喜美子の火鉢に注文殺到 / スカーレット 第48話

2019年11月23日(土)第8週「心ゆれる夏」

あらすじ

喜美子の記事が地元の新聞に載りました。信楽初の女性絵付け師として紹介されたのです。敏春は、喜美子にミッコーというニックネームで紹介され、丸熊陶業にはその記事を見た人たちから問い合わせが殺到しました。

しかし、その一方で喜美子はその新聞の記事に違和感を感じていました。喜美子を紹介する記事には、喜美子の絵付け師として姿は紹介されず、自分を絵付け師に育て上げてくれた師匠の深野のこともまったく触れられていなかったからです。

違和感を感じていたのは八郎も同じでした。喜美子に注目が集まる中、喜美子に対して不機嫌な態度をとるようになった八郎は、その理由を口に出しました。深野のことが記事にならなかったことを八郎も疑問に感じていたのです。

そんな中、八郎は実家に深野の日本画があったこと。その日本画を自分が売ってしまったことを告白。泣いて詫びる八郎の謝罪を深野は受け入れました。その日の夜。八郎が語る深野の日本画を、喜美子は自分で再現しようとするのでした。

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予習レビュー

喜美子ちゃんにミッコーというニックネームをつけてマスコットガールとしてまつりあげ、新聞社に取材をさせて注目を集める。

この、丸熊陶業の若社長・敏春さんの作戦は大当たりしたようです。

しかし、敏春さんのやったことは、喜美子ちゃんの仕事を広く知らしめたのではなく、絵付け師が女性だということを話題にしただけのこと。

喜美子ちゃんのこれまでの努力も紹介されなければ、喜美子ちゃんを育て上げた師匠のフカ先生のことも紹介されずじまいです。

一時期的な注目を集めるだけのやり方は、すぐに結果は出ますが、後に続かない。

後に続かないどころか、場合によっては関係者たちに禍根を残し兼ねません。残念な形でこの度の騒動が回収されないことを祈るばかりです。

ところで今週、直子ちゃんの別れがどこかのタイミングで描かれます。それが何曜日になるのかはまだ不明です。

直子ちゃん、東京に行ってしまうんです。

東京に行く直子ちゃんに、お父ちゃんもついて行きました。そのお父ちゃんが実家に帰ってきました。

実家に帰ってきたお父ちゃんが家族に告げたこと、それは・・・

お父ちゃんが告げたこと、事前の発表はまったくありません。お父ちゃんは何を家族に告げるのでしょうか。

感想

フカ先生という人物の大きさ

フカ先生はやっぱり大きな人物だなとあらためて思う回でした。

マスコットガール「ミッコー」の新聞記事に、フカ先生の名前がなかったことで、喜美子ちゃんはそのことを気に病み、八郎くんはヘソを曲げる。

周囲の人たちの心が激しく揺れ動く中で、当事者であるフカ先生だけはいつもと変わらぬ春風に吹かれるような笑顔を絶やさず、心は一切動かない。

八郎くんが日本画を売って食べ物に替えてしまったことを泣いて詫びたときも、フカ先生はそのことに心を動かされる様子はなく、ただ八郎くんの言葉に静かに耳を傾けるのみ。

八郎くんとしては、フカ先生に怒鳴られることを覚悟していたのだと思いますが・・・

そんな立派なフカ先生。案の定というか、喜美子ちゃんも心から尊敬するようになりました。喜美子ちゃんも大好きになりました。

ところがそのフカ先生も・・・

これ以上は伏せておきます。

予告映像を見る限り、次週はいろいろとありそうですね。次週もまた『スカーレット』を一緒に楽しんでいただければ幸いです。

今週も一週間、当ブログにお付き合いくださりありがとうございます。

冷え込みが厳しくなってまいりましたが、どうぞ良い週末をお過ごしください。

梅ちゃんが出産した頃

お父ちゃんが繰り返した「蒲田」。ブログ主の大好きな朝ドラへのオマージュでしょうか。

その朝ドラの名は『梅ちゃん先生』。

初回から最終回まで、ドラマの舞台は一切移動せず、ずっと蒲田でした。

あのあたりは工場が多いので、お父ちゃんはきっとその光景にびっくりしたんでしょう。

ところで昭和33年に梅ちゃんは何をしていたのか。当ブログの過去記事で調べたところ、梅ちゃんが第一子を出産したのが昭和33年3月でした。

梅ちゃん先生 133話 昭和33年3月梅子出産

コメントへの返信 by 朝蔵

経済的に独立していた関西圏から東京圏への就職では,直子にとっても心細く,常治にとっても心配なことだった(文月さん:46話)
『ひよっこ』のヒロインと幼なじみたちが集団就職で茨城県から東京に移り住んだのが東京オリンピックが開催された翌年の昭和40年(1965年)の春。

同じ関東圏内で移動距離が比較的短かった『ひよっこ』の登場人物たちでさえも、故郷を旅立つ際にはみんな不安でいっぱいでした。

そのときにさかのぼること7年前の昭和33年(1958)年。しかも移動距離も圧倒的に長い上に「経済的に独立していた関西圏から東京圏」への移動です。

『ひよっこ』と比較することで、直子ちゃんとお父ちゃんの不安がどれほどのものだったかよくわかります。

しかも茨城県から東京に就職した『ひよっこ』のヒロインたちが高校を卒業した年齢だったのに対して、直子ちゃんは中学校を卒業してそれほど時間が経っていません。

そう考えると、お父ちゃんが東京までついて行った気持ちが痛いほどよくわかります。

純粋に夫の後押しをしたいだけ(丹善人さん:46話)
丹善人さんのご高察のポイント。ブログ主はまったく気がつきませんでした。

照子ちゃんが新機軸のデザイン案を強く推したのが、親友の作品であることが理由だったなら、きっとお父上は首をタテに振らなかったでしょうね。

照子ちゃんの夫への深い愛情にほだされたんですね。お父上は。

お父上の気持ちに気づかされる深い洞察によるコメント。ありがとうございます!

マスコットガールですか!?(オペラ座の怪人さん:47話)
今の社長と次期社長の経営方針の違い。言い換えるとこれまでの丸熊陶業と、将来の丸熊陶業の会社の在り方の違いの暗示のシンボルがマスコットガールだったような気がします。

まったく違う会社になった丸熊陶業が来年の放送回で描かれるのかもしれません。

新聞記事を読んでため息をつく八郎君の眉は明らかに「八の字」(よるは去ったさん:47話)
八郎くんの丸熊陶業への入社初日。若旦那の案内で社内の挨拶まわりをしたときのこと。フカ先生を目にして八郎くんは固まっていました。

あのときの八郎くんの異変と、新聞を見つめているときの八の字の眉がリンクしてくるのかもしれません。

衣裳くらいなら照子が貸してくれてもいいのではと思ったり(丹善人さん:47話)
ブログ主も同じことを考えました。あんなにおおあわてで家に戻らなくても、照子ちゃんに貸して!とひとこと頼めば済む話なのにと。

でも、喜美子ちゃんと照子ちゃんとではサイズが違いすぎるのかもしれないですね。

二人が並んで立っている場面では、かなりの身長差がありますので。照子ちゃんの洋服を借りたらツンツルテンで、きっと、かなり奇妙なマスコットガールに仕上がってましたね。

お母さんが綺麗になった喜美子の姿見て泣くシーン(みいちゃん命さん:47話)
喜美子ちゃんには苦労ばかりかけて、女の子らしい楽しみを与えてあげられなかったと自責の念を持っているらしいお母ちゃんの心を癒すことになりました。

お母ちゃんの涙を見たことで、ブログ主も一連の騒動に納得できました。

若社長が早くから新事業を考えていたことで、大きな危機は回避できるのではないでしょうか(おたかちゃんさん:48話)
丸熊陶業は新社長によって、これまでとはまったく異なる姿の会社となって成長を続け、喜美子ちゃんもまた独自の道を見出し、その道を歩み続ける。

両者が揃って、発展しつづけてほしいですね。

あ!それからフカ先生と二人のお弟子さんも、新しい道への挑戦に成功して幸せになった姿をどこかで見せてもらいたいと切に願います。

寒い朝に火鉢の炭に火を付けるのに手間がかかった(みいちゃん命さん:48話)
当時の住宅の大半は木造なので、ただでさえ冬の早朝の冷え込みが厳しい上に、暖まる以前に火を付けるのに手間がかかるとは・・・

ブログ主は便利な暮らしに慣れきった世代なので、当時のご苦労は想像をはるかに超えています。

制作発表時の通りに、悲しい事が待っているのでしょうかね(あずきさん:50話)
後半に描かれる悲しい事の、その悲しさを際立たせるために、前半のゆる〜い展開があるのかなと、ブログ主は考えています。

数年前の朝ドラ『マッサン』がまさにそうでした。

前半はあり得ないくらいゆるい展開で、主人公がライフワークであるウィスキーづくりをなかなかはじめてくれない。

言い方は悪いですが、どうでもいいエピソードがひたすらつづいていました。前半は。

しかし、後半の怒涛の展開になってから、前半のゆる〜い展開がスパイスのようにジワジワと効いてきました。

ゆるーい日々が、古き良き時代に思えてならない。あのゆる〜い日々に戻りたい。そんな気持ちでいっぱいになりました。『マッサン』後半では。

『スカーレット』も、そこを狙っているのかなという気がしてなりません。そして、来年からの新キャスティングの発表で、ますますその気持ちが強くなってきました。

取材の記者がちや子だったら、どんな要求も嬉しく受けた(アーモンドさん:47話)
はい。アーモンドさんのおっしゃる通りの展開になっていたかと思います。

ちや子ちゃんが「あれやってみて〜!これやってみて〜!」と面白半分にいろんな注文を出し、喜美子ちゃんは喜美子ちゃんで無理難題を遊び感覚で応じていたような気がします。

いつかちや子ちゃんが喜美子ちゃんを取材する日が来るような気がします。その時に何が起こるのか見ものですね。

長男が白血病ということであれば、小児科医になった初恋の相手にお世話になる(にゃんこさん:14週以降への予想)
にゃんこさんが予想されるその展開はあるかもしれませんね!

そして圭介くんはじめ、荒木荘の面々は、これまで喜美子ちゃんが出会った人々の中で、物心ともに一番支えてくれた人たちと言っても差し支えないほどです。

荒木荘の心優しい面々が傷心の喜美子ちゃんを支える場面。想像しただけでも泣いてしまいそうです。

たまに絵らしきものが描けるチャンスがあるとうれしいよね~(にゃんこさん:43話)
同感です。喜美子ちゃんの姿は、好きなことに時間も忘れて没頭する楽しさを思い出させてくれました。

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コメント

  1. 文月 より:

    コメント訂正
    この時期、もう松竹撮影所は、なくなってましたから、常治さんの宣言で、俳優になるは、なさそうですね

  2. ゆきこ より:

    先程の続きです百合子ちゃんが気に食わん事があったらちゃぶ台ばっかひっくり返すクソ親父の元で引っ込み思案な子にならなくて本当に良かったです良い子に育って安心しました

  3. ゆきこ より:

    今まとめてスカーレットを見ましたこれはー…男共は女がどんな生き物か知ってるでしょ(笑)というかきみこちゃん宅はホットケーキ食べたり可愛い服着れる所の環境じゃない(笑)と内心突っ込んで見てましたお父ちゃんが馬鹿みたいに借金こさえてなかったら着れたんですよね(T▽T)大阪に行った時も買おうと思えば買えたのに仕送りに忙しくてお洒落どころじゃなかったね…フカ先生の絵の話は戦後あるあるじゃないでしょうかまんぷくの福ちゃんの時もお母さんが隠してた高そうな着物を売って何とかしてましたねごちそうさんでも和枝姉さんの嫁ぎ先に米と引き換えに持ってきたりもしてましたね十代田さんも本当は手放したくなかった筈ですおじいさんが遺した形見でしたからね戦争さえ無ければ手放さずに済んだってオチが切ないですね

  4. 文月 より:

    蒲田というと映画の町として知られていますが、同時に、戦前からの町工場の町でもあります。
    多摩川を挟んだ対岸には、東芝の堀川町工場や本社があり、いまも跡地のラゾーナ川崎に「東芝ブラウン管発祥の地」のモニュメントがあります。(とはいえ、ここ10年ぐらい行ってないのですが)
    丁度、テレビ普及率が急激に上昇する時期の就職ですから、直接・間接をとわず、次々と人が集まり活況を呈する町「蒲田」に常治が興奮しているのか、それとも「蒲田」の松竹撮影所まわりで俳優に出会うかして興奮しているのか、25日からの週が楽しみです。
    常治さん、俳優になるとでもいうのだろうか?
    それとも、当時はまだ高価なテレビを買うというのだろうか?
    松熊陶業の代替わりで、主力商品の火鉢を作らなくなったとき、自分の職を失うと感じて、常治は再びび無計画な行動に出るのか?・・・

  5. よるは去った より:

    八郎「先生の絵のおかげで・・・・・白いご飯と卵三個・・・・・・ありがとうございました・・・・・・。」
    あの記事を苦々しい気持ちで読んでいた八郎君のフカ先生への思い入れごもっともです。
    「二羽の鳥」も何かのフラグ?
    最後の場面で喜美ちゃんが描いていた絵の「二羽の鳥」のアップが何とも意味深。

  6. 美喜子 より:

    ヒロイン川原喜美子、
    私の名前は美喜子…ただそれだけで親近感が湧き毎朝楽しみに見ていたら、ニックネームがミッコーって…
    子供の頃自分のことを「私」と言えずに「みっこ」と言い続けていた頃を思い出しました。
    女が大学になんか行かんでいい!二十歳の成人式には不参加も同じです。5人きょうだいですが3人姉妹も一緒、唯一の違いは没頭出来る仕事というものはなかったなぁ〜でも時代が火鉢からストーブへとなるんでしょうね。大阪編では母親の作るおはぎを思い出してました。

  7. 丹善人 より:

    圭介さんが医者になるというのは、そういう伏線なんだと、コメント欄見ていて初めて感じました。ありえますね。

  8. 丹善人 より:

    蒲田と言われても関西人には人名にしか思えないってところ、蒲田を舞台に殺人事件が起きた「砂の器」では、「カメダ」が人名だと思って捜査したら地名だったというのをふと思い出したり。

    火鉢には炭も入れましたが、練炭も使いました。ガスレンジで練炭に火を付けて、火鉢に移動させて。
    火鉢でよく小豆を炊いていました。みかんもよく焼いたり。

  9. みいちゃん命 より:

    ときわごぜんさんと同じ世代なのですが。寒い朝に火鉢の炭に火を付けるのに手間がかかったことを覚えています。そして、温まるまで時間がかかって寒いのを我慢していたことも。1963年ぐらいに社宅に都市ガスが入ったので、ガスストーブを使い始めました。使い始めた時に、着火・消火が簡単で、部屋がすぐ暖かくなったことに驚き感動したことを覚えています。

  10. おたかちゃん より:

    信楽焼の歴史を見ると、やはりこの頃から火鉢は急速に衰退したようですね。それでも盆栽鉢や観葉鉢に転換することで乗り切ったと。若社長が早くから新事業を考えていたことで、大きな危機は回避できるのではないでしょうか。とはいえ、今後絵付けから陶芸に移ってゆくことを考えると、「一生の仕事」と考えていた絵付けの仕事がなくなる展開はあるんでしょうね。

  11. ときわごぜん より:

    お父ちゃんが東京で見てきたこと。それは確実に火鉢の時代が終わるということじゃないでしょうか。私は^_^30年代の始めの生まれですが、かなり幼い頃は火鉢がありましたが、その後はストーブに変わっていった記憶があります。法事の時に白地に水墨画が描かれた小さな火鉢はずっとありましたが。
    火鉢の時代が終わることは、きみちゃんやお父ちゃんの仕事がなくなるということですね。川原家の辛い時代がまた始まるのでしようか?