大阪に帰ってくるリリコ / わろてんか 第51話

2017年11月29日(水)第9週「女のかんにん袋」

あらすじ

リリコが東京から戻ってきました。リリコは東京で娘義太夫としてその名も大いに売れていました。しかしリリコは、娘義太夫をやめ大阪に帰ってきたのです。リリコの東京での評判を聞いた藤吉は、リリコに風鳥亭への出演を頼むもののリリコはそれを拒みました。

一方、藤吉への不満が積もりに積もっていたてんは、リリコを相手にその不満を吐き出します。てんの不満を聞かされたリリコは、不平不満を袋にぶちまけることで夫婦が円満になるという東京で聞いた落語をてんに披露します。

同じ頃、風太が隼也の初節句の人形を携えて再びてんの元にやってきました。丹波の実家に帰るつもりだった風太でしたが、ある人物に気に入られしばらく大阪で働くことになったのです。ある人物とは、太夫元の寺ギンでした。

そんな中、藤吉は隼也の子守を手の空いているリリコに託しました。しかし、何の相談もなしに藤吉が隼也の子守をリリコに任せたことに、てんは激怒。怒り心頭のてんは、巾着袋の中に向かって藤吉への募る不満を吐き出すのでした。

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予習レビュー

リリコちゃんが東京から帰ってきます。東京では売れっ子の娘義太夫として成功したものの娘義太夫をやめてしまったというのがリリコちゃん自身による説明です。

リリコちゃんが人気者の座を捨ててまでも大阪に戻った理由は、リリコちゃんが自分で説明する通りなのか。それとも他に事情があるのか。今の段階では不明です。

さて、そんなリリコちゃんにてんちゃんが藤吉くんへの不満をぶつけます。

何故わざわざリリコちゃんに?という気もしますが、今の状況下ではてんちゃんが不満をぶつけられる相手はリリコちゃんしかいません。

ところで『わろてんか』第1週で、いずれてんちゃんとリリコちゃんは親友になるという予言みたいなナレーションがあったのを覚えておいででしょうか。

その「予言」が、藤吉くんへの不満をきっかけにして現実になるのかもしれません。

てんちゃんとリリコちゃんが親友になるエピソード。第1週から楽しみにしていたのですが、やっとそこまでたどり着きそうです。

さて今回は、今週のサブタイトルになっている「かんにん袋」が登場します。

リリコちゃんがてんちゃんに語った落語「堪忍袋」とは、ざっと次のようなお話です。

夫婦喧嘩の絶えない熊五郎夫婦に長屋の家主が言いました。袋を縫ってその中にお互いの不明不満を吐き出し、吐き出しあら袋のヒモをしっかりと締めておけ。

そうすれば夫婦円満になれる。

熊五郎夫婦は素直にそれに従い、やがて夫婦喧嘩も少なくなるが・・・というお話。

ドラマの中で「堪忍袋」についての詳しい説明があるものと思いますが、予習のためにちょっとだけご紹介しました。

感想

「訳ありのようやな」

風太くんが「金太郎の人形」を持参という小ネタの直後。これもまた小ネタの、風太くんとリリコちゃんが二人っきりの場面でリリコちゃんが言いました。

「ちょっと待ち!大阪に残るのはなんでや?訳ありのようやな」

てんちゃんもトキちゃんも風太くんの異変を察することができない中、「訳あり」に勘づいたのはリリコちゃん一人だけでした。

さすがリリコちゃん、苦労人だけのことはあります。

でも、そのリリコちゃんが東京から帰ってきたのも訳あり感いっぱいです。娘義太夫として頂点に立ちながらそれをあっさりやめるくらいなのだから。

東京のリリコちゃんが藤吉くんからの電話を受けた際の、人気者らしからぬ「訳あり」げな表情も忘れられません。

同病相憐むと言いますが、リリコちゃんも「訳あり」だからこそ風太くんの「訳あり」に鋭く気づくことができたのでしょうか。

「俺を気に入ってくれたやつがいてな」

一方、風太くんも「訳あり」ゆえにリリコちゃんの「訳あり」を勘づいて気を許したんでしょうか。

リリコちゃんだけには「訳」をちょっとだけ言いました。

「俺を気に入ってくれたやつがいてな」

風太くんの「訳」は事前に知ってましたが、まさかこのタイミングでその「訳」が披露されるとは思いもよりませんでした。

これには朝から驚きました。

今回の風太くんと寺ギンのオッチャンの会話を見る限り、口の減らない風太くんのことを寺ギンのオッチャンが気に入ったものの、今のところ風太くんは寺ギンのオッチャンに心酔しているわけではなさそうなのが救いです。

暇を出される売れない芸人さんを気の毒に思うところに風太くんらしさが残ってました。

しかし、これから風太くんは寺ギンのオッチャンの考え方に染まり、ダークサイドに転落してしまうのでしょうか。

それとも風太くんらしさを失わずに、寺ギンのオッチャンと正面衝突しておしまい?

風太くんの将来がいよいよ真剣に気になり始めました。

こういう「訳あり」大好きです。ゾクゾクします。

史実:芸人の扱い方

笑いをとれなくなった芸人は迷わずに追い出す寺ギンのオッチャンの姿を見て、『わろてんか』の史実の、あるエピソードを思い出しました。

吉本せいさんが寄席経営を始めた頃は、席主や太夫元が芸人さんたちの生殺与奪の権利を握っているのに等しい状態だったようです。

席主や太夫元の機嫌をちょっとでも損ねれば、よほどの芸人でなければ次の日からは仕事をまったくもらえなくなる。

そんな環境の中で、芸人さんたちは絶えず戦々恐々として仕事をしていたとか。

そこに登場したのが吉本せいさんでした。

それまでの席主や太夫元の芸人さんたちの扱い方の正反対のことをしたので、芸人さんが喜んで集まるようになったとか。

話を『わろてんか』に戻します。

今回の寺ギンのオッチャンの、芸人さん追い出し場面。てんちゃんが芸人さんたちを大切にして、芸人さんが集まって来るフラグのような気がします。

というか、そうあってほしいものです。

ただし、その前に藤吉くんが芸人さんたちとの間でトラブルを発生させることになるようですが・・・

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コメント

  1. ひるたま より:

    「あの、何年も面倒見た奴、何で簡単に放り出すんです?」「つきあいの長さは関係ない…この世界は、一にも二にもを見る目ぇや。お前も見る目養え。オモロかったら金払う。オモロない奴にはさっさと引導渡して、別の道行かしたんのが、仏心や…何や」「いや、芸人をモノ扱いするだけのクソ坊主やないんやなと」
    今回の放送分、個人的には特に上述の寺ギンさんと風太くんのやりとりが物凄く印象に残りました。
    芸能界のみならず、プロスポーツ界などにも十分通じる考え方ではないかと思います。一見厳しい&非情にも映りますが、見込みの無い者には早めに‘戦力外通告’をして別の道を歩ませる方が結果的に当人の幸せに繋がるケースも決して少なくない事も、また事実かと個人的には考えています。
    もっとも…寺ギンさんに言われた時に芸人さん達が感じるショックは(強面も相まって)非常に大きいでしょうけれども。

    • 朝蔵(あさぞう) より:

      寺ギンのオッチャン、単なる業突く張りのクソ坊主ではなさそうですね。謎に満ちたこの手のキャラが大好きなので、ワクワクしています。

  2. GATTO より:

    こんばんは。

    今日のテーマとは外れますが、おてんちゃんのしゃべり方は、風太君相手の時が一番可愛いなぁ。やはり、一番気楽な相手なんですね。
    特に、まだ前髪をたらしていた頃、突然風太君を見つけて、驚きと喜びの混じった声で「ああ、風太!」なんて言ってる時が最高でした。

    • 朝蔵(あさぞう) より:

      風太くんの方が年上でありながらリトルてんちゃんは風太くんを弟呼ばわりしてましたが、「弟」である気安さもあるのかもしれませんね。

  3. ひるたま より:

    こんにちは。横入り失礼します。
    よるは去った様が紹介されている文章中に名前が登場している益田孝氏の玄孫のうちのお一人は、歌手岩崎宏美さんの元旦那様でいらっしゃるとの事…いわゆる‘華麗なる一族’ですね。いずれ映画やドラマ等で採り上げられる可能性もゼロではないかもしれません。(もっとも‘大人の事情’も絡むでしょうし、映像化に漕ぎ着けるか否かは???ですが)

    『コロッケの唄』といえば…前作『ひよっこ』に登場していましたね。

  4. よるは去った より:

    ドラマに先だって記載しますが落語「堪忍袋」は明治時代に益田太郎冠者によって初代・三遊亭圓左師のために書き下ろされた噺です。益田太郎冠者の素顔は台湾製糖、千代田火災、森永製菓の重役を勤めた実業家であると同時に劇作家・作詞家・作曲家としても明治・大正中心に活躍した益田太郎男爵です。この方は三井物産の創始者 益田孝男爵の次男として生まれましたが長兄が夭折したため、跡取りとして育ったしうです。財閥の跡取りとして慶応義塾幼稚舎から東京府尋常(のちの東京府立一中)に進み、その後英国ケンブリッジ留学、リース中学卒業後、ベルギーのアントウェルペン商業大学卒業という学歴なのですが、かなり若い頃から品川芸者数十人をあげて遊ぶ放蕩息子でもあったようです。以前の作品の「朝が来た」に出てきた誰かさんとよう似てますな。8年間の欧州滞在時に本場の芸術に親しみ、帰国後、横浜正金銀行への入社から始まり、先述の有名企業の重役を勤めたそうですが、この頃から「太郎冠者」のペンネームで戯曲を書き始め、喜劇作家として活躍したそうです。帝国劇場の重役をも勤め、数々の戯曲や歌も作ったそうで、大正時代に大ヒットした「♪今日もコロッケ、明日もコロッケ~!の「コロッケの唄」もこの人の作詞だそうです。落語は「堪忍袋」の他、「宗論」「かんしゃく」といった現在でも語り継がれている作品を書き残しています。

    • 朝蔵(あさぞう) より:

      多芸多才で粋な人物がいたんですね。こういう人物は大好きです。伝記も出てますね。読んでみようかと思います。