2020年10月7日(水)第17週「歌の力」
あらすじ
予科練で訓練に励んでいる若者たちの気持ちを表現した曲を作曲したい。その一心から裕一は、予科練の若者たちの姿を自分の目で見るために土浦航空隊に足を運び、練習生たちの生活を体験することにしました。
ところが、予科練の若者たちの生活を実際に体験しても曲は浮かんできませんでした。そんな中、ある練習生の一人が口にした言葉を聞かされた裕一は、わずか5分ほどで裕一は新しい曲を書き上げました。
そして裕一は書き上げた二通りの『若鷲の歌』を披露しました。教官たちは裕一が予科練にやって来る前に作曲した曲を選びました。しかし練習生たちが選んだのは、裕一が予科練に来て完成させた曲でした。
一方、裕一が不在の古山家に鉄男が訪ねて来ました。鉄男は新聞記者として取材に歩く中で耳にしたある噂を音に伝えました。激戦地への慰問に派遣される者の候補として裕一の名前があがっているというのです。
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予習レビュー
一度は召集令状が届きながらも戦時歌謡による国への貢献が評価されて召集が解除になった裕一くん。
その召集解除が裕一くんの行動を駆り立てます。
出征の覚悟を固めたものの、出征がなくなってしまった。自分ができることで戦争に協力したいと。
やや前のめり気味になっている裕一くんの姿勢を際立たせるのが、大将が音ちゃんに伝える戦争のリアル。
今週の最後には、大将はその戦争のリアルを裕一くんにも直接伝えることになるようですが、裕一くんは大将の言葉に耳を貸すのでしょうか。
ちょっとネタバレになりますが・・・
裕一くんが戦争のリアルに向き合うのは次週になりそうです。
ビルマの戦線に赴き戦争のリアルを体験するまでは、裕一くんの目には自分が見たいものしか入ってこないのでしょうか。
コメントへの返信 by 朝蔵
私の父は、昭和16年に予科練に入隊しました(還暦のたつおさん)
貴重なお話をありがとうございます。ドラマの中で当時の予科練の様子を撮影した写真が何枚も紹介されていましたが、もしかするとあの中にお父上がおられたのかもしれませんね。
日本は負け続けている(松田泰治さん)
日本は負け続けているにも関わらず勝つことしか考えられない。現実から目をそらしお花畑に引きこもる人というのは時代を超えて存在するのですね。
悪循環に嵌ってしまっている(魁光さん)
裕一くんの性格から考えても、簡単に抜け出すことができない悪循環にはまってしまいましたね。
堀内敬子さんが『うたコン』で久しぶりにミュージカル曲を歌い(知らんけどさん)
見逃しました。残念です。久しぶりに明るい昌子さんを見てみたかったです。
音ちゃんとの考えの違いが決定的になってしまいましたね(魁光さん)
音ちゃんが一時は参加した音楽挺身隊にも、予科練の中佐みたいな人物がいたら、音ちゃんの考えも今とは違っていたかもしれませんね。
僕蔵、がんばれよ!(オペラ座の怪人さん)
三隅さん、どうやら強運の持ち主のようです。天は三隅さんの努力を見守ってくれているみたいです。
無数のささやかな「誰かの為」(たいとうみほさん)
「誰かの為」の思いと行動が、本当に「誰かの為」になるようになりたいものですね。
映画が公開された後何が起こるか、想像がついてしまいますね(たいとうみほさん)
弘哉くんくらいの年頃の男の子だったら完成した映画を観たら。そして『若鷲の歌』を聴いたら。大豆肉以上のことが起こることになるでしょう。
三隅さん凄い(還暦のたつおさん)
三隅さんの働きは本当に素晴らしいです。戦後も三隅さんに活躍してほしいくらいです。
ボール型のバランス養成道具(丹善人さん)
自粛警察は予科練のパトロールはできないので英語の勉強も出来ていたみたいですね。
嗚呼 予科練 予科練(知らんけどさん)
「ハァ」でなく「嗚呼」だと、受ける印象はまったく異なるのでカットされずに済んだかもしれません。でもカットされなければ全く別の曲になっていたでしょうね。
国民の殆どは,戦況が悪いことをすでに察していた(文月さん)
1944年後半から1945年くらいになると、それまで威張っていた軍人が普通のおばちゃんに怒鳴られ何も言い返せない、なんていうこともあったという話を当時の記録で読んだことがあります。
戦況の悪化は明らかで軍人も立場を失いつつあったようです。
「アンチタグ」は好きではありません(偽君子さん)
当ブログの朝ドラ評価の基本的な考え方として、ネガティブ評価や誰かを傷つけるリスクがある。ポジティブ評価は誰も傷つけない。最悪でアンチの反発を買うだけ。このように考えています。
感想
裕一くんの背中を押した存在
次週へのフラグが立ちました。
大将が音ちゃんに告げたある噂。裕一くんが激戦地に慰問で派遣されるという噂。大将が音ちゃんに語った噂は、来週には噂ではなくなります。
そして一週間後の水曜日の回。
裕一くんは戦場の現実を目の当たりにし、そして戦場で非常につらい体験をすることになります。戦後の苦悩の最大の原因になるような体験を。
そのような地獄に進ませるかのように裕一くんの背中を押す存在が、見るからに悪辣な軍人でなく、立派な人物であるところが皮肉です。そしてリアルです。
裕一くんの背中を押すもう一人の存在が、母親思いの少年兵であるところがまたつらい。
当時、時代の制約の中で真剣に生きていた人がいた。
そんな真剣な人たちに背中を押された裕一くんもまた真剣だった、ということなのでしょう。
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楽譜は読めないけど空気は読める三隅さん
楽譜は読めるけど空気が読めない五郎
どちらにシンパシーを抱くかと言えば前者ですね、というか社長が控えると言っている活動に傾倒したり結婚挨拶にきて何を熱く語っているのか?
鉄男さんが言うならまだ分かるんだけどね、長年の信頼関係が出来ているから
純粋真っ直ぐな輩は苦手(というか生理的にキライ)なんですよね、個人的には
一曲目はどんなだったんですかね?どうせならそれも流した方が良かったかもと思うのですが、あるていど想像はつくからまぁいっかという感じですね。ここらあたり意見が分かれるかも。
ついでに言うと、小生はいわゆる「アンチタグ」は好きではありません。いわば「同嫌の士」を求めている感じで、どうもついていけないのです。ただ、朝ドラをパートナーのように思っている人なら、その人に「寄り添ってくれている」と思いたいわけで、そう考えるとやっぱり寂しいんだろうなと。もっと言えば、そういうことを言う人は良い視聴者だし、スタッフの方々も参考ぐらいにはした方が良いような気もします。そういう人もできればそんなことは言いたくないだろうし、ましてやあら探しや突っ込みがしたいわけではないはずですから。
「若鷲の歌」製作のころ(1943)になると,大本営発表はともかく,国民の殆どは,戦況が悪いことをすでに察していたと思います。
本来,戦闘員としては不向きとしていた丙種合格者を相当数召集していること,その背景として,戦死公報の送達が増えたことで戦況が厳しいと感じていたと思います。
それは,おそらく予科練の皆さんも感じていたと思います。
いまは一時的に負けてたとしても,最後は日本が勝つとも想いだったのかもしれません。
リアル裕一は,一日入隊のために土浦に向かう前に長調の曲を作り,土浦までの汽車の中で短調の曲を作ったといわれています。「エール」では,予科練の訓練をみて2曲目を作ることになってますが。
そのうえで,リアル若鷲の歌は,上官(士官)からは「勇ましい」長調の曲が推されたものの,練習生の意見を聞くことになり,結果は短調の曲が選ばれたということです。この点でも,練習生にとっては,悲壮な想いで訓練を受けていたことが想定されるかと思います。
ハァ ヨカレン ヨカレン
ではなく
嗚呼 予科練 予科練
ならばカットされなかったかな?
西条八十先生の歌詞で合いの手的なものは珍しいんだけどね
戦後に大ヒットする『トンコ節』で「ネー トンコ トンコ♪」という意味不明な歌詞を書いていますが、それ以外にあるのかな?
因みに作曲はリアル木枯さん、哀愁漂う古賀メロディではなく脳天気な古賀メロディ(『うちの女房にゃヒゲがある』『ああ、それなのに』等)代表作のひとつです
予科練の時代にボール型のバランス養成道具があったことに驚きましたね。
うたコンは再放送があるはずなので、楽しみに待ちます。
1,三隅さん凄い。彼の能力は、映画会社で、スター俳優や監督の我儘や、こだわり、無茶ぶりに応えてきた結果得られたものでしょうね。だから才能て嫌い。
2、風間君の話で、父の話を思い出しました。海軍時代、洗濯全部自分でさせられ、その都度上官にチェックを受け、少しでも汚れや皺があったら鉄拳制裁が待っていたそうです。
3、つり床で寝るのは、帝国海軍がイギリス海軍から受け継いだ伝統です。それこそ帆船時代から。父はつり床の事は普通にハンモックと言っていました。
4.裕一は、濱名中佐に完全にマインドコントロールされてしまいましたね、鉄男の心配が当たりつつあります。
映画が公開された後何が起こるか、想像がついてしまいますね。ひょっとして弘哉くんと華ちゃんの最初で最後のデートが「決戦の大空に」の映画館?「ごちそうさん」の活ちゃんは、学校に来た軍人が弁当の中身を褒めた事が運命を大きく傾けた。あの時め以子が作った大豆製なんちゃってミート(現代にわかに注目を浴びてるのも皮肉ですが)に今度は裕一君の作った「若鷲の歌」が相当するんでしょう。
歌に励まされて敵艦に突っ込んでいった若者の話を美談として語る。
最初のカミカゼは、もう駄目だということから、せめて道連れにと
敵艦に突っ込んだのに、その後はそのことが推奨され、命令され、
その違いに気がつくこと無く英霊に祭り上げられていく。
特攻兵から無事帰還した役者が責められつつも、後には世直しの
水戸黄門役者になったことを思い出した。
「暁に祈る」の時は藤堂先生の心情に沿って「妻子を残す壮年男性の出征」心情をメロディにした。「若鷲の歌」では、「親を残してきた若者」の心情に沿う。見事な対比でした。裕一君の中に引っ掛かっていた骨の様なものとは、自分より下の世代の気持ちがよくわかっていなかったという事でしょうか。華ちゃんは只々可愛がる存在、守ってやるべき存在ですから。智彦さんも言ったように、出征する人にはまず、お国の為より天皇陛下の為より、家族や近しい人の為、があります。その無数のささやかな「誰かの為」を、かき集めて「お国の為」に費やしたのが戦争なんだと改めて思います。
裕一の我がままにおつき合いする僕蔵さんも大変だ、
と思ったんだけど、思い出した、
ソニーの大物役員さんで、
海外アーティストのマネジメントをやっていた人がいて、
海外アーティストも我がままだけど、良いものを作ってくれて、
そんな我がままをなだめたり、すかしたりして、
良いものを作ってもらって、
それが彼の実績になっていたんだって。
僕蔵、がんばれよ!
ヾ(・◇・)ノ ヽ( ̄▽ ̄)ノ ヽ(・∀・)ノ
(-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ
おしまい
教官「音楽は人を奮い立たせる力があります。命を賭して闘う若者の為に曲を作って欲しい」
教官の言ってることは間違いではないんですよね…。
しかし言ってることは神林隊長の「音楽は軍需品」と全く一緒なんですよね…。
教官と握手したことでその考えに乗ってしまった裕一。
音ちゃんとの考えの違いが決定的になってしまいましたね。
昨夜は堀内敬子さんが『うたコン』で久しぶりにミュージカル曲を歌い、裏番組『アメトーーク』で松井玲奈さんが鉄道に関して熱く語ってましたね
なんかほっこりしましたわ、現在のドラマ展開が重いので
裕一の寄り添う姿勢が感情移入と相まってより戦争にのめり込んでいってますね。
悪循環に嵌ってしまっているところは鉄男くんもお見通しのようですね。
違和感には気づいているはずです。
仕事に全力を注ぎ過ぎたが為に現実を直視したくないのかもしれませんね。
鉄男「日本は負け続けている・・・・・・・・。」
この現実も知らずに予科練の若者たちは・・・・・・・。
そう考えると何かね・・・・・・・・・・・。
ごく、個人的な事ですが、私の父は、昭和16年に予科練に入隊しました。丙種なので、戦闘機乗りではなくて、偵察機の要員でした。もともと無口な父だったので、あまりその時の事は語ってくれなかったのですが、鉄拳、精神注入棒による制裁と、訓練が厳しかった事、海軍なので食事が旨かった事、を時々ぽつりと語っていました。ただ「同期の桜」じゃないけど、丙種の同期の人たちは非常に仲が良くお互い助け合ったから頑張れたとも言っていました。この期の人たちは、無事生還できた人が多く(偵察部隊は生還する事自体が任務になっていた為)毎年、最初の赴任地であった鹿児島で同期会を開いていました。ただ父が存命中にもっといろんな事を聞いておけば良かったと後悔しています。