病床の草若、若狭の決意 /『ちりとてちん』107話

連続テレビ小説(朝ドラ)『ちりとてちん』
初回放送:2008年2月7日(木)放送
再々放送:2014年2月13日(木)放送
第19週 第107話 「地獄の沙汰もネタ次第」

『ちりとてちん』第19週 第107回
「地獄の沙汰もネタ次第」あらすじ

喜代美と草々の前で倒れた草若が病院に担ぎ込まれました。草々は弟子たちに連絡をとり、病院に徒然亭一門が顔を揃えました。主治医は弟子たちに、延命は可能だが完治は不可能だと宣告しました。

病院を出た後、小草若は菊江のもとに足を運び、菊江の前で大粒の涙をこぼぼしました。その頃、四草は九官鳥の水を変えようにも手の震えが止まらなくなりました。草原は楽屋の鏡に向かって必死になって笑顔をつくろうとしました。

誰もが悲しい現実を受け入れずにいました。そんな中、糸子を案じた小梅が大阪にやってきました。そして、弟子たちと糸子、そして小梅は草若の病室に足を運びました。その日の夜、喜代美は病室で草若に夜通し付き添いました。

涙を流す喜代美に草若は言いました。消えてゆく命を愛おしむ気持ちが、今生きている自分の命を愛おしむ気持ちに変わる。そうすればもっと一所懸命に生きることができると。続けて草若は喜代美に言いました。お前の創作落語で俺を笑わせてくれ、と。

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『ちりとてちん』第19週 第107回
「地獄の沙汰もネタ次第」感想

病室で涙を流しながら師匠に付き添う喜代美は言いました。「大好きだったおじいちゃんが亡くなって涙でダムができるくらいなき倒した。もう二度とあの思いしたくない。大事な人が遠くへ行ってしまうのはいやなんです」

喜代美のおじいちゃんなら、大好きな人を失う悲しみも、一所懸命生きてさえいれば奇麗な模様になって出て来る、そんなふうに喜代美に語って聞かせたことと思います。

でも、大好きな人、大事な人を失う悲しみそのものは、人生の中でどんな意味を持つのだろうかと考えながら、107話を注意深く見ていました。その意味を、草若師匠が語ってくれましたね。

「若狭、お前ほんまにアホやな。俺が死ぬのがやならお前が先に死ぬしかない。遺った俺にそのかなわん思いさせる気か?こんなもんは順番や、道理や」

師匠はまず、喜代美にものの道理を説きました。師匠が「俺にそのかなわん思いをさせる気か?」と問いかけましたが、僕は道理というか順番が逆になってしまった人を間近で何人か見て来ました。

悲しみが順番通りに訪れた人は時間がその悲しみを解決してくれるものですが、この順番が逆になった場合、道理に反してしまった場合、時間ですらそう簡単には解決してくれないようです。

師匠の死は悲しいことですが、順番通り、道理に従ったものであることを師匠が優しく喜代美に説きました。

道理を説いた上、次の師匠の言葉に僕もそうだったのかと目を見開かされる思いをました。次の言葉とは「消えて行く命を愛おしむ気持ちは、やがて自分の命を愛おしむ気持ちに変わって行く。そうしたらもっともっと一所懸命に生きられる、もっと笑って生きられる」

関東大震災の被災地を見て来た『ごちそうさん』の文士・室井さんが、「鍋底大根」の話をしていましたがこれと通じるものがありますね。

「もっともっと一所懸命に生きられる」から、この「消えて行く命を愛おしむ気持ちは」も、やがては奇麗な模様になって出て来ることになるのでしょう。

実は僕自身、「大事な人が遠くへ行ってしまう」経験を、平均年齢よりずいぶん若くして幾度も経験したのですが、「大事な人が遠くへ行ってしまう」その意味をこんなに深く学べたのは、恥ずかしながらこれが初めてのことです。

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