べっぴんさん 靴店あさや 麻田茂男のモデル、元田蓮とモトヤ靴店

NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『べっぴんさん』劇中で、ヒロインすみれの生家・坂東家に出入りする靴職人「靴店あさや」店主・麻田茂男。本記事では市村正親さんが演じる人物の実在モデル「モトヤ靴店」元田蓮についてまとめています。

神戸靴の名店「モトヤ靴店」

神戸の街は1868年(明治元年)の開港と外国人居留地の設置により、西洋文化を巧みに取り入れた地場産業が発達しました。

数ある地場産業の中でも「神戸靴」と呼ばれるハンドメイドでつくられる靴は「京の着倒れ、大阪の食い倒れ、神戸の履き倒れ」と言われるほど全国的に知られた存在です。

そんな「神戸靴」の中でも、神戸三宮センター街で元田蓮が営む「モトヤ靴店」の靴はデザインが洗練されているだけでなくその履き心地の良さも評判の名店でした。

朝ドラ『べっぴんさん』ヒロインの実在モデルである坂野惇子の実父・佐々木八十八は腕も良く人柄も誠実な靴職人・元田蓮の仕事を心から愛していました。

元田蓮もまた、自分を大切にしてくれる佐々木八十八の期待に応えようと、いつも最良の仕事を心がけていました。

惇子の嫁入り道具を受注

日頃から世話になっている佐々木八十八の愛娘・惇子の結婚が決まった時、元田蓮はこれまで以上の渾身の仕事を心に誓いました。

惇子の嫁入り道具としてハイヒール12足の注文を受けたのです。1940年(昭和15年)春のことでした。

元田蓮は早速、特別仕立ての舶来のシューズケースを取り寄せました。

そして両開きになるそのシューズケースに、元田蓮は丹精込めて仕上げたハイヒールを片側に6足づつ、合計12足を見た目も美しく収めて佐々木家に届けました。

この惇子の嫁入り道具が、やがて「ファミリア」創業のきっかけになるなどとは、この時点では惇子も、元田蓮も、夢にも思っていませんでした。

すべては小さな陳列ケースからはじまった

歳月は流れ1948年(昭和23年)春。

戦後のインフレ政策の中、日々の暮しにも事欠いていた惇子は、戦時中に偶然にも空襲を免れ焼け残った嫁入り道具のハイヒールを売って日銭を得ようと元田蓮のもとを訪れました。

しかし元田蓮は、惇子の頼みに首をタテに振らないばかりか惇子に哀願しはじめます。

「いけません。これはお嬢さんのために作った靴です。他の人に売るなんて、私はイヤですね。お困りでしょうが、これを売るのだけはやめていただけませんか」

会話が途切れてしまった惇子は、苦しまぎれに手にしていた手作りの写真立てや手提げ袋を元田蓮に見せると、元田蓮は思いがけないことを言い始めました。

「大したものですね。こんな手仕事の物を作ってお売りになったらいかがですか。うちの陳列ケースを提供しますよ」

この元田蓮の申し出が数日後には具体的な形となり「モトヤ靴店」の陳列ケースを使った手づくり雑貨のささやかな商売がスタート。

この小さくはじまった商売は評判が評判を呼び、一年後には「株式会社ファミリア」として実を結び、そのまた一年後には阪急百貨店に直営店を出店出来るほど大きく育ったのです。

元田蓮が陳列ケースを貸し出した理由

元田蓮が惇子に陳列ケースを貸し出したのには理由があります。

戦前、神戸の富裕層を相手に商売をしていた元田蓮でしたが、当時の富裕層には職人や商人を見下す風潮がありました。

そんな中、女中にも振り袖の着物を着せ家族同様に大切に扱う惇子の父・佐々木八十八は、靴を収めに自宅にやってくる元田蓮も丁重にもてなしました。

その時の佐々木八十八の恩に元田蓮は報いたかったのです。

「ファミリア」に捧げた後半生

さて、小さな陳列ケースでの商売にはじまり順調に発展したかのように見える「ファミリア」でしたが、実はその発展を陰で支え続けたのは元田蓮でした。

小さな陳列ケースで手づくり雑貨を売り始めた頃、商売の経験のない惇子は知りませんでした。原材料以上の値段で商品を売り、その差額すなわち利益から家賃や人件費を捻出するという商売の基本中の基本を。

元田蓮は、そのような商売の基本から教えて根気よく惇子を導いただけでなく「ファミリア」設立の折には、創業者たちの頼みで同社の社長まで引き受けたのでした。

そして「ファミリア」設立から数年経った頃、同社の経理社員の不正が発覚したことがありました。それを機に元田蓮は社長を辞任。

しかし社長辞任後も元田蓮は「ファミリア」の取締役や監査役をつとめあげました。

1962年(昭和37年)元田蓮死去。死去の直前まで元田蓮は「ファミリア」のために働き続けていたのでした。

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