル、坂野惇子 創業までの半生

NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『べっぴんさん』のヒロイン・坂東すみれの実在モデル・坂野惇子。本記事では惇子の誕生からファミリアを創業するまでの半生についてまとめています。

『べっぴんさん』ヒロイン・坂東すみれの実在モデル、坂野惇子87年の生涯

2005年(平成17年)9月27日午前11時。9月に入っても気温が30度を超え続けるような厳しい残暑はようやく終わったもののまだ暑さの残る曇天の中、美しいシルエットの尖塔で知られるカトリック夙川教会には、朝から大勢の人が詰めかけていました。

その数日前の2005年(平成17年)9月24日午前4時10分。

ある偉業を成し遂げた一人の女性が、心不全のため神戸市中央区の病院で87年の生涯の幕を閉じました。彼女の葬儀ミサに列席するため、兵庫県西宮市霞町のカトリック夙川教会には彼女の死を悼む大勢の人々が集まってきたのです。

多くの人々がその死を惜しむ女性の名は坂野惇子(ばんのあつこ)。

子供服分野で宮内庁御用達ブランド「ファミリア」を一代で築き上げ、同社の副会長や会長などを歴任した人物です。

裕福な名家に生まれるも潔癖症の父に翻弄された少女時代

神戸市内を東西に横切るJR東海道本線と阪神電鉄本線。現在のJR・住吉駅と阪神・魚崎駅の間に位置する神戸市住吉の地で、1918年(大正7年)4月11日、惇子は佐々木八十八(やそはち)の三女として産声をあげました。

坂野惇子の生家・佐々木家は、『平家物語』にもその名が残る平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した武将・佐々木高綱(たかつな)を祖とする名家。代々豪商の家系で、父の八十八は繊維卸売業「佐々木営業部(後のレナウン)」の創業者です。

裕福な家の子女として生まれた惇子でしたが、衛生に対して極度の潔癖症だった父の八十八に振り回される幼少期を過ごしました。

八十八は幼い頃に父と兄を、長じては自分の長女と次男を病気で亡くしたことがトラウマとなり、病気を怖れるあまり度を越した潔癖症となってしまったのです。八十八の潔癖症を物語るエピソードには枚挙にいとまがありません。

一例を挙げると北風の冷たい空気を避けるため、惇子は自宅より北方に位置した私立小学校への入学を断念し、南方にあった市立小学校に入学。庶民の子が多く通う公立の小学校で、惇子は金持ちの家の子であることをからかわれるという苦い経験をしています。

また、遠足には家の者が付き添い悪天候の日は学校の欠席を強要される。家で出されたもの以外の食べ物は口にすることを厳禁とされる中、義理の姉に食べさせてもらったクリームパンの味が忘れられないと、惇子は後年になって言葉を残しています。

甲南高等女学校入学、女学生時代の二つの運命の出会い

1931年(昭和6年)、惇子は甲南高等女学校(現在の甲南女子大学)に入学。甲南高等女学校で過ごした五年間の女学生生活の中で、惇子は今後の人生を左右するような二人の人物との運命の出会いをはたしています。

最初の出会いは惇子が入学間もない一年生の時におとずれます。生涯の友にして、後にファミリアを力を合わせて創業することになる榎並枝津子(結婚後は田村姓、さらに江つ子に改名し【田村江つ子】)との出会いです。

そして1935年(昭和10年)、惇子が四年生の時のこと。惇子にとっては人生最大の出会いとなる後の夫、坂野道夫と出会ったのがこの頃のことです。

惇子16歳、坂野道夫18歳の時でした。

この年の2月、六甲山にスキーに出かけた惇子はスキー場に向かうバスの車中で当時甲南高校の一年生だった坂野道夫と出会い、交際に発展。

惇子と道夫の二人を結びつけたのは惇子が背負っていたリュックサックのヒモでした。惇子のリュックサックのヒモがほどけていることに気づいた道夫が声をかけ、これがきっかけとなって二人は言葉を交わすようになったのです。

惇子と道夫の出会いからほどなくして、惇子は甲南女学校を卒業後、東京女学館高等科に進学し二年間にわたって上京。一方の道夫も京都帝国大学に進学します。

そして惇子と道夫のはじめての出会いから四年の歳月が流れた1939年(昭和14年)。惇子は京都帝国大学卒業を間近に控えた道夫と婚約しました。

甘い婚約時代、子宝に恵まれた新婚時代を経て戦争の時代に突入

道夫と婚約した惇子は、惇子の父が所有していた軽井沢の別荘などで甘い婚約時代を満喫。そして二人が婚約した翌年の1940年(昭和15年)4月、京都帝国大学を卒業した道夫は大阪商船(後の商船三井)に就職。翌5月12日、二人はついに結婚します。

新婚の二人は神戸市東灘区岡本の通称「外国人村」と呼ばれていた地に新居を構えました。その地で惇子は、ファミリア創業に当たって協力者となる生涯の友人と出会います。村井ミヨ子、後のファミリア創業メンバーの一人です。

1942年(昭和17年)10月13日。惇子は夫の間に長女・光子(てるこ)をもうけました。この頃、惇子は隣の家に住む英国人女性オーツ夫人に紹介され、外国人を対象に「うつ伏せ育児法」を指導するベビーナース・大々瀬久子から指導を受ける機会に恵まれました。

それまでの日本にはなかった医学や心理学の知見に基づいた大々瀬久子が提唱する合理的な育児法は、惇子にとって新鮮な驚きの連続でした。

三ヶ月にわたった大々瀬久子による西洋流育児法の学習から得た知識は、戦後の惇子のビジネスに大いに寄与することになります。

別荘で過ごした婚約時代。結婚、そしてほどなくして子宝に恵まれた新婚時代。

しかし、惇子と道夫の幸福な時間は長くは続きませんでした。1941年(昭和16年)に米英との間で勃発した戦争の戦局は日に日に悪化していったのです。

道夫がジャカルタに派遣される中、惇子は神戸大空襲で自宅を焼失

少年時代に肋膜炎を患ったことのある道夫は、徴兵検査の際にも肋膜に影が見つかり徴兵を免れていました。

しかし戦局の悪化にともない、大量の船舶を所有する企業に勤務していた通夫は、1943年(昭和18)年に海軍の嘱託としてインドネシアの首都・ジャカルタに派遣されます。

一方、米軍による神戸への空襲が噂される中、1944年(昭和19年)、惇子はまだ幼い娘の光子を連れ家財道具一切を持ちだして、佐々木家が軽井沢に所有する別荘に疎開します。しかし軽井沢は避暑地ゆえに越冬には不向きでした。

惇子と光子は、本格的な冬を迎える前に軽井沢を離れ神戸に帰郷。この時、神戸に運びきれず軽井沢に残してきた衣類や家財道具が戦後の惇子を助けることになるとは、この時の惇子には知る由もありません。

1944年(昭和19年)10月。惇子は生まれ育った神戸に戻ったものの、翌年の1945年(昭和20年)6月5日、惇子は大きな困難に直面します。

神戸市垂水区から西宮にかけての米軍による無差別絨毯爆撃、神戸大空襲で惇子は道夫と暮らした岡本の自宅を焼失してしまったのです。

住む家を失った惇子は、東京から岡山県勝山町に疎開していた姉の智恵子を頼って疎開。惇子は岡山県の地で終戦を迎えました。

戦後の混乱の中ではじまったファミリア創業の物語への小さな第一歩

長きに渡った戦争は終わったものの、心から安心して過ごせる日々は惇子にはすぐには戻ってきませんでした。

行方もわからぬ夫。夫不在の中、インフレ政策により巨額の課税を果たされ経済的な困窮を極める日々。しかし、そんな困難を極める日々の中で惇子のファミリア創業の物語は静かに、しかし着実にはじまっていたのです。

納税どころか日々のやりくりもままならぬ惇子は、父の八十八に相談するため、当時神戸を焼きだされ京都に住んでいた八十八のもとに足を運びました。

その時、後にレナウンの初代社長をつとめることになる、幼なじみの尾上清はある日惇子にアドバイスしました。いつまでもお嬢様のままではいけない。これからは自分で働き自力で生きてゆかなければいけないのだと。

惇子の父・八十八も尾上清とまったく同意見でした。

尾上清と八十八に背中を押された惇子は働く決意を固めました。そんな中、終戦から八ヶ月ほどが経過した1946年(昭和21年)4月に夫の道夫が派遣先のジャカルタから無事に帰国。

ほどなくして惇子と道夫は兵庫県尼崎市、阪急塚口駅近くにある道夫の兄の借家で新しい生活をはじめるのでした。

『べっぴんさん』ヒロインすみれモデル 坂野惇子:創業までの年表

1918年(大正07年):4月11日 兵庫県神戸市で誕生
1931年(昭和06年):甲南高等女学校入学、田村江つ子と出会う
1935年(昭和10年):将来の夫・坂野通夫と出会う
1939年(昭和14年):坂野通夫と婚約
1940年(昭和15年):坂野通夫と結婚
1941年(昭和16年):創業メンバーの一人・村井ミヨ子と出会う
1943年(昭和18年):夫・通夫が出征
1944年(昭和19年):軽井沢の別荘に疎開するもほどもなく神戸に帰郷
1945年(昭和20年):6月5日 神戸大空襲で自宅を焼失
1946年(昭和21年):夫・通夫が復員

『べっぴんさん』ヒロイン・すみれのモデル、坂野惇子 創業後の歩み

以上、『べっぴんさん』ヒロイン・すみれのモデル、坂野惇子の誕生から結婚と出産を経ていよいよ「ファミリア」の前身「ベビーショップ・モトヤ」を開業する直前までの半生をまとめました。

本記事のつづきとなる「ベビーショップ・モトヤ」開業後以降の坂野惇子の歩みは以下のリンク先の記事をご覧ください。
べっぴんさん すみれが創業した店のモデル、ベビーショップ・モトヤ

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4 Responses to “べっぴんさんヒロイン・すみれのモデル、坂野惇子 創業までの半生”

  1. エイスケの後輩 より:

    最初はカトリック夙川教会から始まるのですか!!
    知人が良くそちらでコンサートを行っているのでびっくりです!
    (また、他の知り合いが、教会近くのセレブ産院でご出産されたばかりなので余計に。)

    関西のママさんの間では、早くも話題になっています。
    特に神戸では、ファミリアの商品が学校指定の備品になっている学校も有りますし、お産のお祝いはファミリアが大変多いので(うちも沢山頂きました)、皆さん自分事として楽しみにしているようです。

    • 朝蔵(あさぞう) より:

      コメントありがとうございます。

      > 最初はカトリック夙川教会から

      この記事は実在モデルの生涯をまとめただけのもので、ドラマは別の場面からはじまるかと思います。漏れ聞こえてくる情報だと戦後間もなくの頃がスタートみたいです。

      • エイスケの後輩 より:

        コメントを書き込んでから、ドラマの話そのものではないことに気づきました(^_^;)
        すみません。
        でも、兵庫県内の知っている街が沢山出てきそうで楽しみです(^^)

        • 朝蔵(あさぞう) より:

          コメントありがとうございます。

          > 兵庫県内の知っている街

          神戸ロケは僕も観光客目線で楽しみにしています。

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