2020年11月26日(木)最終週/第24週「エール」
あらすじ
東京オリンピック閉幕の1ヶ月後。作曲家・小山田が亡くなり、小山田の秘書が裕一のもとを訪問。小山田が亡くなる三日前に綴った裕一宛ての手紙を手渡しました。その手紙は裕一への謝罪で始まっていました。
その手紙には、裕一のクラシック音楽の才能に怖れを感じ、裕一の才能をつぶすために大衆曲の作曲の世界に押し込んだことが打ち明けられていました。亡き小山田に代わって詫びる秘書に対して裕一は言いました。小山田には感謝しかないと。
その13年後のある日、作曲家を志す青年・広松寛治が裕一を訪ねてきました。何故、一線を引いたのかという広松の問いかけに対して裕一は語りました。これまで人を応援するために作曲をしてきた。今は自分の中にある音楽を自分だけで楽しみたいのだと。
広松が帰った後、病床の音が海を見たいと言い出しました。裕一と出会った時のように海に行きたいと言う音の願いを聞き入れ、裕一は音を海岸に連れ出しました。そして裕一と音は、二人が出会った頃の姿になり、出会えたことの喜びを口にするのでした。
予習レビュー
小山田先生が亡くなりました。
そして生前に裕一くんに宛てて綴られた小山田さんの手紙が、小山田先生の秘書の手を通じて裕一くんに手渡されます。
当ブログにちょうだいしたコメントの一つに、裕一くんと小山田先生の関係は『アマデウス』のモーツァルトとサリエリの関係にそっくりだというものがありました。
小山田先生の手紙はまさにモーツァルトとサリエリの関係です。
小山田先生の手紙の中に次のような一節があります。
「私が音楽を愛したが、君は音楽に愛された」
『アマデウス』の中で、サリエリはほぼ同じ言葉を口にしたと記憶しています。
そしてサリエリ同様に、小山田先生も音楽に愛されている裕一くんに対して激しい嫉妬の炎を燃やしていたことが手紙の中で明かされています。
ただし小山田先生は裕一くんに謝罪と祝福の言葉を贈りました。
サリエリと異なり小山田先生は、この一事で救われたのではないでしょうか。
そして、志村けんさんが演じた登場人物がこのような形で救われることで、志村けんさんのコントを少年時代に愛でたブログ主も救われました。
コメントへの返信 by 朝蔵
コロナ禍に苦しむ現在の私たちを勇気づけるメッセージ(boxster981さん)
そのような言葉を期待しています。
志村けんさん(荒木エールさん)
はい、おそらく志村けんさんの最後の姿が登場するのでしょう。
全て音楽(よるは去ったさん)
おっしゃる通り、小山田先生の導きがあればこその悟りですね。「感謝しかありません」という裕一くんの言葉は心からのものなのでしょう。
泣けた(柏倉章宏さん)
同感です。
ラストシーンがOPのカット(魁光さん)
『あさが来た』のラストシーンに通じるものがありましたね。
僕の中にある音楽(boxster981さん)
一生をかけた仕事をやり遂げた裕一くんだからこそ言えるこの言葉、忘れられません。
もし裕一が潰されていたら(魁光さん)
もし裕一くんの才能が潰れたら。
小山田先生の人生は、『あまちゃん』の太巻さんの後悔の人生の二の舞になっていたのではないでしょうか。
素敵なつながり方(朝ドラ大好きさん)
朝ドラ史に残るレベルの美しい最終回になりましたね。
禅問答(boxster981さん)
最終回の「禅問答」の意味するところを、時間をかけて考えてみたいです。
欽ちゃんとご近所付き合い(柏倉章宏さん)
史実に忠実に再現したら最終回として成り立たなくなる楽しそうな最晩年ですね。
志村けんさんにこの回まで(還暦のたつおさん)
小山田先生の手紙が志村けんさんによって読まれていたら、感動は別次元のものになっていたでしょうね。
今日が最終回(オペラ座の怪人さん)
はい。ドラマは本日でおしまいです。
あの青年でなくても(丹善人さん)
一線を引いた芸術家の心の中を語らせるには、一線を引くことを望まない若き芸術家の懇願の方が有効だったのだろうという感想をブログ主は持ちました。
メイン演出の吉田照幸さんの手法(紺碧の空はいいなさん)
ブログ主も吉田さんの演出手法にどっぷりとハマりました。
二階堂ふみさんはロカビリーがお好き(ジュリアンさん:115回)
音ちゃんの「中の人」は実際にロカビリー好きだったわけですか!情報提供ありがとうございます。
笑顔のショット(ひよこやさん)
あの笑顔は撮影の合間に偶然撮影したものなんでしょうかね。いつもの穏やかな笑顔でした。
有耶無耶なまま(重信六三郎さん)
放送期間の短縮に加えて収録時期の変更もあったことで、役者さんのスケジュール調整をしきれなくなってしまったんでしょうね。
「大久保さん」(偽君子さん)
素敵なたとえです。大久保さん、大好きでした。忘れらない登場人物の一人です。
忘れられない作品(コテツのママさん)
ブログ主も一緒です。リアルでも困難な日々だっただけにいつまでも記憶に残る作品になりそうです。
絶食して臨まれた(ひるたまさん)
音ちゃんの衰弱しきった様子を出すためにそこまでしていたんですか!?すごいプロ根性ですね。
減量され土色にメイク(名乗る程のものではございませんさん)
あそこまで病人らしさを表現したのは(ブログ主の知る限り)朝ドラ史上初レベルでしたね。
禅問答のヒント(boxster981さん)
第1回のクライマックスでの回収は東京オリンピックに加えて「禅問答」でもあったわけですね。
『純情きらり』(ひるたまさん)
再放送の過去作とのシンクロがそんなところで起きていたんですか!?
「二代目」(二代目魁光さん)
一人の人物の一生をまた一緒に楽しみましょう!
2人の幸せあふれる素敵な最終回(うみさん)
初コメントありがとうございます。
ブログ主の中で『カーネーション』『あさが来た』とともに最終回ベストスリー入りしました。
終わるのが寂しい(Anneさん)
本当に寂しいです。ロスに悩まされそうです。
あの世があるということが明確化(名乗る程のものではございませんさん)
あの世が何度も出てきましたね。しかも、あの世の人たちは実に楽しそう。
「出会えて良かった」は「いい人生だった」と同異義語(青木 環さん)
出会いの質が人生の質を決めますからね。
感想
最終回を迎えるのが不安でした
裕一くんと音ちゃんは前回のうちに最晩年を迎えてしまいました。
特に、いつも元気で飛び跳ねてばかりいたような印象のある音ちゃんの衰弱しきった姿は痛々しいものがありました。
池田さんの死後に一線を引いてしまった裕一くんも未来を感じることができない。
未来に希望がなく「終わり」しか感じられない中で実質的な最終回を迎えるのが不安でした。
裕一くんが広松青年に語った言葉
しかし、裕一くんが広松青年に語った言葉に救われました。
「これまで人を応援するために音楽を作り続けてきた。今は僕の中にある音楽を僕だけで楽しみたい」
広松青年はブログ主の気持ちの代弁者になってくれました。
未来に希望がなく「終わり」しか感じられないというブログ主の気持ちを、そのまま広松青年は裕一くんに投げかけてくれました。
広松青年が口にした、我々若い世代に引導を渡してほしいと言う言葉。
この言葉は、裕一くんと音ちゃんに対して、まだ未来を期待しているブログ主の気持ちそのものでした。
感謝しかありません
裕一くんは、自分の才能が求められる時代の中で、求めに応じた仕事をやりきりました。
裕一くんが生きた時代は、明るく楽しい時もあれば、暗く不幸な時もありました。
そして、そんなアップダウンの激しい時代が裕一くんの才能を必要とし、裕一くんも時代の要請に全力で応えました。
そして、そんな裕一くんを音ちゃんが全力で支えました。
そんな裕一くんと音ちゃんを、未来にまで引きずり回そうとするのはあまりにも酷というもの。
裕一くんが亡き小山田先生に言った言葉を借りるなら、今は裕一くんと音ちゃんに対してブログ主は感謝しかありません。
二人に未来を期待する気持ちは、感謝の気持ちに書き換えられました。
実質的な最終回
『エール』の実質的な最終回。ドラマはこれでおしまいです。
再放送も含めて8ヶ月にわたり当ブログにお付き合いくださった皆様、ありがとうございました。
明日のカーテンコールで最後の元気をもらい、まだしばらくは続きそうな困難な時代を走り抜けましょう。
なになに、古関裕而をモデルにしたドラマ?あの「栄冠は君に輝く」の!見ます見ます完走します、と誓った3月末。
予想以上に面白いドラマだった。裕一が人気作曲家になってからの、彼の仕事にまつわるエピソードが特に。レコード会社の録音風景やオーディション、ラジオ番組制作の裏側、ヒット曲の秘話etc.
そしてラストシーン。病床の音を連れて海へ向かう裕一、若き日に戻った二人。「出会えて良かった」は「いい人生だった」と同異義語だね。清々しいラストでした。満足。
スピード感や映像美、繰り広げられるアイデアと技術…紺碧の空はいいなさんに激しく同意!
名乗る程のございませんさん、さすがです!私も宗教的な救いをずっと感じて来ています。
ひるたまさんのご指摘、わたしも読んでました。重複しますが独自視点もあるのでご勘弁を。
キャストが優れているとかシナリオが良いとか新機軸に挑戦したとか何かに優れたドラマは少なからず存在する。だが全てにおいて良質でなおかつ挑戦的な演出を取り入れ、かつコロナ禍という予想も出来ない突風も跳ね返したドラマというのは記憶にない。エールはいろんな意味で間違いなく歴史に残る作品となり朝ドラのステージをまた一段高く押し上げたと思う。
もともと極めて実力の高い俳優が本気で臨んだ本番は制作者の意図をすら軽々と超える高みにもたらした。薬師丸さんの讃美歌シーンは圧巻だったが今日の二階堂さんの病床の呟くような歌唱のシーンはおそらくそれと双璧だろう。朝初めて観た時まるでゾンビのようなメイクだなと思ったが気が引けて「瀕死の」とだけ記した。だが吉田さんの手記によれば二階堂さんが絶食して臨んだという。半ば窪んだ眼は半分リアルだったのだ。そして歌ったのは二階堂さんの提案。そのことが吉田さんをして砂浜のシーンを音楽のみで音入れなしという賭けに踏み切らせた。初見の時の私の感想は甘あまで「会えてよかった」「幸せでした」という二人のセリフを際立たせるため他の音を消したと解釈し、楽曲の歌詞がシンクロしている奇跡に感動していたのだから恥ずかしい。ちょっと凄いことが起きているので、今後の作品に関わる方々は西も東も大変だろうなと思わずにはいられない。
家族や友人の心情を大切に扱った人間ドラマでありながら適度に歴史的なスパイスを利かし抜け目なくコメディを散りばめ軽快に駆け抜ける。そうかと思えば時に荘厳な映像と音楽で宗教的なカタルシスまで感じ取ることができる。筋立てだけでなく漠然と観ても楽しめるドラマとなっている。キャストも主要俳優だけでなくミュージカルメンバーからお笑い芸人までプロの仕事を成し遂げた。テレビなのに奇跡の舞台を観てる気分だ。
さらにクルマの比喩で言えばボディー剛性が高いとでも言うのか、構成がしっかりしていて伏線とその回収がほぼ完璧なのでバランスの良い走りとなり、知的な納得と満足感が得られミステリーシンパの心も掴むことが出来たと思う。乱暴に扱っても、いや不可抗力で悪路に放り出されたというべきか、どんな場合でも走りに破綻が見られなかった。だから実際にこのドラマ終わった後で予想通り後悔やロスが少ないと感じている。むしろ過去の人気作で数々事例があったようにスピンオフが色々と出てきたら面白いと期待しているところだ。
このドラマの世界観における死は決して悪いものではない、あの世があるということが明確化されている。だから音さんと裕一さんはしばしのお別れ、あちらで仲良く暮らせる未来永劫がある。
朝蔵さん、こんにちは。
色々あったエールですが、今日の回は振り返るシーンを見ていて込み上げるものがありました。また、小山田先生の笑顔のショットにはやられました…。
終わるのが寂しいです。
いつもブログを楽しみに拝見しています。
コメント初めて失礼いたします。
とうとう最終回が来てしまいましたが、2人の幸せあふれる素敵な最終回でした。
志村さんの映像もとてもチャーミングでしたね。
思わずグッときてしまいました。
先日、地元茨城の名監督、木内監督がお亡くなりになりました。
木内監督は取手二校を率いて84年にPLを押さえて優勝しましたが、取手ニ校の校歌は古関裕而さんの作曲だったようです。
改めて気づいて、なんだか嬉しくなってしまいました。
u-nextで2回目を見て急に終わってしまうんだと実感しています。
この未曾有のコロナ騒動での中断、志村さんの死去、回数短縮。様々な困難にぶち当たりましたが、窪田さんが座長じゃなかったら乗り切れなかったでしょう。
俳優としての豊富な経験と底抜けの明るさでスタッフ、共演者や視聴者を盛り立ててくれました。公式Twitterを見ていたら一目でわかります。
演者、スタッフ皆様に声を大にしてエールを頂いてありがとうと言いたいです。
そして今作からコメントをさせて頂きましたが、私の珍言妄言の数々を丁寧に拾い上げてくださって本当にありがとうございました。コロナ禍の真っ最中に九州から上京した私の苦しい毎日の楽しみとなりました。
そして最後にロスはありますが、すぐに次の「おちょやん」が始まります。ロスを振り切るためにハンドルネームに「二代目」と付けて、気分一新で行きたいと行きます(笑)
今後とも「二代目魁光」を何卒よろしくお願い致します。
現在夕方の時間帯で再放送中の『純情きらり』録画を先程まで見ていました。
今日放送された第106話を見ていたら…何とまぁ『露営の歌』が!(子供達が歌っていた)
…思わず録画を見ながら過剰反応してしまったのは私だけでしょうか…??(^^;)
無論『純情きらり』の方が制作年度は先なのは言うまでも無いのですが。。
また、同じ第106話で『故郷(ふるさと)』も使用されていました。奇しくも『エール』で重要な役割を担った2曲が使用された事、何かの縁(因縁?)なのでしょうか…??
なお余談ながら『純情きらり』には若き日の「落合支店長」相島一之さんが出演されていますね。個人的には、落合支店長だと気づくのに少し時間が掛かりましたが。(^^)
禅問答のヒントですが意外なことに…初回の冒頭に示されています
♪
古来音楽は人とともにあった
以来人は音楽を愛した
ずっと音楽は人のそばにある
♪
制作サイドが解釈したこのドラマでの音楽観だといえるでしょう
やはり裕一の思いは広松青年が言うような正統性とか後継者などと対極にありそうです
だから彼の熱意が大上段に構えすぎであることを見抜いた上で柔らかく説いたと解せます
君たちの音楽は君たちのそばにあると…言葉だけでなく手を軽く乗せる動作まで添えて…
戦場を描くことに続く新たな試み、それが末期癌患者だったと思います。
二階堂ふみさん、減量され土色にメイクされていますね。
朝からリアルな闘病を描くのは賛否があるかと思われますが(個人的には『純と愛』にてリアルに描かれた認知症はかなり引きましたが)個人的には有りと思います、『スカーレット』にて描かれたあの時代にありえない癌治療を見た後なので尚更。
ネットニュースetc.によれば、「音ちゃん」二階堂ふみさん、病床の場面の撮影の時には絶食して臨まれたとの事。メイクの助けもあったでしょうけれども、《病気の時の顔色の悪さ》はTVのこちら側まで伝わって来ました。(二階堂さんはオーディションで決まった訳ですが、むしろキャスティングでも良かったのでは?という気もしますね。今となっては二階堂さん以外の方が演じる「音ちゃん」はちょっと想像つきません)
病床での場面撮影終了後の二階堂さん曰く「揚げパンが食べたい」さぞかし美味しく感じられた事でしょうね…きっと。(^^)
二階堂ふみさんといえば、歌唱場面も話題になりました。おそらく出演が決まってから本格的にクラシックの声楽のレッスン(猛特訓?)を受けられた筈…視聴者の1人としては、本作が終わってからも二階堂さんには歌のレッスンを続けて頂きたいな~とも願っています。(おそらく現時点では先ず学業の方が最優先で、且つそちらで忙しくなる事でしょうけれども…)
「エール」私の中では忘れられない作品となりました。
最後は駆け足のように終わってしまいましたが
しばらくは「エールロス」になりそうです。
朝蔵さん いつもありがとうございます。
今日も涙があふれてきましたが明日はどうなるのかな?
また泣いちゃうかな?
楽しみです。
見方によっては、小山田先生こそある意味「大久保さん」(わかりますよね?)だったかもしれませんよ。あのときそう簡単にOKを出していたら、中島みゆきさん流に言えば「台所のオタマかなにかのように使える」、市井の人たちに寄り添うような曲を、裕一くんが作ることはかえってできなかったでしょうからね。
遂に今日でドラマは終わり…。
戦後編には殆ど登場しなかった五郎ちゃん・梅ちゃん夫妻のその後は?
匂わせただけだった杉山女史の大将への思いは?
結婚時にはデビュー前だったアキラ君のバンド活動は?
等々、有耶無耶なまま終わってしまった事が幾つかがありますが…。
いつか回収されるのでしょうか…。
まさかああいう形で小山田先生のシーンが登場するとはという感じでした。
本編では終始難しい顔をしていた小山田の志村さんの笑顔のショットには驚かされました。
終わり方に異論はないのですがなんか最後が…なんか余っちゃったの?と
今までにないことが起きた故の今までにないエンディングなんでしょうかねぇ…………
エール、物語はとうとう終わってしまいました。でも、最後まで素敵なご夫婦でした。死を予感させながらも明るい海の映像、とても美しかった。
メイン演出の吉田照幸さんの手法に賛否両論あることは知っていますが、私は大好きです。日程が押している中で、映像・会話・ナレーション・音声などすべての技術を駆使して突き進んでいくドラマはスピード感があって見応えがありました。22年の大河ドラマの演出も担当されるとのこと、今からワクワクしています。
どうにも最終回らしくない最終回でした。まるで晩年の人へのインタビューだけでの
構成の様な。あの青年でなくても、雑誌記者やドキュメンタリー番組の司会者でも
よかったような。
本当は小山田先生の声で手紙が読まれるはずだったのでしょうが。
で、回想シーンにも五郎君は出てこず。スピンオフで出すのかな。
今日が最終回だったのね。
小山田先生の謝罪がありました。
双浦環さんは?
廿日市さんは?(八日市だったっけ?)
まあ、謎は残りますが。
半年間+2か月、ありがとうございました。
ヾ(・◇・)ノ ヽ( ̄▽ ̄)ノ ヽ(・∀・)ノ
(-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ
おしまい
誰かを応援する音楽を書く。それは、時として、多くの人を励まし、また多くの人を傷つけてきた。広松君は、裕一の抱えた苦悩、葛藤を知る事はないだろう。自分から湧き上がる音楽を再び自分だけのものにすることによって純粋に音楽を解放したかったんだろうなあ。残念なのは、志村けんさんにこの回まで、生きていて欲しかった事です。
その頃は、欽ちゃんとご近所付き合いしていたみたいですよ。
裕一は学生のように正統とか後継者などはないと思っていますね。
手紙の中で嬉しかったのは音楽を愛する「同志」という部分であったかと。
先導して道をを示す気はないし音楽は音楽としてともにあれば良い。
予想と異なり禅問答のようでした。
学生がそのことに気付くには修行と年月が必要なのかも…。
でも気付く人は幸いな人々で気付けないひとが多数かも。
この状況下の中なので、最後の方はかなりはしょって構成されていて仕方が無いな・・
と思って毎日見ていましたが、今日の最終話はとっても素敵なつながり方をしていて
感動しました。明日のカーテンコールも楽しみです。
小山田先生の真意。
最初から裕一のことを認めていたんですね…。
裕一は音楽に好かれていた。だからこそ嫉妬すること自体がちっぽけなことに感じてしまい、さらに嫉妬するという悪循環だったんでしょう。
それがいつしか「音楽を使って有望な作曲家の人生を振り回してしまったという冒涜」から後悔に変わった。
そんな小山田先生にとっての救いが裕一の活躍でしたね。
もし裕一が潰されていたら、小山田先生も後悔から潰れていたのかもしれませんね。
学生は聞く、何故流行歌に?
そして、何故お元気なのに曲を書かないのか?
第1の答えは、13年前の回想、小山田の手紙で語られる。
第2の答えは、
もう僕の中にある音楽を僕だけで楽しみたいんだ
次は君たちが担ってくれ!
病床で瀕死の音 海が見たい
歌を歌いたい
分かった、行こう
よろよろと歩き出し…やがて軽やかに走り出す演出
タイトルバックでも使われる海辺のシーン
若いころの二人に戻って…
しっかりと結びきりましたね
最後に別編集のみんなへのエールがあって特別編の告知でした
ラストシーンがOPのカットでした。
当方、梅ちゃんの小説エンドを予想していましたが、特大フラグを毎日のように見ていたのに完全に見落とす痛恨のミスでした…。
今日が実質最終回でしたが、終わったという感覚が全くありません。
戦後からの展開がダイジェストのようにかっ飛びすぎて追いついていけてない部分もあります。
明日はより終わってしまうんだという実感が湧いてくるんでしょうか。
最後の「星影のエール」の入り方には泣けた、
裕一「クラシックと流行歌の区別はない・・・・・・全て音楽・・・・・・。」
小山田耕三先生の導きがあったからこそ得られた境地なのでしょうか。
1949~1950年にかけて古関裕而先生作曲のオペラが三篇放送され、それには古関金子先生が出演しているそうですね。
共演者には藤山一郎先生、山口淑子先生もいたそうですが。
「夫」が作曲した「オペラ」を「妻」が歌うという
夢が、「放送」というドラマの中でも涙をのんで身を引いた「帝国劇場」以上の規模の「舞台」においてリアルでは叶えられているんですね。
「帝国劇場」の出演から身を引いた音ちゃんが泣きながら裕一君に詫びている場面を視た時はその辺りドラマ化されるかなあと期待したのですが、様々な事情考えると難しかったかな?
水曜日(11月25日)の放送でオリンピックから一気に祐一さんと音さんの晩年期までタイムスリップしてしまって音さんが闘病生活に入ってしまったから木曜日の放送で音さんますます心配。祐一さんも少し心配です。マッサン以来のヒロインの死を描いた作品にエールはなって欲しくないですね。いい形でドラマを終えて金曜日の歌合戦(予定)更には次の朝ドラ[おちょやん]につなげて欲しいです
。この日は出張のためハードディスクにいれて金曜日に2話続けて見るつもりです。
志村けんさんが出てくるのはこの回(11月26日)になりそうですね。この回は音さんが老後に入っていて療養生活という設定だけど、音さん少し心配ですね。多分亡くなることはないと思いますが元気であって欲しいです。
広松寛治役の松本大輝さんは北海道出身のジュノンボーイ(第31回グランプリ)です。ネットVの出演はありますが地上波はこれがデビューではないでしょうか?裕一は作曲家志望のこの青年にどんなエールを贈るのでしょうか?きっとこのドラマを締めくくり未来へと橋を架ける象徴的な言葉になるに違いありません。ひょっとしたらコロナ禍に苦しむ現在の私たちを勇気づけるメッセージが含意されているかも。音楽にはそんな普遍的な側面がありますから…。