2018年4月12日(木)第2週「聞きたい!」
あらすじ
耳の異変を訴えた鈴愛は、家族に連れられて名古屋の大学病院で精密検査を受けました。検査結果がわかるのは2週間後になると聞かされた鈴愛と家族たちは、その日に処方された薬を飲み続けていれば耳は治るだろうと考えていました。
そして2週間が経過。検査結果がわかる日を迎えました。名古屋の大学病院に再び足を運んだ宇太郎と晴は、そこで医師から告げられた言葉に我が耳を疑いました。鈴愛の左耳の聴力はすでに完全になくなっていたのです。
残酷な現実を突きつけられた宇太郎と晴はその夜、意を決して鈴愛に伝えました。もう薬を飲み続ける必要はない。何故なら、鈴愛の左耳は一生治ることはない。もう左耳は聞こえなくなってしまったのだと。
宇太郎と晴の言葉を鈴愛は静かに受け入れました。まだ聞こえていたときの健康だった耳に別れを告げることができなかった、ありがとうと伝えられなかったと言いました。その日、鈴愛は決して涙を見せませんでした。
予習レビュー
本作『半分、青い。』の不思議なタイトルは、雨が降っていても失聴した片耳には雨音が聞こえない。半分だけ青空みたいだ。
ざっくり言うとこんな意味なのだそうです。
これまで朝ドラでは、失われたものに気持ちを集中させて嘆くのではなく、まだあるものや残されたものに気持ちを集中させてそれを喜ぶ。
ないものねだりをするのではなく、あるものに感謝する。そんな考え方を持ったヒロインや、キャラクターたちが数多く描かれてきました。
しかし本作『半分、青い。』のヒロインは、そんなキャラたちよりも一歩踏み込んだ考え方の持ち主です。
失われたものの中に面白い点を見出す。
それが鈴愛ちゃんの流儀です。
『半分、青い。』第1回。高校生の鈴愛ちゃんが、律くんから骨の折れたビニール傘を渡されて、こんなことを言いました。
骨の折れた傘を不便と考えるか、形が面白いと考えるか。
普通の人なら骨の折れた傘を使えないと考える。
これまで数多く描かれた朝ドラのヒロインやキャラクターたちは、骨が折れていてもまだ雨はしのぐことができると考える。
しかし鈴愛ちゃんは、形が面白いと思う。
そんな考え方の鈴愛ちゃんが、この先の人生の中で見出してゆくのか。
今回のドラマの中で、鈴愛ちゃんの片耳の聴力が失われ『半分、青い。』の主題がいよいよはじまりました。
感想
今回の最大のトピックは鈴愛ちゃんの左耳の失聴です。そして最愛の娘が聴力を失ってしまったという残酷な現実と向き合うことになった晴さんと宇太郎さんの悲劇のはずです。
しかし、どうしたわけか僕の目には、鈴愛ちゃんと律くんの絆の太さをあらわしているかのようなフラグめいたエピソードばかりが目につきました。
ボルネシア、ポリネシア
耳の中で踊っている小人はボルネシア風?
ボルネシア・・・僕にはさっぱりわかりませんでした。というか、そういう言葉があるものとばかり思ってました。
昭和のあの頃、そんな言葉があったのかな?って。
しかし律くんはさすがです。鈴愛ちゃんが何を言いたかったのかをしっかりと翻訳してくれました。鈴愛ちゃんも、言いたかったことが通じて喜んでました。
ボルネシアではなくポリネシア。
鈴愛ちゃんの言わんとするところをしっかりと理解してくれている律くん。鈴愛ちゃんと律くんの絆の太さを感じることができたエピソードの、これが一つめです。
追伸:余談ですが『ちりとてちん』で、天然で横文字に弱い糸子お母ちゃんが、ボブスレーと言ったとき。あの時は糸子お母ちゃんの言わんとするところ、僕にもわかりました。
ボブスレーでなくディスプレイ。
お薬がお揃い
鈴愛ちゃんが服用しているお薬が、自分のぜんそくのお薬と同じステロイド剤だと気づく律くん。さすが理系男子の観察力。
さて、そんな律くんの発見に鈴愛ちゃんが反応しました。
「お薬もお揃い」
律くんと一緒なことが嬉しい鈴愛ちゃん。その喜びを素直に口に出すところ。これが鈴愛ちゃんと律くんの絆の太さフラグの二つめです。
律くんがブッチャーのスネをキック
相変わらず鈴愛ちゃんを茶化すブッチャーのスネを、机の下で律くんがさりげなくキック。
余計なこと言うなという律くんの無言のメッセージ。鈴愛ちゃんへの気づかい。ここも鈴愛ちゃんと律くんの絆の太さ表現フラグかなと思いました。
ところで鈴愛ちゃんと律くんの絆から話はそれますが、キックされて律くんの無言のメッセージをしっかりと受け取ったブッチャー。
見かけによらずなかなか大人だなって思いました。
いきなりの律くんのキックに怒るどころか、自分の非に気づいたところが立派です。普通の子供なら蹴り返しかねない場面です。
ブッチャー、大人になったらブッチャーパパを超える大物になるかもしれませんね。物語の後半、平成10年代から20年代に入った頃のブッチャーが楽しみになってきました。
「なんで鈴愛に帰れって言った?」
萩尾家でのこと。
ぜんそくの発作を起こした律くんから、説明もなくいきなり「鈴愛は帰れ!」と言われてしまった鈴愛ちゃん。
律くんから言われるままに、律くんの部屋からは出た様子ですが、その後、萩尾家の敷地のすみっこでヒザをかかえて座っていたのかな?
律くんのことが心配で心配でならない。
そして律くんから、いきなり「帰れ」と言われたことにちょっとばかりショックを受け、そのことも気になる鈴愛ちゃん。
そんな気持ちが全身から吹き出しているかのような鈴愛ちゃんの姿でした。
そして、鈴愛ちゃんにとって律くんがどれほど大事な存在なのかを、これ以上望めないほどに表現した姿でした。
律くんにはこの先もずっと鈴愛ちゃんのそばにいてほしい。でも・・・
「左耳にバイバイ」
「元気なときの左耳にバイバイって言えんかった。今までありがとなって言えんかった」
本日の名セリフにして、全編を通して鈴愛ちゃんの名言となりそうなこの言葉。いつまでも忘れられそうにありません。
というか忘れないようにしたいと思います。
失ったことを嘆くのではなく、失う前のことを愛おしみ感謝するなんて。
しかも、明らかに深く落ち込んでいるお母ちゃん・お父ちゃんを、これ以上悲しませないようにしようとするはからい。
朝から泣かせてくれました。
コメント
鈴愛ちゃんの、失聴を受け止めるシーンについては、たくさんの人がコメントしておられるので、あえて冒頭シーンの話を。
鈴愛ちゃんと友達3人。ブッチャーくんがとてもスムーズに入っているのが印象的でした。あんなに鈴愛ちゃんをからかっていたのに…
あのゴミ箱事件からのブッチャーくんの”友達いない”発言。鈴愛ちゃんの前で言えたことで、やっと素直になれたのかな、と思いました。
だから、律くんのキックにハッと出来たのかと。
これからはブッチャーくんも鈴愛ちゃんをフォローしてくれそうですね。
あと、晴ママはもちろんなんだけど、宇太郎パパの涙目でメモ取る様子に涙腺やられました。
晴さんが取り乱す中、宇太郎さんが言葉少なに晴さんを我に帰らせるところ。涙目になりながらも一家の主人として冷静さを保つ父親の貫禄を感じました。
明るい話題をブッチャーくん矢本さんになるそうですね。朝蔵さん「てるてる家族」子役としてやはり金持ちのお坊っちゃまで出ていたそうです。確か佐藤さん。フルネーム忘れちゃいました(>_<)ただ大きくなったら杉原太陽さんになったのをかすかに覚えています。
成長後のブッチャー、お金持ちのボンボンがもう一作あったんですか!?(驚)
登場人物、それぞれの思いが分かる。いえ、分かる気がして思わず感情移入をしてしまう。今日はそんな話でした。
悲しかったり、せつなかったり、あっという間の15分でした。
そして、また泣かされてしまいました。
登場人物、一人一人の気持ちの描き方が繊細で丁寧で、本当に素敵な回でしたね。
すごい冷静な鈴愛ちゃんにもう涙腺崩壊しました。きっとオマセさんだけど必死に耐えているんですね(T_T)偉い鈴愛ちゃん。晴母ちゃんのかなしみわかります。私もまだまだ立ち直れないですもん。書くのはやめますね。このコーナーに暗い話題はタブーですもんね。
「気丈に振る舞う」って言葉がありますが、今回の鈴愛ちゃんはその究極の姿だったと思います。
鈴愛の左耳、ついに失聴してしまったね。
朝蔵さんがおっしゃってるけど、バイバイって言えんかった、この言葉は忘れないだろう。
朝から泣いた。泣きすぎて顔がひどい有様だったので、朝一番のお客には適当に理由つけて少し時間を遅らせてもらった(オイオイ)
うちのカミさん、左耳が聞こえない。
発覚したのは小学校の就学前健診だったらしい。原因はわからないが、多分先天的なもの。だから、バランス感覚がおかしくなったっりとかはないけれど、会話は常に右側からでないとできない。
結婚するとき、子供に影響が出るかどうかの心配はあったが、両親を説得して押し切った。
子供が産まれるとき、カミさんには根拠もなく心配ないよと言ったけれど、本当はめちゃくちゃ心配だった。単なる杞憂で終わってくれて結果オーライだったのだけどね。
鈴愛の言葉は、両親と祖父にとってはこの上なく力強いものだっただろう。そう思ったら自分の思いが涙と一緒に溢れてしまって止まらなかった。
鈴愛、ガンバレ!
鈴愛ちゃんの困難、他人事ではなかったんですね。同じ痛みを知っていたら、今日の鈴愛ちゃんの言葉は涙なくしては聞けませんね。
障碍者、という言葉が嫌いです。
そうではない。障碍のある人がいるのではなく、全ての人はなにがしかの障碍があって、その程度の差、自覚しているかしていないかの違い、私はそう思います。
人と違うことを残念に思うのではなく、人と違うからこそ自分なのだ、そう思えば自分と違うすべての誰かを受け入れることが自然になると思います。
ドラマが始まる前に、自分の耳のことを書込みましたが、幸い失聴には至っていません。
激しい耳鳴りはありますが、それに聴覚の感度を合わせると廻りの音が何も聞こえなくなるところ、日常で無意識の状態では、脳は耳鳴りの音のみキャンセルし、他の音を聞かせてくれるから、
それと同様に、いろいろな不自由不便を抱え込んでいるものの体は一所懸命に対応してくれて、今のところ、いわゆる健常者の一人、です。
脳は偉大です、様々な可能性を、身を持って感じています。
さてこうした、障碍のこと、苛めのことを考える時に思い浮かべることがあります。
<ドラえもん>と<さざえさん>が国民的アニメである現状です。
私はこの二つのアニメが大嫌いです、というよりは、あってはいけないアニメだと思っています。
ドラえもんでは、ジャイアンが「のびたのくせに」というセリフを言いますが、これは人格の全否定。
のびたがどれだけ努力し、どれだけ素敵な人物になろうがそれを一切認めず受け入れることを拒否する言葉です。
子供の心を育てることを考えるアニメで、なんでこのようなセリフに疑問を感じることなく制作し続けるのか、不思議でなりません。
さざえさんでは、人の考え方を、自分ではなく、「廻りの評価」で捉え、良しとしたりダメと言ったりしています。
廻りの誰もが否定しようが、その価値がなくなるものではない。価値は相対的なものだけではない、絶対的なものもある。自分が自信を持って信じること、それが人を支えるのだと思うのですが、さざえさんではそうではない。
人がダメだと言ったならそうなのだ、そういうことを言い続けている。
横道にそれてしまいましたが、鈴愛が鈴愛であること、鈴愛が素敵な鈴愛であるためには、そういうことの理解が必要だと思うのです。
半分青い人も、全部青い人も、全部雨であっても、誰にも先に開けるものがある、楽しい明日を迎えたいと思うのです。
『半分、青い。』という、ちょっと変わったタイトルの意味を、これまで深く考えたことがありませんでした。しかし、頂戴したコメントを熟読しながら思いました。人生の大事なことをいくら語っても語りつくせないほど多くのものを含んだタイトルだなって。
風の真ん中にいる、と感じながら風を受けている鈴愛ちゃん、鈴愛ちゃんに呼びかける律君。このシーン、童話みたいでした。普通の日常の中で突然に耳の失聴を知らされる鈴愛ちゃん、明日以降は分かりませんが、まずは取り乱さないでいられたのは、鈴愛ちゃんの感性のおかげ、生きる力ですね。
「風の音が体の中から聞こえてくる」・・・こんな感じ方ができる鈴愛ちゃんだからこそ、困難な状況も普通とは異なったところから見て、静かに受け入れることができるのかもしれませんね。
「げんきなときのひだりみみに、バイバイっていえんかった」
「いままでありがとなって、いえんかった」
自分の置かれた理不尽な状況に怒りあるいは悲しみにくれるのではなく、それを静かに受け止め受け入れる鈴愛に涙してしまう今回でした。
また鈴愛は、おかあちゃんの気持ちが解るからこそ、なおさらいつもの鈴愛を通したのでしょうね。
前向きな考え方、という抽象的な言葉がありますが、これを誰でもわかるような平易な言葉で具体的にあらわしたのが鈴愛ちゃんのセリフですね。
ちなみに、この鈴愛ちゃんの方耳が聞えないという事になってしまったとされる
この1980年(昭和55年)は梅雨入りから夏休み明けの新学期を迎えるまで
雨が止まないという異常気象が発生し、各地で水害が発生したり
その年の農作物が冷害でやられて野菜の価格が高騰したというのを記憶してしました。
そんな年でしたが。その年、自分がどんな夏休みを過ごしたのかすら僕は記憶にありません。
以前から拝見させていただいてましたが、初めてコメントします。
いつもレビューと感想、お疲れ様です。
毎日楽しく読ませてもらってます。
今日の鈴愛ちゃんの、
元気な耳にバイバイって、ありがとうって言えんかった、
で涙腺崩壊しました。
自分もショックだけどお母ちゃんを悲しませたくない、そんな健気な姿にただただ涙の朝でした。
そんな気持ちを誰かと分かち合いたくてコメントしました。
朝蔵さん、これからも頑張って下さい!
初コメントありがとうございます。
鈴愛ちゃんの今回の言葉。本当にいい言葉でした。忘れてはならない言葉とすら思います。そんなわけで、忘れてしまわないように手帳にしっかりとメモしておきました。