2020年10月6日(火)第17週「歌の力」
あらすじ
祐一の召集が解除となりました。作曲を通して国に貢献してきたことが召集が解除された理由でした。そして祐一は、東都映画の三隅からの依頼である映画の主題歌『若鷲の歌』の作曲に取り組み始めました。
三隅からの依頼である、海軍航空隊の予科練習生たちを描く映画の主題歌づくりに取り組みながらも祐一の気持ちは複雑でした。祐一は一度は出征への覚悟を固めていただけに、召集を解除されたことに複雑な思いを抱いていました。
同じ頃、豊橋では光子たち地元のキリスト教徒たちが集まっていました。その頃、キリスト教徒が集まるのは禁じられていました。光子は信仰を捨てないまでも今は時流に合わせるべきだと考え、他のキリスト教徒たちの反発を買っていました。
一方、裕一は予科練に足を運ぶことになりました。完成した『若鷲の歌』を予科練の若者たちに聞かせることが目的です。しかし裕一は、完成した曲の仕上がりに満足していませんでした。裕一はもう一曲書くための時間が欲しいと三隅に懇願するのでした。
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予習レビュー
祐一くんの召集が解除されました。
プリンスの召集解除は痔が理由でしたが、祐一くんの召集解除は作曲による国への多大な貢献がその理由です。
召集令状が来てから不安でいっぱいだった音ちゃんは安心します。
しかし、出征する覚悟を固めていた祐一くんの胸中は複雑です。
そして、これはブログ主の予想ですが、複雑な気持ちを懐く祐一くんは、その複雑な気持ちを解消するためにますます深みにはまってしまうのではないか。
そんな不安な予想をしています。
そして、これも予想ですが、祐一くんは見学のために足を運んだ予科練で弘哉くんと再会。
弘哉くんは音ちゃんの音楽教室に最後まで通っていた少年です。
予科練で弘哉くんと再会した祐一くんは、弘哉くんを想いながら作曲する。その経験が戦後の祐一くんの苦悩をさらに深めてしまう。
真剣になればなるほど負のスパイラルにハマる祐一くん。
前週の最後に、大将と木枯くんが心配した通りの展開になってしまいそうです。
コメントへの返信 by 朝蔵
弘哉との再会,そして裕一が与えたハーモニカのプロットの回収(文月さん)
はい。回収されます。そして回収のされ方は確定してしまいました。
家系と家業は一致させなければいけないというものではなかった(たいとうみほさん)
『あさが来た』の加野屋さんにも、優秀な婿を迎えた方が安心みたいな考え方があったと記憶しています。
また樂焼きの京都の樂家は、江戸時代初期から婿養子を迎えて樂焼きの技術を継承しています。
華「違う、違う・・・・・・・・。」(よるは去ったさん)
この華ちゃんの可愛らしい反応が、もしかするとこれから描かれる悲劇につながってしまうかもしれない。そう考えると切ない場面でした。
裕一との約束が心の支えになっていたんですね(魁光さん)
「戦争が終わったら」と、戦後に夢を叶えられるときが来ることを待ち望む音ちゃん。戦時中の人の気持ちがこれまでになくよくわかりました。
いつも「コロナ禍が終わったら」と考えていますので。
光子母さんが娘のこういう場面をリアルに目撃してしまうのは確かこれで二回目じゃないかな(よるは去ったさん)
今回の梅ちゃんの言葉を借りるなら、裕一くんが音ちゃんを「奪いに来た」ときにも同様のことがありましたね。
まさか5週をここをフラグにしてきたとは(魁光さん)
本作はフラグの立て方とその回収の仕方が実に見事ですね。ブログ主の中では『ちりとてちん』以来です。
予定と予算を守る三隅(オペラ座の怪人さん)
三隅さんはとってもいい人ですね。会社員として予定と予算をきっちりと守りながら、芸術家の顔を立てて負担をかけないようにする心配り。立派な人です。
当時はどっちが正しいかなんてまだわからない(魁光さん)
時代の制約の中で皆が必死になって生きていた。そう言うしかありませんね。
ハアーヨカレン、ヨカレン(還暦のたつおさん)
削って本当に正解でした。「ハアー」の箇所で悲壮感が一瞬にして失われてしまいます。
不公平への怒りだよなと思いました(たいとうみほさん)
不公平感というのはストレスが強くかかる時代だと普段以上に感じてしまうものなんでしょうね。コロナ禍を通してそうした人の心を学びました。
三隅さん苦労してますね(丹善人さん)
三隅さん、とっても立派です。二人の芸術家の利害を調整しながら会社の都合ともバランスを取らなければいけない。そんな状態で裕一くんに嫌な顔一つ見せないのですから。
行方不明者となっていた可能性(文月さん)
行方不明者になっていることは十分に考えられますね。五郎ちゃんの性格から考えても、結婚前にそうした役所の手続きをきちんとしているようには見えません。
感想
これまでに見たことがない裕一くん
今回の裕一くんは、これまでに見たことがない裕一くんでした。
自分だけが召集を解除されたことへの後ろめたさ。その後ろめたさから逃れたいがためなのか、これまでになく作曲に没頭。
一度は書き上げた曲に納得が行かず、歌の主題となっている予科練の若者たちの気持ちを理解してから書きたいとまで言い出す。
作曲に没頭することによって何かから逃れようとする裕一くん。
これから次週にかけて戦時中の裕一くんの苦悩と、苦悩から逃れるための行動が描かれます。
そして苦悩から逃れるための行動が、戦後に新たな苦悩を生み出す。
裕一くん、負のスパイラルにおちいってしまったようです。
4分間のアバンタイトル
アバンタイトルがまさかの4分間。今回は主題歌とオープニング映像は省略されるのかと思ったほどです。
ところで異例の長さとも言えるアバンタイトルの場面で華ちゃんが口にした言葉。
「ねえお母さん、私のために歌をやめたの?」
この言葉は後々になって描かれる音ちゃんと華ちゃんの毋と娘の気持ちのすれ違いの描写へのフラグと思われます。
4分間のアバンタイトルでの音ちゃんと華ちゃんの会話。
しっかりと記憶に留めておこうと思います。
追記:音ちゃんが、華ちゃんの弘哉くんへの気持ちを言い当てる場面。これもまたフラグですね。近いうちに描かれることが予想される悲劇へのフラグです。
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梅ちゃんの苗字、いきなり変わってましたね。
五郎君、真面目で一本気で、関内家に入るために生まれてきたような。
関内家の見ている方向と同じ方向を見ていて、それも自分から進んで。
光子母さん、今回はお茶はこぼしませんでしたね。持ってなかったけれど、
もう慣れたこともあるだろうし、正式に結婚もしたらしいし。
三隅さん苦労してますね。陰でいっぱい頭を下げまくって。わがままに
付き合ってストレス溜まりまくって。でも苦労した結果名曲が生まれた
のだから、無駄にはなっていないですよね。
軍に近しい人が、一般人と違って得をしていると思われての反感。「おしん」にもありました。智彦さんが吟ちゃんに注意したのも、吟ちゃんが音ちゃんに対して腹を立てるのも、そこに起因するのでしょう。それもまた偽らざる庶民感情。戦争なのだから軍が最大限敬われるべきというのは、あくまで建前です。人々の内なる本音は、誰だって余計な負担を強いられたくない。現代にも通じる、不公平への怒りだよなと思いました、それなりの理由はあるとしても。この事で純粋な五郎ちゃんは悩むんじゃないかなあ。自分が出征しないことが関内家の迷惑になるんじゃないかって。変な気を起こして、軍属に志願したりしないか心配になります。まあそんな事言いだしたら岩城さんが一発お見舞いしてくれるでしょう、「俺はそんな事させる為にお前を仕込んだんじゃない!」って。
ハアーヨカレン、ヨカレン 削って正解でした。この曲を聴くと、海軍の制服と制帽を身に着けた鶴田浩二さんが、「懐かしのメロディー」で、この曲を直立不動で歌う姿が目に浮かびます。
現実を目にして戦争に対して疑問を感じた鉄男くん。
現実を目にしてより兵士に寄り添いたい裕一。
捉え方は人それぞれですが、当時はどっちが正しいかなんてまだわからない。
だからこそその人の気持ちで動くしかないんですよね…。
この意固地になっていくところは上京直後のスランプ期を思い出します…。
私は会社員だから、
ビジネスマンだから、
芸術至上主義的な裕一よりも
予定と予算を守る三隅の方が
ピンときますなあ。
まあ、結果往来ですけどね。
ヾ(・◇・)ノ ヽ( ̄▽ ̄)ノ ヽ(・∀・)ノ
(-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ
おしまい
いや〜。まさか5週をここをフラグにしてきたとは…。
そして、肝心なところにやってきた光子さんもあの時と同じでしたね(笑)
気弱な旦那と気の強い嫁の二人三脚は裕一夫妻とそっくりですね。
そして軍と信仰の自由の板挟みになってしまいましたね…。
言われ方は悪いですが、まさに図星なのが痛い…。
五郎「梅・・・・・・・・・・。」
梅「五郎さん・・・・・・。」
最初に裕一君が心配していた図でしたね。
パタパタと廊下を来る光子母さんの姿を見て次の場面が先に浮かんで笑えました。
私の記憶に間違いなければ、光子母さんが娘のこういう場面をリアルに目撃してしまうのは確かこれで二回目じゃないかな。
華ちゃん「夢は預けられるの?そっちの方が楽しい」
挺身隊を追放されて歌への未練をより強くしていた音ちゃんにとって裕一との約束が心の支えになっていたんですね…。
しかし時局がそうさせてくれない。
そこが切ないところですね…。
音「華だって弘哉君のこと・・・・・・・。」
華「違う、違う・・・・・・・・。」
自分の気持ちに気づきながら親の手前必死に押し隠しているのか、自分で恋だと気づいてないのか。
ローティーンの少女らしくて可愛かった。
関内家と古山家。双方とも「家系」と「家業」は別々の人物が継承した、という事になりますね。戦前であっても必ずしも、家系と家業は一致させなければいけないというものではなかったと思われます。明治に作られた社会システムはどうも武士の感覚を国民全体に適用しようとしたものらしく、武士には「後継争いで揉めない」のが大事でだから長子が絶対視され(トップが無能でもシステムでカバーできるのが幕藩体制ですから)一方職人や商人は(農家の場合個人の能力差は小さいのでまた別かと)優秀な者が継がないと身代が傾く、という発想になり、「できの悪い実子より優秀な婿養子」とすらなります。武士的な家督相続を強いられた明治以後の職人商人とて、それに従ったらやはり商売に差し支えますから、関内家や古山家の様なやり方であっても不自然ではないでしょう。家系=名字(現代なら実際に問題になるのはお墓かと)の継承は長子、家業の継承は次子以後、という形で跡取り問題を解決したことになります。
第73回にコメントしたように,弘哉との再会,そして裕一が与えたハーモニカのプロットの回収がありそうですね。
わたしとしては,若い弘哉には,片腕・片脚を失っても生きて終戦を迎えて,新しい日本を,東京オリンピックをみることを期待しています。
史実に残るような予科練練習生16歳の特攻よりは,生きた姿を望みたいところです。