べっぴんさん 小澤勝二,村田昭一のモデル?/田村寛次郎と村井完一

NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『べっぴんさん』ヒロインの実在モデル、坂野惇子の「ファミリア」創業パートナーだった二人の女性・田村江つ子と村井ミヨ子。本記事では彼女たちのそれぞれの夫、田村寛次郎と村井完一についてまとめています。
リアルの坂野惇子の「ファミリア」創業パートナーだった二人の女性・田村江つ子と村井ミヨ子は、『べっぴんさん』劇中でヒロイン・すみれの二人の幼馴染みとして登場する多田良子と田坂君枝の実在モデルと思われます。

しかし、劇中キャラの多田良子と田坂君枝のそれぞれの夫、小澤勝二(多田良子の夫)、村田昭一(田坂君枝の夫)は、リアルの「ファミリア」創業パートナーの女性の夫たちとはかけ離れたキャラクター設定になっています。

よって劇中キャラの小澤勝二、村田昭一は実在モデルがいない創作キャラクターとブログ主は考えています。以下にまとめるリアルの「ファミリア」創業パートナーの女性の夫・田村寛次郎と村井完一についての記述を史実を知る参考にして頂ければ幸いです。

田村寛次郎の生涯

坂野通夫と先輩後輩の関係にあった田村寛次郎

1914年生まれの田村寛次郎と、1916年生まれの坂野通夫(坂野惇子の夫)とは、甲南高等中学、甲南高校、そして京都帝国大学を通して先輩・後輩の関係でした。

また、田村寛次郎の妻・江つ子と坂野通夫の妻・惇子も、甲南高等女学校の同級生にして親友の間柄でした。

そんな関係にあった田村家と坂野家は家族ぐるみの付き合いを続け、坂野通夫がジャカルタからの復員後に真っ先に足を運んだのが田村寛次郎のもとであり、坂野惇子が手作り雑貨の商売をすすめられた時に真っ先に相談したのは田村江つ子でした。

以下、坂野惇子・通夫夫妻や、妻の江つ子が創業メンバーとして参加したファミリアとの関わりを中心に、田村寛次郎の生涯をまとめてみます。

田村寛次郎の誕生から戦後間もなくまでの半生

1914年(大正3年)2月、田村寛次郎は繊維商社「田村駒商店(後の田村駒)」創業者・田村駒次郎の次男として大阪で生まれました。

甲南高校、京都帝国大学経済学部を経て田村寛次郎は大日本紡績(後のユニチカ)に就職。1940年(昭和15年)に江つ子と結婚しました。

結婚の翌年1941年(昭和16年)、すでに「田村駒」の経営を承継していた兄の二代目・駒次郎の要請を受けて「田村駒」の取締役に就任。

しかしほどなくして開戦した英米との戦争により寛次郎は中国大陸に出征。同地で終戦を迎えた寛次郎が復員したのは終戦の翌年1946年(昭和21年)4月のことでした。

帰国した寛次郎を待ち受けていたのは父が創業し兄が経営を引き継いでいた「田村駒」の受難の日々でした。

「田村駒」が占領軍からの不正な手段による物資の入手とその隠匿の嫌疑をかけられた上に兄の二代目・駒次郎がGHQより公職追放の憂き目に遭ってしまったのです。

これらの混乱を収束すべく兄の二代目・駒次郎が「田村駒」社長を辞任したため、寛次郎が「田村駒」の社長代行に就任。1946年(昭和21年)のことでした。

その2年後の1948年(昭和23年)「田村駒」の隠退蔵物の容疑は無罪が確定し兄の二代目・駒次郎も公職追放が解除。二代目・駒次郎の「田村駒」の社長復帰にともない寛次郎の社長代行はその任を解かれるのでした。

田村寛次郎「ファミリア」監査役就任まで

寛次郎が戦地からの帰国早々の受難で奔走していた頃、寛次郎の妻・江つ子は親友の坂野惇子とともに靴屋の陳列ケースを間借りして手づくり雑貨の販売をはじめていました。

寛次郎は妻の江つ子が関わっているその小さな事業を心から応援し、「田村駒」のトラブル対応で多忙を極める中にあっても、商売経験が皆無の妻たちに帳簿のつけ方などを懇切丁寧に教えていました。

寛次郎も積極的に応援したその小さなビジネスは、1年ほどで会社組織となるまでにまで発展しました。「株式会社ファミリア」のはじまりです。

しかし順風満帆だった「ファミリア」社内で不正経理が発覚。騒動の責任を取る形で初代社長の元田蓮が辞任。その渦中で寛次郎は「ファミリア」次期社長のオファーを受けるものの、その頃の寛次郎にそのゆとりはありませんでした。

その頃「田村駒」は経営の危機に瀕していたのです。

寛次郎は「田村駒」の経営再建に尽力したものの、ついに「田村駒」は三和銀行の支配下に入り、その渦中の1961年(昭和36年)には「田村駒」の社長だった兄の二代目・駒次郎も病死。

二代目・駒次郎亡き後の「田村駒」は三名の経営陣による経営体制が確立され、寛次郎は同社の監査役を辞任し「ファミリア」の監査役に就任。1962年(昭和37年)のことでした。

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村井完一の生涯

はじめは妻が働くことに異を唱えた村井完一

坂野惇子の創業パートナーである田村江つ子の夫・寛次郎が、妻の小さなビジネスの開業に賛同したのに対して、もう一人の創業パートナーである村井ミヨ子の夫・村井完一は妻がビジネスに関わることに異を唱えていました。

何故ならミヨ子は生まれつき虚弱体質で、夫の完一は妻の身体が心配だったのです。

しかし、ミヨ子の実父である中井栄三郎は娘がビジネスに挑戦することに賛成しました。そこで完一は、最大で週に4日、午前10時から午後4時の間だけ手伝うという条件のもとでミヨ子が働くことを認めることにしました。

しかしミヨ子は坂野惇子らとともに働くうちに病気がちだった身体はすっかり健康になり、完一もついには全面的にミヨ子が関わるビジネスを応援することになるのでした。

村井完一の誕生とミヨ子との結婚

江戸時代には両替商や呉服店、金物屋などが軒を連ね商業の中心地として栄え「天下の台所」と呼ばれていた大阪船場。

村井完一はこの歴史ある街の旧家で、1910年(明治43年)に生まれました。

完一は、大阪城東商業学校(後の大阪商業大学)を卒業後に陸軍に入隊。ミヨ子と結婚したのは1944年(昭和19)年でした。

1923年(大正12年)生まれのミヨ子は、10歳以上の年齢差を嫌ったのか、はじめは完一との縁談を拒み続けていたと言われています。

結婚後数年を経た頃に妻のミヨ子がビジネスに関わり始めたのは上に記した通りです。

妻が働くことに反対だった完一でしたが、最終的には妻を応援する立場をとり、後年には完一自身も妻が創業に関わった「ファミリア」の監査役に就任しています。

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