べっぴんさん すみれの夫・田中紀夫 義父・五郎モデル/坂野通夫,兼通

NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『べっぴんさん』のヒロイン・坂東すみれの夫・田中紀夫と義父・五郎の実在モデルと考えられる坂野通夫と兼通。本記事では坂野通夫とその父・坂野兼通についてまとめています。

坂野通夫の生涯

『べっぴんさん』ヒロインすみれの夫・田中紀夫の実在モデル、坂野通夫

『べっぴんさん』ヒロインの実在モデル、坂野惇子はベビー用品店「ファミリア」を創業したものの、本人は品質重視の商品開発に専念すること。企業のトップをつとめるのは男性がふさわしいと考えていたこと。

これら二つの理由から、坂野惇子は創業者でありながら「社長」になることを拒み「ファミリア」の社長に就任したのは坂野惇子の夫、坂野通夫(ばんの みちお)でした。

1950年(昭和25年)に設立された「ファミリア」に通夫が取締役として入社したのは1952年(昭和27年)。それから四年間かけて通夫は「ファミリア」ビジネスの全容把握に時間を費やし、1956年(昭和31年)に晴れて社長就任。

1985年(昭和60年)に社長の座を岡崎晴彦に譲り会長職に退くまでの29年間、通夫は愛情品質を追い求める坂野惇子に代わって「ファミリア」の経営全般の舵取りに注力し同社の発展に尽くす生涯をおくりました。

元士族の末っ子・坂野通夫の誕生から生涯の伴侶との出会いまで

1916年(大正5年)9月30日、兵庫県芦屋市で通夫は生まれました。

父の坂野兼通は尾張藩(現在の愛知県)の士族の子として生まれました。そのため、坂野兼通の子供たちへの躾けは厳しさを極めたものの、七男二女の末っ子だった通夫だけは兄姉と比べて甘やかして育てたと記録に残されています。

(※坂野兼通の詳細は本記事の下欄を合わせてご参照ください)

道夫は、父の坂野兼通が54際の時に生まれた子でした。そのため、他の兄姉と比べ父に甘えることが許された道夫でしたが、その一方で父と過ごす時間も他の兄姉と比べてわずかしか残されていませんでした。

道夫が甲南高校中等部二年生の時に父の坂野兼通が死去。また甲南高校中等部時代には、道夫自身も肋膜炎を患って学校を一年間留年。同校卒業後、進学した甲南高校の一年生の冬、道夫は運命の出会いをはたします。

当時、甲南高等女学校の四年生だった佐々木(後に坂野)惇子との出会いです。

佐々木(後に坂野)惇子との結婚、戦争を経て尾上清との出会い

佐々木惇子との交際を続ける中、道夫は京都帝国大学経済学部に入学。そして、同大学卒業を目前に控えた1939年(昭和14年)に佐々木惇子と婚約。その翌年、大学を卒業し大阪商船(商船三井の前身)に就職後、ほどなくして道夫と佐々木惇子は結婚しました。

しかし二人の新婚生活は戦争に翻弄されました。道夫はインドネシアの首都ジャカルタに設置されていた海軍武官府に海軍の嘱託として赴任。

しかしこの時の「人事異動」が通夫を救いました。通夫がジャカルタに赴任した直後、通夫宛に陸軍からの召集令状が届いたのです。もし海軍の嘱託になるよりも早く、陸軍からの召集令状が届いていたら、通夫は戦地への出征を余儀なくされるところだったのです。

通夫がジャカルタから帰国したのは終戦の翌年、1946年(昭和21年)4月のことでした。そして、帰国後の暮しも決して楽なものではありませんでした。

ところで、道夫が大阪商船に就職したのは海外勤務に憧れてのことでした。しかし、長引いた戦争によって大阪商船は所有する船舶のほとんどを失っていました。道夫の憧れの海外勤務は見果てぬ夢となってしまっていたのです。

そんな道夫を、義父・佐々木八十八が創業した「佐々木営業部」に導いた人物がいます。後のレナウンを一代グループ企業に育て上げた敏腕経営者・尾上清です。

恩師・尾上清との涙の別れを経て「ファミリア」社長就任

尾上清は自分が世話になっている「佐々木営業部(後のレナウン)」の創業者・佐々木八十八への報恩を何よりも大切に考える人物でした。

そんな尾上清は、佐々木八十八の娘婿に当たる道夫を「佐々木営業部」に導いたうえで、道夫を「佐々木営業部」の将来を担う人材に育て上げることで佐々木八十八への恩に報いようと真剣に考えていました。

道夫の「佐々木営業部」への入社後ただちに、尾上清による帝王学の伝授が始まります。

しかし、後年になって坂野惇子が「ファミリア」を創業してから数年経た頃のこと。種々のトラブルから「ファミリア」は経営者不在状態に陥ってしまいました。

妻の坂野惇子に請われ道夫は「ファミリア」への移籍を決意。道夫を手塩にかけて育ててきた尾上清は、涙をのんで道夫の「ファミリア」への移籍を認めるのでした。(尚、「レナウン」と「ファミリア」は資本関係にあったため、道夫は出向という形で移籍)

坂野道夫の最期

道夫が出向という方をとって「レナウン」から「ファミリア」へ移籍したのは上にも記した通り1952年(昭和27年)。「ファミリア」の社長に就任した期間は1956年(昭和31年)から1985年(昭和60年)までの29年間。

社長職を後任に譲った七年後の1992年(平成4年)、道夫は家族に見守られる中、波乱に満ちた生涯を終えるのでした。享年75歳。

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坂野兼通の生涯

『べっぴんさん』ヒロイン・すみれ義父、田中五郎の実在モデルは坂野兼通?

朝ドラ『べっぴんさん』劇中で描かれるヒロインの義父に当たる田中五郎。順当に考えれば田中五郎の実在モデルは、上に記した坂野通夫の父・坂野兼通(ばんどう かねみち)ということになります。

しかし実在の坂野兼通が財界の重鎮であったのに対して劇中の田中五郎は貴族院議員をつめる政界の重鎮として描かれています。財界の人間ではありません。

ちなみに、ヒロイン実父の実在モデル・佐々木八十八は自身が創業した「佐々木営業部」の経営を軌道に乗せた後、会社の経営は全幅の信頼を寄せる部下にその一切を任せ、本人は政界に進出し戦後になって貴族院が廃止されるまで貴族院議員をつとめあげています。

劇中で描かれるヒロインの義父・田中五郎は、ヒロイン実父の実在モデル・佐々木八十八の後半生をモチーフにして独自に造形されたキャラクターであることが考えられます。

では、朝ドラ『べっぴんさん』ヒロインの実在モデル・坂野惇子の義父、坂野兼通とはどのような人物だったのでしょうか。

参考までに簡単なプロフィールを以下にまとめます。

坂野惇子の義父、坂野兼通とはどんな人物だったのか?

坂野兼通(ばんどう かねみち)は幕末の1864年(文久3年)12月、現在の愛知県名古屋市の地で、尾張藩の士族の子として生まれました。

1864年といえば、新選組が尊王攘夷派志士を襲撃した「池田屋事件」が発生した年。前々作朝ドラ『あさが来た』でヒロインの嫁ぎ先に新選組が乗り込んで来た三年前です。

幼い頃から学問に秀でた兼通は成長後、東京高等商業学校(後の一橋大学)に入学。同校卒業後に三菱合資に就職し銀行業務を経験。

1910年(明治43年)三菱合資での銀行業務の経験と実績が買われ、現在の三菱東京UFJ銀行の前身の一つに当たる山口銀行理事を経て常務を歴任。

銀行経営の近代化と発展に貢献した銀行界の重鎮の一人でした。

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