NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『おちょやん』
2020年11月30日 〜 12月4日放送
あらすじ
「おちょやん」として働きはじめる千代
千代が口入れ屋に連れて来られた奉公先は「岡安」という名の道頓堀では最大の芝居茶屋でした。そこではお茶子と呼ばれる女性たちが何人も働いていました。
忙しく働くお茶子の一人が千代に激突。そのお茶子に悪態をついた千代は、その現場を目撃していた岡安の女将・シズから奉公を断ると言い渡されました。
シズの母・ハナがその場を収め、代わりの子が見つかるまでという条件付きで千代は奉公を許され、千代は岡安の下働きとして働けることになりました。
千代と一平の出会い
岡安での千代の生活が始まりました。岡安の本家で「福富」の女将でシズとは犬猿の仲である菊への使い走りから掃除、洗濯まで様々な仕事を千代はこなすことになりました。
そんなある日の夜、千代は、千代のことを河童と勘違いした少年と遭遇。その少年の正体が人気の喜劇一座「天海天海」座長の息子・一平であることが次の日に判明します。
一平は天海一座の子役でした。そのため学校に通えないことに不満を募らせていました。学校に通えない一平の境遇を知った千代は一平に共感。一平を親友と呼びました。
天海天海(あまみてんかい)の死
一平の父・天海天海が突然倒れそのまま帰らぬ人となりました。ほどなくして、喪主「鶴亀株式会社」社長・大山によって、天海天海の葬儀が盛大に行われました。
大山は天海一座の座員たちに、一平を二代目に育てるよう厳命。座員たちは一平には無理だと異を唱えようとするものの、大山は反論を許しませんでした。
葬儀が終わり、生前の天海が一平のことを気にかけていたことを千代は一平に告げました。父を毛嫌いしていた一平は、千代の言葉を聞かされて初めて涙を流しました。
テルヲの夜逃げが知らされる
天海天海の葬儀が行われたの同じころ、千代の故郷の南河内の小林家の主が千代を訪ねて岡安にやってきました。
小林や金貸しから借金を重ねていたテルヲが借金の返済に窮して夜逃げしたことを、小林は千代に知らせに来たのです。
千代は弟のヨシヲのことが心配でした。しかし千代は、テルヲたち家族はもう赤の他人だ、自分とは関係ないと小林に言い放ちます。
岡安の「おちょやん」として認められる千代
シズが千代に対してクビを言い渡しました。父を亡くした一平を励ましていた千代は、そのことでシズの使いの時間を守れなかったのです。
岡安を追い出されてしまいゆく当てもない千代が、雨が降る神社の境内にたたずんでいると、千代に傘を差し出す者が現れました。シズの母・ハナでした。
岡安に連れ戻された千代はシズたちに自分の境遇を話し、岡安においてほしいと懇願。シズはついに千代を「おちょやん」と認めるのでした。
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今週の展開
第6回 12月7日(月) 千代の奉公先は芝居茶屋
第7回 12月8日(火) 千代の受難の日々始まる
第8回 12月9日(水) 千代の初めての芝居体験
第9回 12月10日(木) 一平の父、天海天海の死
第10回 12月11日(金) 岡安を追い出される千代
予習レビュー
手厳しいシズさん
リトル千代ちゃん時代2週目。1週目は生家での極貧生活の日々が描かれましたが、2週目からは奉公先で働く日々が描かれます。
食うや食わずの貧乏な日々。親としての自覚がなくあまりにも残念なお父ちゃん。そして、子供を可愛がるつもりなどない継母。
あまりにも酷い設定の第1週で早くも脱落する人が出てくるかもしれません。
しかし2週目で、酷いドラマが苦手な人も許容範囲内に入るのではないでしょうか。
ただし番宣によれば、リトル千代ちゃんが奉公に出された芝居茶屋「岡安」の女将・シズさんはなかなか手強い人物です。
仕事がなかなか上達しない千代ちゃんを追い出しにかかるらしい場面もありました。
しかし、千代ちゃんを追い出しにかかるのは理不尽な言いがかりではなく、女将としては当然のことのはず。
手厳しいシズさんに認められるまで辛抱すれば、酷いドラマが苦手な人も安心して観ていられるのではないでしょうか。
二つの運命の出会い
千代ちゃんの人生にとっての二つの運命の出会いがこの週で描かれます。
一つ目の出会いは一平くん。
後に千代ちゃんと一平くんが結婚することが、キャスティング発表時にすでにアナウンスされています。
二つ目の出会いは女優の高城百合子さん。
リトル千代ちゃんが女優を志すきっかけになるのが、女優の百合子さんとの出会いです。
二つの運命の出会いが重なり、2週目にして千代ちゃんの人生が動き始めました。
生家を半ば追い出された千代ちゃんの不幸は、幸運に転じたようです。
おちょやん|感想あらすじネタバレトップページ
小生はまた思うんですが、ことに女性の場合、冒頭が過酷であればあるほど良いかもしれないし、谷から山に移ったときの喜びが大きくなるのではないかと。というより、むしろそういう「過程」が見たいわけで、「結果」はあとからついて来れば良いのでは。その方が、こういう時代を生きている自分たちに寄り添ってもらえてる気分でしょうし、自分もまた人物に寄り添えるわけで、そうしてさえくれればAKもBKもへったくれもないんでしょうね。
以前「アンチタグは好きではない」と書きましたが、しかしそういう「同嫌集団」が発生するのは、けっきょく「寂しい・悲しい・シンドイ」という思いからで、寄り添ってほしかっただけで悪口など言いたくなかったのかも。まぁあれですね、非協力的な旦那さんに愛想を尽かしかけたけれど、新婚のころ優しかった思い出があるもんだから別れるに別れられず葛藤しているときの気分ですかね。