エール 第18週「戦場の歌」予習レビューとあらすじ

NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『エール』
2020年10月12日 〜 10月16日放送

あらすじ

裕一がビルマに派遣される

『若鷲の歌』を大ヒットさせた裕一は、慰問活動のためにインパール作戦が展開されているビルマ(現在のミャンマー)に派遣されることになりました。

慰問活動に同行した洋画家の中井は、戦地の様子を自分の目で確かめたいと言い、自ら志願して滞在中のラングーンから作戦が展開されている前線に向かいました。

その二ヶ月後。中井が変わり果てた姿でラングーンに帰ってきました。中井は裕一に言いました。日本は負ける。兵士の命を粗末にするような戦いで勝てるわけがないと。

裕一の迷いの理由

新聞記者の大倉が裕一にある情報を知らせました。藤堂がビルマにいる。前線の手前にある補給路の警備に当たっている部隊の隊長をしていると。

裕一は藤堂に会いに行くかどうか迷いました。音と華のことを考えると危険な前線の近くにまで足を運ぶことにためらいを感じたのも迷う理由の一つでした。

迷う裕一に中井は言いました。裕一は戦争に協力したことに良心の呵責を感じている。自分の行いが正しいことを確かめたくて戦場に向かおうとしているのではないかと。

藤堂の戦死

中井に図星を刺された裕一は反発心から藤堂のもとに足を運ぶことを決意。藤堂は慰問のためにやってきた裕一を迎え、昌子に宛てた手紙を裕一に託しました。

裕一作曲の『ビルマ派遣軍の歌』を藤堂が歌うなど、駐屯地での慰問音楽会の練習が進む中、敵の襲撃が始まりました。藤堂は裕一を車の下に押し込むと裕一の身を守りました。

しかし藤堂は撃たれてしまいました。裕一の腕の中で藤堂は最後の力を振り絞って昌子と息子を頼むとだけ言い残し、息を引き取るのでした。

帰国した裕一は福島へ

帰国した裕一は、藤堂から預かった手紙を届けるために福島の昌子のもとに足を運びました。その後、実家のまさを訪ねました。

裕一のビルマ滞在中、まさは病気で倒れていました。そのため、音と華はすでに福島の喜多一に向かい、福島での疎開生活を始めていました。

裕一は音と華を福島に残して一人で東京に帰りました。そして、その後も裕一のもとには戦意高揚のための作曲依頼が次々と舞い込みました。

一方、豊橋は米軍による激しい空襲を受けていました。

終戦

昭和20年(1945年)8月15日、終戦。その直前、豊橋では五郎が光子の反対を押し切りキリスト教の集会に参加したことで特高に連行されました。

五郎が不在の中での空襲。原稿を取ろうとした梅が炎に包まれる家に飛び込みました。その梅を岩城が助け、岩城は火傷を負いました。五郎はそのことを深く悔やみました。

一方、弘哉の母・トキコが弘哉の死を裕一に告げました。その日の夜、音と華が東京に戻りました。裕一は音に言いました。僕は音楽が憎い、と。

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予習レビュー

インパール作戦

『エール』本放送の再会直前の特番で、軍服を着用した裕一くんが戦地を走りまわる映像が披露されました。

その場面が今週のどこかで描かれるようです。

裕一くんが慰問活動のためにビルマに派遣されます。その時、ビルマはインパール作戦を展開中でした。

インパール作戦では、作戦に参加した兵士のほとんどが死亡した「史上最悪の作戦」と言われるあまりにも無謀で稚拙な作戦です。

『ひよっこ』の宗男おじさんが、このインパール作戦に参加した数少ない生き残りとして描かれていました。

さて、裕一くんは派遣されたビルマで藤堂先生の再会します。

地獄の中での恩師との再会。

残念ながら藤堂先生は戦死することがほぼ確定です。ビルマでの体験が、裕一くんの戦後の苦悩をさらに深いものにしてしまうかもしれません。

まささんが倒れる

『エール』本放送の再会直前の特番では、すっかり白髪が増えたまささんの映像も披露されました。

その映像の中でのまささんは、床に伏せていました。

だから、もしやまささんは病気?と思ったのですが、その通りでした。残念ですが。

まささんが病気で倒れる一報があったとき、裕一くんはビルマに派遣されている最中で不在です。

そこで代わりに音ちゃんが福島に向かいます。

病に倒れたまささん。今週が最後の出番となってしまうのでしょうか。

もしまささんの出番が今週で最後。つまり、まささんが亡くなる展開となった場合、裕一くんはまささんの死に目に遭えないことになってしまいます。

裕一くん、またしてもつらい経験をすることに。(涙)

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コメント

  1. 知らんけど より:

    インパール作戦で評価されているのは兵士の方々の勇敢さと矜持だと個人的には考えます、イギリスのスミス将軍もこの点を称賛されたとも
    イギリスの植民地だったインド国民を「俺たちにだってやれるんだ」という意識を持たせ国内暴動多発がイギリス撤退につながったのは日本兵士たちの勇敢さによる影響とも考えられます
    また、作戦中止から撤退の際にも飢えていたにも関わらずビルマの集落を襲撃しなかった日本兵士たちの矜持は称賛されていますし、東京裁判の時のインド人パール判事の対応にも影響を与えたとも考えられています

    ただ、精神論至上主義の作戦内容に関しては世界的にもめちゃくちゃ低評価なのは事実です
    制空権がなく自動車も馬も不足している戦況からの作戦決行、ジンギスカン作戦は飛行機からの狙いやすい的、家畜が河を渡れないことの認識不足、補給を軽視し「必要なものは敵から奪え」「草食人種にとってジャングルは食料の山」というむちゃくちゃな方針、雨季になっても中止しない決断の遅れ等々
    キチンと調べてはいませんが、戦死なされた方よりも感染症や飢餓で亡くなられた方が多い戦いは史実上インパール作戦ぐらいなのでは?

  2. ふー# より:

    決して先の戦争を肯定するつもりはありません。先に書いておきます。ただ、歴史は一方から見ても分からないのです。

    実はインパール作戦は、戦後日本の歴史観から見ると最悪の作戦ですが、インド側から見ると、インドの独立に繋がったと高い評価を受けています。インドが親日なのは、日本が多大な犠牲を払って英国と戦ってくれたと思っているからです。日本7万8千人とインド2万人の日印連合軍対英国の独立戦争という捉え方なのです。

    元インド国民軍大尉で、全インドINA事務局長、S・S・ヤダバ大尉は1998年1月20日に靖國神社を訪れ次のように記載しています。
    「われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するためにともに戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対して、もっとも深甚なる敬意を表します。インド国民は大義のために生命をささげた勇敢な日本将兵に対する恩義を、末代にいたるまで決して忘れません。われわれはこの勇士たちの霊を慰め、ご冥福をお祈り申し上げます(趣旨)」

    朝ドラなどで先の戦争の描写が出てくると、実際はどうだったんだろうって考えますので、いろいろと調べて考える良い機会になります。