2020年10月8日(木)第17週「歌の力」
あらすじ
裕一が『若鷲の歌』を完成。映画『決戦の大空へ』が劇場公開されると、映画とその主題歌『若鷲の歌』がともに大ヒットを記録しました。その後、裕一には作曲依頼が次々と舞い込むようになりました。
そんなある日、五郎と梅が豊橋から上京し裕一と音のもとを訪ねました。五郎は岩城の試験にようやく合格し、梅と結婚した挨拶をしに来たのです。五郎は裕一に礼を述べました。裕一の助言で岩城の試験に合格できたと。
続けて五郎は秘めた気持ちを裕一に告げました。裕一には人を幸せにする曲を作ってほしい。戦争に協力するような曲を書いてほしくはないと。五郎の言葉に裕一は激怒しました。一方、裕一の怒鳴り声を聞いた音は不安を募らせていました。
その数日後、弘哉が予科練に合格したことを報告するために古山家にやってきました。映画『決戦の大空へ』に感激した弘哉は予科練が自分の進む道だと確信したのです。そんな中、裕一は戦地への慰問を依頼されるのでした。
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予習レビュー
五郎ちゃんと梅ちゃんがやっと結婚できました!
技術は身についているはずだけれど本番に弱い五郎ちゃん。本番に弱いというウィークポイントを克服することができたようです。
岩城さんの試験にパスし梅ちゃんと結婚することができた五郎ちゃんですが、この頃の五郎ちゃんは別のストレスを抱えていました。
五郎ちゃんもキリスト教に帰依するようになっていました。
しかし、キリスト教徒が礼拝のために集会を行うことが監視対象となり、そのことに対して大きなストレスを抱えていたのです。
また、馬具を通して戦争に協力することにも疑問を感じていました。
そんな五郎ちゃんです。戦時歌謡の作曲に前のめりと言って差し支えないペースで仕事を続ける裕一くんの仕事ぶりに違和感を感じるのでしょう。
五郎ちゃんは裕一くんに対する違和感を口にし裕一くんは激怒。
ここまで書くと裕一くんが悪者になってしまうので、ネタバレを含んだフォローをしておきます。
ちなみに、裕一くんの苦悩は次週のビルマの場面で描かれます。
裕一くん自身も自分の仕事に違和感を感じていました。しかし、その違和感を直視できずにいました。
五郎ちゃんの言葉に激怒したのは目を逸らしている違和感を直視させられたからでしょう。
次週、裕一くんは慰問活動のためにビルマを訪問。
戦線に足を運びますが、同行者たちの反対を振り切ってまで戦線に足を運ぶのは、自分のやっていることが正しいと自分を納得させるため。
そんな裕一くんの苦悩が次週には描かれるようです。そしてその苦悩は戦後のさらに深い苦悩のフラグとなるのでしょう。
コメントへの返信 by 朝蔵
ママー、ドゥ ユー リメンバー♪(知らんけどさん)
いつまでも耳に残るあの主題歌は西條八十先生の詞を、角川春樹さんが英訳。さらにそれをもとにジョー山中さんが作詞したものだったのですか!?
2〜3日前、保管したまま存在を忘れていた『人間の証明』の古い資料を見ていたところだったので、なおのことびっくりしました。
現実と本心との折り合い(たいとうみほさん)
光子さんはどこまでなら折り合いをつけていいのか。どこからは許されない=信仰を捨てることになるのか。その境界線をよく理解している人ですね。
彼の形見とならないことを今は祈りたい(よるは去ったさん)
「最後の一個」が、後になって涙を誘う小道具として回収されてしまうような気がしてなりません。(涙)
2人もまっすぐすぎるが故の仲違い(魁光さん)
本当に。裕一くんと五郎ちゃん、二人とも真っ直ぐなので方向が違ってくるとギャップは広がるばかりですね。
「憧れていた世界が思っていたものと違った」(たいとうみほさん)
そういえば裕一くんはコロンブスレコードと契約して業界人のリアルな姿をこれでもかというくらいに見てきましたが、梅ちゃんみたいな言葉を口にしたことがありませんね。
裕一くんは、意外にリアリストなのかもしれません。
音ちゃんの心配そうな表情や苦悩が随所に出た(魁光さん)
音ちゃんが不安を募らせていることを裕一くんはまったく気がついていない様子。二人の間のギャップが日に日に広がってきましたね。
言いたくても口に出せない(魁光さん)
言いたくても口に出せないのか。それとも裕一くんの性格をよくわかっている音ちゃんのことです。今の裕一くんに言いたいことを言ったら日に油を注ぐ結果になることを理解しているのかもしれません。
無駄に命が奪われる(魁光さん)
大将の作詞に対して何度もダメ出しを出したあの厳しい軍人さんの実在モデルも「無駄に命が奪われる」ことを否定することで知られていました。
戦争は狂わせちゃうのね(オペラ座の怪人さん)
スティーブン・スピルバーグの映画『シンドラーのリスト』にも同様のセリフがありました。
姉妹喧嘩なんかしている余裕は無くなります(還暦のたつおさん)
関内家の三姉妹の連れ合い。極端な人が揃いましたね。
敵性語の使用禁止(還暦のたつおさん)
前回の予科練の説明の中で、予科練には英語の授業もあったとのことですが、これで思い出しました。
電車の中で英語の勉強をしていた軍人さんが「自粛警察」から罵られ殴打される事件が戦時中にあったのだとか。
才能を存分に発揮することで、結果的に大勢の若者を死に追いやってしまう裕一さん(紺碧の空はいいなさん)
今の裕一くんは自分が音楽で若者を応援するというその一点ばかり見つめているため、その結果が視野に入っていません。その姿が痛々しいです。
近年のドラマには珍しい、戦争協力にまっしぐらに進んでいく主人公(丹善人さん)
戦争協力する人は一律悪人として演出。従来の描き方とは正反対の、戦争に協力した人たちのリアル(に近い?)姿はとても参考になります。同じ過ちを繰り返さないためにも。
慰問派遣は小山田先生の差し金…?…と思うのは、うがちすぎでしょうか(ずんこさん)
同じことを考えていました。
もし志村けんさんが存命なら、腹黒い小山田先生が宿敵である裕一くんを危険にさらすために仕組む場面が用意されていたのでは?そんな気がします。
フォロワーに対する発信者の責任(たいとうみほさん)
最近もありましたね。ある影響力を持った人物のフォロワーが、その人物が不快な思いをした飲食店を休業にまで追い込む事例が。
戦地での体験がただ『頑張って行ってこい』だけではなく、短調の哀愁をおびた曲づくりになったようです(ともあきさん)
現実を直視した上での曲づくりだったわけですね。そのリアルな苦悩の描写を見てみたいとも思いますが、朝ドラで扱うのはあまりにも重すぎるかもしれませんね。
楽譜は読めるけど空気が読めない五郎(知らんけどさん)
五郎ちゃんはかなり重度のKYですからね。感激のあまり抱きついたり、顔を思いっきり近づけてきたり。やられている裕一くんは困惑気味なのに、それにまったく気がついていません。(苦笑)
窪田正孝さんが激昂した場面は衝撃的(ひるたまさん)
これまでの、ふわふわとした裕一くんの姿は今回の激昂を際立たせるためのものだったのか。そう思わずにはいられないほどでした。
五郎くんが特高に捕まるとしたら(偽君子さん)
五郎ちゃんは萬平さんよりも身体は頑丈そうですが、心は萬平さんより弱そうです。こおk路の弱さがどう出るか、ですね。
サクマドロップの缶(還暦のたつおさん)
ブログ主は、これは狙った小道具としか思えません。華ちゃんが弘哉くんからあの缶を手渡される場面。今後の悲劇のフラグにしか見えませんでした。
感想
「後ろめたい気持ちが戦意高揚の歌に傾かせとる」
音ちゃんが梅ちゃんに語った上に引用した言葉。
この言葉が今の裕一くんの気持ちを見事なまでに言い当てていました。
裕一くん自身も特に召集解除されて以降「自分にできることで国のためになる」みたいな言葉を繰り返し口にしたと記憶しています。
裕一くんが召集解除された理由は音楽による国への貢献。
それならば、音楽によってもっともっと貢献せねばという焦りにも近い気持ちでいるのでしょう。
その焦りが裕一くんの視野を狭めています。
そんな中で訪ねてきた弘哉くんと彼のお母さん。
裕一くんの視界には、予科練合格に顔を輝かせる弘哉くんのことしか入っていないみたいです。
終始、不安そうな表情を浮かべていたお母さんのことを気にしていたのは音ちゃんのみ。
前のめりの裕一くんははどこまで行ってしまうのでしょうか。
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今、気が付いたのですが。「火垂るの墓」で主人公兄妹が、持っていたのもサクマドロップの缶でした。これが意図的な小道具の選択だとすると、やはり悲劇的な結末が予想され、恐ろしいです。
五郎くんが特高に捕まるとしたら、萬平さんよろしくボコられるんでしょうか?あの体じゃそうかんたんにヘバりそうもないような気も・・・などと言ってられるうちはまだ良いのかなぁ。あーぁ。
「裕一さんの大声、初めて聞いた」梅ちゃんのみならず、私も含めた多くの視聴者が同じ事を感じたのではないでしょうか。それ程までに、特に朝の本放送で最初に見た「裕一」窪田正孝さんが激昂した場面は衝撃的でした…!
「あの人、まっすぐ過ぎる…ちょっと不安…」裕一くんと五郎くん、実は似た者同士なのでは?
戦時歌謡の作曲にのめり込んで行く裕一くんと、キリスト教に入信してのめり込んで行く五郎くん…対象は違えど、行動パターンはかなり似通っているように個人的には映ります。
ところで私、「五郎くん」を最初は単なる“賑やかし”お笑い枠でのキャラクターとしか認識していませんでした。“賑やかし”では決して無い重要な役割を担う登場人物だったとは…! そしてこれまた大変失礼ながら、演じる岡部大さんが好演(良い役をもらった、という点はあるかもしれませんが)。単なるお笑い芸人枠を超え、俳優専業でも将来的には行ける方かもしれませんね。(^^)
史実の裕一君は、実はずっと苦しい思いで作曲をしていたようです。
実際の古関裕而さんは、戦時中は戦地に何度も赴いて曲を書き上げていたそうです。
激戦の末に、日本軍が占領した上海の様子などの記録、建物が崩れたり、子供が一人取り残された様子がフィルムで残っているそうです。
戦地の惨状を克明に記録し、こうした戦地での体験がただ『頑張って行ってこい』だけではなく、短調の哀愁をおびた曲づくりになったようです。
私の母が昭和の12年生まれなので露営の歌はよく歌っておりました、伴奏付きのいかにも軍歌ではなく、女性の高音でゆっくりした曲調で歌うとなんとも物悲しいメロディだったのをよく覚えております。
ただ、ドラマの裕一君も古関裕而さんも兵士や国を思いながら曲を作っていたことには違いはなく、今週はなんともやるせない気持ちで週末を迎えそうです。
音楽の世界で成功者となった裕一君が、それ故に負わざるを得ない2つの責任が、今日明確に提示されたように思います。戦時中に限らない、むしろ現代にこそ1人1人が真剣に向き合わなければならない事。まず「下の世代に対する年長者の責任」今の若い者はどうこういう前に、下の世代は上の世代を見て物事を考えるのだと自覚しなくてはいけない。それと「フォロワーに対する発信者の責任」表現した際にそんな意図はなかったとしても、やがて違った解釈をされ使われ方をされ、フォロワーがそれに基づいて何かの行動を起こした時、発信者はどうするべきか。ある意味関東軍の石原莞爾氏もそうですし、昭和時代に、バイク窃盗やガラス損壊で補導された非行少年が尾崎豊さんの歌を言い訳にして、尾崎さんが頭抱えたなんて話を思い出しました。裕一君にとっては、この2つの普遍的な責任が、戦争に直結してしまったのが、何とも過酷としか言えません。
音楽で戦う人々を応援したい、と突っ走る裕一くん。
今の彼の眼には、彼の音楽で元気になった人たちの姿しか映っていません。
元気になった先に、何が待ち受けているのか。
元気になるということが、本当はどういうことなのか。
「命を粗末というな!」と怒鳴る割に、その命が散ることのリアルが裕一くんには見えていません。
この先リアルを知り、肌で実感した後との落差が辛いです。
報国音楽協会からの慰問要請。
報国音楽協会と言えば、会長は小山田先生。
まさか、慰問派遣は小山田先生の差し金…?…と思うのは、うがちすぎでしょうか。
近年のドラマには珍しい、戦争協力にまっしぐらに進んでいく主人公。しかし、
周囲には正反対の考えの人たちが集まってくる。バランスを取ったのか。
戦時中に、特高に監視されながらも信仰を守り続けた人の話は事実。
そんな中でその人達のことを見続けて入信した人もいたでしょう。
あまりにもまっすぐすぎる五郎君に、同じ方向を見ているとわかっていても
少々心配な梅ちゃん。技術は器用なのに、生き方では不器用な五郎君。
弘哉君もこれが最後の登場(回想を除く)が切ない。ドロップ缶、見るたびに
思い出すんだろうね。
現実に自分の歌が、若者までを戦地に送り出していることを実感するエピソードを
入れることの意味。戦争が、自分の歌の力がよそ事でないということを直接
語りかけることで、心の中のバブル状態と、バブル崩壊の落差を示す今週と来週。
天職ともいえる作曲の仕事をまっとうし、才能を存分に発揮することで、結果的に大勢の若者を死に追いやってしまう裕一さんを見ると何とも言えない気持ちになります。最初から頼りなくほんわかした人柄として描かれていただけに、よけいにつらいものがあります。エールはとんでもない地点に到達してしまいました。
「わがビクトリー、いや勝利蓄音機。」敵性語の使用禁止。大戦中に行われた愚かしいことの一つです。
ただ、自粛警察だの言葉狩りだのあったりするから、昔の話だと笑って済ませられないかもしれません。
「落ち着くね。」まっすぐな男と、後ろめたさから前のめりになっている男が、それぞれの連れ合いでは、姉妹喧嘩なんかしている余裕は無くなります。
裕一のような、ほんとに平和的な人も、
ハーモニカ少年のような平和的な人も、
戦争は狂わせちゃうのね。
(/_\;) (/_\;) (/_\;)
(-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ
おしまい
五郎ちゃんは命が無駄って言ったのではなく、無駄に命が奪われるのが許せないって意味だったと思うのですが…。
完全にすれ違ってしまいましたね…。
以前アンビリバボーで9回特攻に行った佐々木友次氏の話がありましたが、無駄死にせず「死ぬまで爆弾を当て続けろ」という逸話を思い出しました。
https://www.news-postseven.com/archives/20180805_714112.html?DETAIL
音ちゃんも歳を経て、自制心が付いてきたのでしょうか?
以前は思ったことをバンバン口に出していたのですが、言いたくても口に出せない。
そんな音ちゃんを見るのは初めて、そして痛々しいですね…。
音ちゃんの心配そうな表情や苦悩が随所に出た回にもなりましたね。
前回の教官との握手で完全に夫婦の思想に隔たりが出来てしまいましたが、さらにそれが加速してしまい音ちゃんも違和感を隠し切れなくなってしまいましたね。
裕一の仕事には口出しが出来ない立場からストッパーになりたくてもなれず、もどかしい表情が痛々しい。
頑固な裕一のことなので、終戦までこのままでしょうね。
梅ちゃんが文学賞の席上で感じた「憧れていた世界が思っていたものと違った」これが五郎ちゃんにも起こった感じですね。だから五郎ちゃんは一度裕一君の弟子になって、音楽の世界に足を突っ込む必要があったんだなという作劇意図もわかりました。憧れの世界、大好きな世界だからこそ、その世界が世に傷を与える事はして欲しくない。何かのスポーツが大好きな人が、そのスポーツの世界でパワハラだのお金絡みだの刑事事件にすら手を染めてしまったらこんなに辛い事はない。五郎ちゃんの信じる音楽の素晴らしさ、音楽だからこそ持つ価値が、歪んでいく様は五郎ちゃんと共に、私も悲しんでいます。
裕一と五郎ちゃん。2人もまっすぐすぎるが故の仲違いですね。
命を賭けて若者の為に寄り添いたい裕一と命を賭けることは無駄死にだと考える五郎ちゃん。
寄り添いたいという考えは一緒なんですよね…。
そしてこのやり取りの後に意図的に差し込まれた弘哉くんの予科練志願…。
結果は自分の曲で大事な恩師や将来ある若者の命を失い、敗戦で結局手元には何も残らなくなってしまう。
正しいと思ったことが全否定されてしまう。これは辛いものですね…。
弘哉「最後の一個・・・・・・・立派に戦ってくるよ・・・・・・・。」
これが彼の形見とならないことを今は祈りたい想いです。
光子さんの、時代にそして自分の生き様に向き合う姿勢もなかなか深い。かつて言った「夢を叶える人は一握り、多くの人は折り合いをつけて生きていく」この「夢を叶える」は、「自分の信じるように生きていく」とも言い換えられます。光子さんは自分の信念は捨てず、将来に「信念を預ける」選択をして、時代に折り合って生き延びようとする。これもまた芯のある、覚悟のある生き方です。光子さんだけはなくこの時代を生きた人、多かれ少なかれ、現実と本心との折り合いに苦しんで、しかしそれを表に出したら危険に晒されるから迷っている素振りなど見せなかったと考えています。この時代だって人の価値観も、折り合いをつける手段もみんな様々でしょう。ネットでは片方で「価値観が現代的すぎる」片方では「繰り返されるステレオタイプ」双方正反対のバッシングがあるようで、自分が見たいようなドラマが見たいのは誰しも同じ。それが「自分が見たいドラマでなければ許せない、作るな」まで行ってしまうと、それは憲法の「表現の自由」に抵触するよと苦々しく思います。
調べたら西条八十先生はかなり軍歌の作詞なされていますね、驚きました
軍歌には外来語が排除されていますが、西条先生も約40年後に歌詞ではない自身の詩が英訳され歌詞として連日連夜テレビで流れることになるとは想像されてなかったでしょうね
ママー、ドゥ ユー リメンバー♪
裕一も多分おかしいなって思って疑問には思っていたんだけど敢えて見ない様にしていたんだろうなと思います実際に公衆の面前で口に出してしまうと非国民呼ばわりされる世の中だったし口に出したいけど口に出しても言えなかったんでしょうねそれでそれを口に出して言える五郎さんが羨ましかったのかもしれないです