伊能がアメリカに旅立つ / わろてんか 第141話

2018年3月20日(火)第25週「さらば北村笑店」

あらすじ

北村笑店をやめてアメリカに渡るという伊能に対して、てんは社長として業務命令を出しました。伊能を北村笑店の社員としてアメリカに派遣することにしたのです。伊能は、てんの言葉を受け入れアメリカに旅立ってゆきました。

昭和15年(1940年)北村笑店がはじめて手がけた『お笑い忠臣蔵』が封切りされました。そんな中、芸人たちの芸名を日本風のものに改めるよう役所からの通達を受けるなど、自由は失われてゆきました。

昭和16年(1941年)12月。真珠湾攻撃により英米との戦争が勃発。月日は流れその翌年、昭和17年(1942年)の夏。ついに北村笑店の芸人たちにも召集令状が届くようになり、てんは出征する芸人たちを見送ることが増えてきました。

そしてその年の12月。北村笑店の芸人たちは次々と召集され、その度に万丈目は漫才の脚本の修正を余儀なくされていました。そんな中、ついに過労に倒れてしまった万丈目は、養生のために大阪を旅立つのでした。

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予習レビュー

自由が失われつつある日本に失望した伊能さまが、日本を離れアメリカに旅立つ決意を固めます。

かつて、藤吉くんのお母ちゃん・啄子さん、キーちゃん、そして隼也くんもアメリカに渡りましたが、三人は皆、より良い未来を夢見た渡米でした。

プラス・マイナスで表現するならば、日本国内でのプラスの値をさらに大きくするための渡米でした。

しかし伊能さまの渡米は、日本国内でのマイナスの値をプラスか、最悪の場合はゼロに戻すための渡米です。

しかも今回、伊能さまが渡米をした直後に日本はアメリカと開戦。

マイナスの値をプラスかゼロに戻すどころか、マイナスの値がますます大きくなってしまうことだって考えられます。

戦時中、アメリカ国籍を持つ日系人ですら差別されていたくらいの中、アメリカ国籍を持たない日本人である伊能さまが無事でいられるのか、渡米後の伊能さまが心配です。

渡米後の伊能さまの安否はともかく、このタイミングで日本を離れたのは、伊能さまのような人物にとってはラッキーだったのかもしれません。

ジャズを流しながらダンスを楽しむようなわずかな自由も失われ、ついにリリコちゃんやキースの芸名がとがめられるくらいになってしまったわけですから。

追伸:リリコちゃんが女義太夫だった頃は「凛々子」と名乗っていたはず。リリコちゃんの芸名が問題だったのは「ミス」がまずかったのでしょうか。

感想

前回は、北村笑店の事務所に辞表を届けに来た伊能さまと風太くんが遭遇。

そこにてんちゃんが駆けつけ、伊能さまのアメリカ行きを業務命令として取り込んでしまうまでの濃密な密室劇がリアルタイム進行で描かれました。

そんな前回の描写方法から一転。

今回は時代のスキップに次ぐスキップ。昭和15年に始まり、終わりは昭和17年12月。2年以上の年月が15分で経過。

今回の冒頭で描かれた芸名変更騒動。自由が失われてゆく重苦しい時代すらもが、まだ明るかった古き良き時代に見てしまうのが不思議です。

そして、そんな急激に変化した2年間の歳月が万丈目はんを追い詰めてゆきました。

万丈目はんの鬼気迫る表情

昭和17年(1942年)夏。

亀さんが、召集令状を受け取った若い芸人さんたちをてんちゃんのもとに案内したのは、アメリカとの戦闘で日本が劣勢におちいった頃のことでしょうか。

その頃は、米国との戦争の戦況の転機となったタイミングのはずです。

しかし、季節は夏ということもあって明るい日差しが室内に差し込む描写が、普通の暮らしを続けられる当たり前の日常がまだかろうじて続いていることをあらわしていました。

そんな、当たり前の日常が、同じ年の暮れにはついに失われはじめました。

てんちゃんが、召集令状を受け取った北村笑店の芸人さんをはじめて(?)送り出した、夏の昼下がりの場面から一転。

わずか四、五ヶ月で時代の空気は一変しました。

そして、数ヶ月の間に時代の空気が激変してしまったさまを、万丈目はんの鬼気迫る表情が言葉以上に物語っていました。

万丈目はんのあんな顔を見るのははじめてです。

そして本当に怖かった。

てんちゃんが、北村笑店の芸人さんをはじめて(?)戦地に送り出してから、次々に同じような場面が北村家では繰り返されていたのでしょうか。

そして、その度ごとに万丈目はんは、相方を失った芸人さんのために漫才台本を書き直してあげていたのでしょう。

しかし、その頻度が日に日に増えてくる。

その頻度が増えるほどに次のような疑問が大きくなってくる。自分が台本を書くとその台本を演じる芸人は出征してしまう。

そんなジレンマに苦しみながら、相方を失った芸人さんの台本を書き直すと、またしても同じことが繰り返される。

その無限ループにはまった万丈目はんが、何かに取り憑かれるように執筆に没頭するときの血走った眼。しばらく忘れられそうもありません。

残念な時代が長く続いた万丈目はんのこんな姿を見る日が来るとは。

若き頃の残念な万丈目はんの姿がなつかしくて、思い出すと泣けてきます。

万丈目はんの推定年齢

ところで、女学生になったてんちゃんが藤吉くんと京都の街角で再会したのが明治43年(1910年)の夏でした。

当時、藤吉くんと同様に売れない芸人の一人だった万丈目はんは、おそらく二十代前半くらいではないかと思います。

明治43年(1910年)の夏からすでに32年の歳月が経っています。

万丈目はんはおそらく五十代半ば。歌子さんが言うようにもう若くはありません。頭にもいつの間にか白いものが目立ってきました。

物資不足の中、栄養を十分にとれていないことも十分に考えられます。

そんな状況下で、過労で倒れてしまうのも無理はありません。奈良の温泉で養生して健康を回復して欲しいものです。

ただ、その一方で万丈目はんがこのタイミングで倒れてしまったのは不幸中の幸いだったのかも知れませんね。

大阪の空襲を避けることができたわけですから。

もし、このタイミングで過労で倒れることなく、大阪で執筆業を続けていたら二年と数ヶ月後には大阪大空襲に巻き込まれ・・・

万丈目はんにはやっぱり笑いの神様がついていたのかも知れません。

追伸:ちょっとだけネタバレします。次週の月曜日か火曜日の回に昭和20年(1945年)の大阪大空襲が描かれます。

数年前の朝ドラ『ごちそうさん』でも、ヒロインが夫が建設に携わった地下鉄で難を逃れる場面として描かれたあの空襲です。

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コメント

  1. 夕顔 より:

    戦争はモチロンですが、それによって心の余裕を失うことは恐ろしいことですね。

    事態が緊迫するほど、あえて心の中に遊びを作る必要があるんだと思った。
    また、そんな時ほど笑いが大切なんだと実感。

    新一兄さんの『つらいときこそ笑え』は、このドラマの核心のように思える。

    • 朝蔵(あさぞう) より:

      前作『ひよっこ』の宗男おじさんも「笑って生きる」が人生のテーマでしたが、「笑い」って簡単なようで難しいテーマですね。前作と今作を観てつくづく思いました。

  2. たいとうみほ より:

    些細な小ネタかもしれませんが
    ヒットラーが芸術弾圧、の一方で
    自分のお気に入りはどんどん推奨(利用)
    占領地からどんどん略奪というのは有名な話。
    音楽でヒットラーが大好きだったのが
    ワーグナーというのも有名な話です。
    隼也君、それを知っててワーグナーなんて言ったのか?と
    私などはゾゾッとしてました。
    ふつうドイツの作曲家で日本人が考えそうなのは
    リリコちゃんのネタにも出てくるベートーベンあたりなのに。

    • 朝蔵(あさぞう) より:

      > ワーグナー

      ミュージカルをたくさん観た経験から、咄嗟に浮かんだのがオペラだったのかなと思って観てました。ちなみに我が家にはかの独裁者が党首だった党大会のベートーベンのCDがありますよ。

  3. よるは去った より:

    隼也「『二人でお茶を』か・・・・・・。」 「ティー・フォー・トゥー」は昭和の時代に江利チエミ先生が歌っていたそうですが、戦時中(もしかして戦前?)からあった曲だなんて初めて知りました。それにしてもドイツの曲とは上手い逃げだったなあ(笑)

    • 朝蔵(あさぞう) より:

      『二人でお茶を』は調べたところ1925年のヒット・ソングだそうです。1925年=大正14年。ずいぶん古くからあるんですね。