べっぴんさん 第24週 光の射す方へ

NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『べっぴんさん』
2017年3月13日 〜 3月18日放送
第24週「光の射す方へ」

『べっぴんさん』第24週「光の射す方へ」あらすじ

昭和48年(1973年)。この年の秋にはじまったオイルショックとそれに端を発した景気の減速でエイスは大打撃をこうむっていました。一方、健太郎が率いるキアリスの新企画も縮小を余儀なくされていました。

しかし健太郎には攻めから守りに転じるキアリスの方針が不満でした。会社の方針に納得しかねる健太郎はそのことを古門に相談。古門に背中を押された健太郎は将来の成長のためにも拡大路線をやめるべきでないと紀夫に主張します。

初孫・藍の誕生を心から喜ぶ紀夫は8ミリカメラを購入し、藍が成長する姿を撮影することに没頭します。そんな紀夫の姿を見たすみれはあることを思いつきました。キアリスガイドを映像化すべく、すみれは映画製作に乗り出します。

龍一の友人の協力により、監督・紀夫、脚本・明美、主演女優は藍で映画の撮影がスタート。その頃、潔の家に身を寄せていた栄輔も脚本に協力し映画は完成。すみれたちは完成した映画の上映会を開催するのでした。

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『べっぴんさん』第24週 各回あらすじとレビュー

第134話 3月13日(月) 藍の成長を撮影する紀夫
第135話 3月14日(火) キアリスガイドの映画化 
第136話 3月15日(水) 
第137話 3月16日(木) 
第138話 3月17日(金) 
第139話 3月18日(土) 

『べっぴんさん』第24週 事前発表あらすじレビューと歴史・時代背景の解説

第24週のレビューと見どころ

昭和48年(1973年)の原油価格高騰により発生したオイルショックにより、日本は戦後初となる経済のマイナス成長となり、高度経済成長の時代は幕を閉じました。

『べっぴんさん』劇中で、高度経済成長の追い風に乗って成長を続けて来たエイスにも急ブレーキがかかり栄輔は経営の危機を経験します。

同じ頃、史実の中のリアル栄輔こと石津謙介氏と氏が率いるヴァンヂャケットはどのような状況にあったのでしょうか。

オイルショックの前後に分けてまとめてみました。

歴史・時代背景

オイルショック以前:昭和40年(1965年)〜昭和44年(1969年)

昭和40年代(1960年代後半)に入り、石津謙介氏は経営の舵をヴァンヂャケットの急拡大に向けて取りはじめました。

昭和40年(1965年)の新規採用人員が15名だったのに対してその二年後の昭和42年(1967年)には十倍の150名にものぼる社員を新たに採用しているところにも事業規模の急拡大を目指す石津謙介氏の強い意志があらわれています。

ところで、その頃のヴァンヂャケットは一年間の上半期にメインバンクから融資を受け、売上のピーク期である秋冬季に稼ぎ出した資金でその年の下半期には全額を返し切るという資金運用をしていました。

その返済実績によりヴァンヂャケットは金融機関からの信頼を得ていたものの、石津謙介氏の放漫経営がメディアに暴露されたのを機に信頼が失墜。

メインバンクからの資金供給が断たれたヴァンヂャケットが頼みの綱としたのが総合商社・丸紅からの融資でした。

昭和44年(1969年)1月。丸紅から調達した資金によりヴァンヂャケットはその年の営業活動を開始。例年同様、その年も年末までに借り入れのすべてを返済します。

この返済スピードに丸紅側が驚きました。

丸紅の関係者は融資した3億5千万円の完済までの期間を五年と見積もっていたのです。このことがきっかけとなり、丸紅はじめ総合商社各社がヴァンヂャケットの事業に関心を持ちはじめることになります。

これほどのスピードで投資した資金を増やせるのなら、さらに巨額の資金を投資しよう。資金力を持つ商社はそのように考えたのでしょう。

オイルショック以降:昭和48年(1973年)〜昭和53年(1978年)

昭和48年(1973年)のオイルショックの逆風下の中にあってもヴァンヂャケットは売り上げを伸ばし続けていました。

オイルショック前の昭和46年(1971年)の売上高が97億円だったの対して、四年後の昭和50年(1975年)には四倍強の452億円もの売上高を記録。

その四年の間にオイルショックを経験したにも関わらずです。

しかし、その売上高の急拡大の裏側で、ヴァンヂャケットは大量の不良在庫を抱えていました。伸び続ける売上に対応するため量産するほどに不良在庫も増えていったのです。

上述した452億円の売上高を記録した昭和50年(1975年)、ヴァンヂャケットは大量の不良在庫を現金化するためにセールを繰り返す中で創業以来初の赤字転落を経験。

にもかかわらず、厳しい現実から目をそむけるかのようにヴァンヂャケットは拡大路線を継続します。もはやヴァンヂャケットを止められる者は誰もいませんでした。

しかし昭和51年(1976年)のロッキード事件により、事実上の親会社である丸紅の当時の社長が逮捕されたことのショックや暖冬の影響により昭和52年(1977年)には売上高が330億円にまで激減し、90億円の赤字を計上。

昭和53年(1978年)約500億円の負債を抱えてヴァンヂャケットは倒産しました。

『べっぴんさん』第24週 一週間のエピソード観賞後の感想

キアリスガイドの映画化プロジェクトのタテ糸に、栄輔くんの再生と健ちゃんの覚醒のヨコ糸が織り込まれるようなストーリー展開となった一週でした。

映画、栄輔くん、健ちゃん。三つのエピソードが並行して進む情報量の多い一週でしたが、とりわけ心に響いたのは栄輔くんの再生の物語。

ドラマの中で描かれた再生の物語はエイス倒産という失意からの再生でしたが、エイスを経営する中で自分自身を見失っていた栄輔くんが失った自分を取り戻すという意味での再生でもありました。

エイスという会社を失い住む家までをも失い、潔くんの家に身を寄せる栄輔くんの生気の抜けた失意の表情は痛々しい。

しかし、痛々しいながらも何か憑き物が取れたような安堵感。

長い迷い(または眠り)から覚めたような、すがすがしさすら感じる表情も栄輔くんに見え隠れしていたような気がします。

「飛ぶ鳥を落とす勢い」のオーラを自ら演出していたということもあったのでしょうか。

エイスの全盛期、栄輔くんはいつもどこか肩肘張っているようなところがありましたが、すっかり肩の力が抜けた自然体な姿も観ていて心地よい。

本当の自分を取り戻した栄輔くんには、戦後間もない頃の「傘のような男」の生き様をもう一度追求してもらいたいものです。

一方、キアリスの事業拡大というただ一点の目標に向かってなりふり構わず突き進んで来た健ちゃんが、紀夫くんによって急ブレーキをかけられました。

その急ブレーキによって、それまで視界に入ってこなかったことに気持ちを寄せてゆく様もまた、健ちゃんにとっての再生の物語だったのかも知れません。

健ちゃんがキアリスに入社した動機。それは母親の働く姿に感化を受けたからのことでしょう。決して自分の腕だめしではなかったはず。

アメリカで学んだ経営学の知見を活かす。自分の実力を試す。もしそれが望みならキアリスよりもKADOSHOの方がふさわしい環境です。

栄輔くんと健ちゃんが自分の原点に立ち返る二つの再生の物語。心に沁みる一週でした。

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6 Responses to “べっぴんさん 第24週 光の射す方へ”

  1. ※※理恵 より:

    雄輔、カッコいい❗キャメラマン、最高‼

  2. ひるたま より:

    以前コメントした「紀夫くんのリアクション」…思ったよりもあっさりと(淡々と?)していたかな?と個人的には感じられました。
    無論その後の「ジジバカ」ぶりは期待を裏切らないですけれどね。

    ところで。
    今週分(「光の射す方へ」)の予告編の最後の方で、「男会」に栄輔くんが加わっていた事に先程(HP経由で)気がつきました。
    「タノシカナエ」になるのかな?(^m^)
    そして「男会」飲み会の席で何故か、画面手前の方でンガーッと天を仰いで眠り込んでしまっていた紀夫くんが…妙に気になってしまいました。f^o^;

    • 朝蔵(あさぞう) より:

      コメントありがとうございます。

      > ンガーッと天を仰いで

      確認しました。藍ちゃんの主演映画の完成に感無量で酔いつぶれてしまったのでしょうか。だとしたら相変わらず可愛い紀夫くんです。

  3. ひるたま より:

    初孫が生まれた時の紀夫くんのリアクションが今から楽しみです。

    バルコニーにいきなりダッシュして「僕は、喜んでいるのです~~!!」(すみれちゃんがさくらちゃんを身籠った時)
    事務所から道路にダッシュして「バンザーイ、バンザーイ!!」(さくらちゃん(&健太郎くん)の大学合格の時)

    …今度は、どういう演出が用意されているのでしょうね??(^m^;)

    • 朝蔵(あさぞう) より:

      コメントありがとうございます。

      > 紀夫くんのリアクション

      昭和40年代後半だと産院での出産が多いので、産院のロビーで大騒ぎして看護婦さんに制止される。そんな場面を想像してます。

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