NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『エール』
2020年10月19日 〜 10月23日放送
あらすじ
作曲ができなくなる裕一
終戦から三ヶ月。裕一は劇作家・池田からのラジオドラマの主題歌の作曲依頼を断りました。裕一は五線紙を見ると戦場を思い出してしまい作曲できなくなっていました。
裕一を案じる音に吟は言いました。音の歌で裕一に音楽の楽しさを思い出させろと。音はすぐにレッスンを開始。音が教わる音楽教師は、御手洗の友人であることが判明します。
豊橋では光子が馬具からの撤退を決意。五郎はそれに替わる商売として野球のグローブ製造を提案。五郎の提案を光子から聞かされた病床の岩城は安心して息を引き取りました。
裕一がようやく作曲を手がける
終戦から一年半以上が経過したにもかかわらず裕一は作曲ができないままでした。そんな中、劇作家の池田が再び裕一のもとにやって来ました。
池田は自分が書いた『鐘の鳴る丘』の主題歌作曲を改めて裕一に頼みました。そして池田が置いて行った歌詞を見た裕一の頭の中に一瞬だけメロディが流れました。
裕一は作曲を決意。そして戦場の記憶に苦しみながら曲を完成。昭和22年(1947年)7月に放送が開始されたラジオドラマ『鐘の鳴る丘』は大ヒットを記録します。
裕一は長崎へ
池田は再び裕一に作曲の話を持ち込み、裕一は作曲を引き受けました。映画『長崎の鐘』の主題歌の作曲が裕一が引き受けた仕事でした。
裕一は『長崎の鐘』原作者の永田武医師の話を聞くため長崎に向かいました。作曲の着想を得たい裕一に対して永田は言いました。
どん底まで落ちろ。その言葉の意味がわかれば作曲のきっかけが見つかるはずだと。しかし、どれほど考えても裕一にはその言葉の意味が見出せずにいました。
『長崎の鐘』が大ヒット
言葉の意味を見出せない裕一を見かねた永田の妹・ユリカは、裕一を長崎市内に案内。瓦礫の中から掘り起こした鐘の音が人々を勇気づけた話をユリカは裕一に語りました。
永田の言いたいことがようやく理解できた裕一は、永田のもとに駆けつけました。そして永田に言いました。これからも応援する歌を作り続けることが自分のやるべきことだと。
裕一は東京に戻る汽車の中で曲を完成。山藤太郎が歌手をつとめた『長崎の鐘』は、映画とともに大ヒットを記録しました。
智彦が生きる道
一方、就職先がいまだに見つからない智彦はラーメン屋台の仕事を手伝っていました。そんな中、貿易会社に就職が決まりました。
その就職先は陸軍時代の同期・松川からの紹介でした。松川は自分の同期がラーメン屋台で働いていることを恥じ、智彦に就職先を紹介したのです。
智彦は松川に反発し辞表を出しました。智彦の決断に理解を示した吟は言いました。人のために尽くす生き方ができるのであれば智彦の好きな道を選んでほしいと。
予習レビュー
裕一くんの戦後の「戦争」
第15週から第19週まで、5週にわたった戦時下の物語が終わり終戦を迎えました。
ブログ主が鑑賞した戦争が描かれた朝ドラの中では終戦は、ようやく平和な日々が再来し物語が明るさを取り戻す場面として描かれていました。
しかし、本作では戦争は終わっても主人公の心の中の戦争は終わっていません。
もしかすると戦後の主人公の心の中の戦争は、戦時中の心の中の戦争よりも激しくなっているかもしれません。
裕一くん、作曲をやめてしまいました。
作曲をやめてしまったというよりも、作曲をできなくなってしまったという方が正確な表現なのかもしれません。
苦悩する裕一くんが描かれるこの週は、実につらい一週間になりそうです。
『鐘の鳴る丘』の主題歌『とんがり帽子』
作曲をやめた。あるいは作曲をできなくなった裕一くんに作曲依頼が舞い込んできました。
ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の主題歌の作曲依頼です。
『エール』本放送再会直前の特番で、『鐘の鳴る丘』の主題歌『とんがり帽子』を歌う子供たちの歌声を収録する現場の映像が披露されました。
この仕事を一度は断る裕一くんですが、最終的に引き受けることになるはずです。
『とんがり帽子』の子供たちの明るい歌声が、裕一くんの心を深い苦悩から救ってくれるのでしょうか。
プリンス
裕一くんは失意と苦悩の中で終戦を迎えますが、プリンスもまた失意と苦悩の中で終戦を迎えるはずです。
そしてプリンスの苦悩は裕一くんよりも長引くことが予想されます。
ただし、今週中にプリンスが登場するかどうかは今のところ不明です。