べっぴんさん すみれ母・姉 はな,ゆりのモデル/佐々木倆子,智恵子

NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『べっぴんさん』ヒロインすみれの母・坂東はなと、姉・坂東ゆり。本記事では、はなとゆりの実在モデル・佐々木倆子、佐々木智恵子についてまとめています。

佐々木倆子の生涯

陽気で気さくな性格だった佐々木倆子

ヒロインの実在モデル・坂野惇子(旧姓:佐々木)の父親である佐々木八十八は衛生に対して非常に神経質であり潔癖症な性格だったのに対して、母親の佐々木倆子は大雑把で笑い上戸の明るい性格だったと伝えられています。

佐々木倆子(旧姓:雲川)は1883年(明治16年)大阪府で誕生。大阪市にある相愛高等女学校(後の相愛学園)を卒業後に八十八と結婚しました。

最晩年には心臓を患ったものの長命で、家族に看取られながら死去したのは85歳。夫の八十八が亡くなった11年後の1968年(昭和43年)のことでした。

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佐々木(三浦)智恵子の生涯

坂野惇子と仲の良かった年上の姉・佐々木智恵子

坂野惇子が結婚前の二年間、東京女学館高等科の聴講生として東京で過ごした時も、戦時中に空襲で自宅を焼失した坂野惇子が岡山に疎開した時も、いずれも13歳年上の姉の知恵子に呼び寄せられてのことでした。

坂野惇子が幼い頃から智恵子は妹を可愛がり、二人は仲の良い姉妹でした。

坂野惇子の姉、佐々木(結婚後、三浦)智恵子は、八十八・倆子夫妻の次女として1905年(明治38年)大阪で生まれました。

父・八十八が騒々しい大阪を嫌って神戸に転居。智恵子は神戸女学院に進学。

同校を卒業後、三浦義次と結婚。

夫となった三浦義次の祖父は美作勝山藩(現在の岡山県)十代藩主、明治維新後は勝山藩知事をつとめた人物。

子爵の爵位を有した父・三浦顕次の長男として1904年(明治39年)に生まれた義次本人もまた子爵の爵位を有していました。

三浦義次と結婚後、1929年(昭和4年)に長女・晃子を出産しています。

結婚後に東京に転居/空襲で屋敷を焼失し岡山県に疎開

結婚後、智恵子は夫とともに東京に住んでいました。

新しもの好きで特に東京を好んだ父の八十八が上京する度に滞在先に選んだのも、坂野惇子が結婚前に東京で暮らしたのも、智恵子が住む三浦子爵家の屋敷でした。

しかし、後の米軍による空襲で智恵子が夫と暮らした東京の屋敷は焼失。智恵子は夫とともに、三浦家の父祖の地・岡山県勝山町にある旧美作勝山藩邸に疎開。

坂野惇子が神戸の自宅を空襲で焼失した際に疎開したのも、一足先に姉が疎開し暮らしていた岡山県勝山町の旧藩邸でした。

戦後は再び東京に戻り、夫の義次は「東京佐々木営業部」の監査役などを歴任。

智恵子が死去したのは1990年(平成2年)、享年85歳でした。

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