2025/9/25(木)最終週/第26週「愛と勇気だけが友達さ」
あらすじ
昭和63年(1988年)10月3日。2年の歳月をかけてテレビアニメ『それいけ!アンパンマン』はついに完成。初めての放送を見ながら、のぶや嵩はこれまでの歩みに思いを馳せました。のぶと嵩に縁のある人々もアンパンマンの放送を感無量で見守りました。
そのころ、蘭子が難民キャンプに取材に行くことになりました。出発を目前にひかえた蘭子に、八木はバースデーカードをプレゼント。そのカードの中には指輪が入っていました。八木の気持ちに触れた蘭子は笑顔で旅立って行きました。
一方、テレビアニメの大ヒットによって嵩は人気漫画家に。嵩の事務所はアシスタントも増え忙しくなりました。そんな中、のぶは神妙な表情を浮かべながら茶の湯の弟子の星子に嵩の事務所で働いてほしいと頼みました。
星子に頼みを引き受けてもらったのぶは病院へ行きました。のぶが病院に行ったことを星子から聞いた嵩は、あわててのぶのもとへ。そして、のぶが手術が必要なほどの状態になっていることを初めて知り嵩はショックを受けました。
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感想
アンパンマン飛ぶ
ようやくアンパンマンが飛び立ちました。
しかも、これまでさっぱり売れなかったことがまるで夢としか思えなくなるような大ヒット。
アンパンマンがさっぱり売れなかった日々も今では信じられませんが、それよりも代表作がない漫画家と自虐していた頃の嵩くんも今から考えるとまるで別人。
これで思い出すのはリアル嵩くんの次のような言葉です。
「生きるって、満員電車に乗ることみたいなもの。すごい満員電車でも、ずっと降りずに頑張っていれば、いつか目の前の席が空くんです」
まさにこの言葉通りの嵩くんのこれまでの人生でした。
蘭子ちゃんと八木さん
蘭子ちゃんと八木さんの関係の描写は今回が最後でしょうか。
八木さんがついに蘭子ちゃんにプロポーズしました。
実に八木さんらしいやり方で。
八木さんが蘭子ちゃんにバースデーカードを渡しました。
誕生日にはちょっと早いらしいですが、誕生日のタイミングは蘭子ちゃんはきっと海外なのでしょう。
なのでバースデーカードを渡すのは渡航前の今しかない。
ところで八木さんが蘭子ちゃんにバースデーカードを渡す直前、これから危険と思われるエリアに渡航する蘭子ちゃんに言いました。
「危険だけは冒さないでくれ」
いつもの八木さんらしからぬこの一言だけでも八木さんの蘭子ちゃんへの気持ちは十分に伝わってきました。
しかし視聴者の誰もが分かるような小道具がバースデーカードの中に仕込まれていました。
バースデーカードの中に入っていたのは指輪。
指輪の存在に気がついたらしい蘭子ちゃんに対して八木さんが一言。
「帰ってきたら考えてくれ」
何を「考えてくれ」なのは明らかです。
この八木さんの言葉に対して蘭子ちゃん答えて曰く。
「分かりました」
そして蘭子ちゃんの笑顔。
この、わずか数秒から十数秒のやり取りで、蘭子ちゃんと八木さんの今後の関係がこれ以上望めないほど語りつくされていました。
戦争で心に深い傷を負った蘭子ちゃんと八木さん。
アンパンマンがついに飛んだタイミングでようやく再び幸せをつかむことが確定しました。
手嶌治虫
手嶌治虫が久しぶりに登場しました。
アンパンマンの放送が始まった1988年、リアルでは手塚治虫氏に何があったのかを覚えていました。
そこで、改めて情報を探してみると・・・
手塚治虫さんは1988年3月に腹部の激痛で救急搬送されていました。
検査の結果、進行性のスキルス胃癌と判明。
ただし本人は最後まで自分の病気を知りませんでした。
手塚治虫さんは救急搬送されそのまま入院。
5月には退院したものの、体力が低下し続けました。
そしてアンパンマンの放送が始まった1998年10月に再入院。
翌年の2月9日に死去しました。
享年60歳。
今回久しぶりに登場した手嶌治虫。
死の5ヶ月前の姿と思われます。
手嶌治虫がつぶやいた一言「柳井さん、おめでとう」。
これは手嶌治虫が嵩くんに贈った最後の言葉なのかもしれません。
黒井先生とうさ子ちゃん
黒井先生の出番はもうないのかな?
うさ子ちゃんはどうしているんだろう?
これがずっと疑問でした。
そんな二人がまさかの再登場。
お二人とも人生を教員に捧げていたようです。
のぶちゃん同様、お二人とも終戦直後は苦しんだはずです。
その困難を乗り越え、今もお元気そう。
黒井先生は変わらず黒井先生でした。
予習レビューと史実のリアルエピソード
今週、のぶちゃんが病気に。
来年の桜は嵩さんと一緒に見れないかもしれない、みたいな悲しいセリフをのぶちゃんが口にする場面があります。
これは史実をモチーフにしたエピソードです。
では実際に何があったのか。
以下にまとめてみました。
余命三ヶ月
テレビアニメ『アンパンマン』の放送が始まり快進撃が続いていたころ、リアルのぶちゃんが体調を崩しました。
リアル嵩くんはすぐに病院に行って診てもらうことを勧めました。
リアルのぶちゃんもそうすると答えはしたものの、忙しさの中で病院に行くことを先延ばしにして一ヶ月ほどが経過。
昭和63年(1988年)12月、リアルのぶちゃんが東京女子医大病院に行くと乳ガンであることが分かりました。
入院したその日のうちにリアルのぶちゃんは手術を受けました。
そして手術後に担当医に呼び出されたリアル嵩くんは、リアルのぶちゃんのガンはすでに全身に転移しており余命三ヶ月であることを告げられました。
実はリアル嵩くんはリアルのぶちゃんが痩せてくるなどの異変に気がついていました。
リアル嵩くんは深く後悔しました。
一方、手術後のリアルのぶちゃんは骨と皮だけになり、本人も「ダメかもしれない」と口にするほど弱気になっていました。
里中満智子
リアルのぶちゃんが病気であることを、リアル嵩くんは誰にも告げずに黙々と仕事に取り組む日々を送っていました。
そんなある日、リアル嵩くんは日本漫画家協会の会合に出席。
リアルのぶちゃんのことが心配でならないリアル嵩くんは、会合の席で一言も言葉を発することができませんでした。
会合が終わりリアル嵩くんが会場を出ると一人の人物がリアル嵩くんを追ってきました。
古事記や万葉集などを扱う漫画で有名な少女漫画家・里中満智子さんでした。
それまでリアル嵩くんと里中満智子さんの間には特段の交流はありませんでした。
しかし、リアル嵩くんの沈んだ表情を心配した里中満智子さんが声をかけてきたのです。
リアル嵩くんは、リアルのぶちゃんがガンであることを里中満智子さんに打ち明けました。
「実は妻が……。妻がいないと生きていけない。どうしたらいいのかわからないんだ」
すると里中満智子さんから意外な言葉が返ってきました。
「私もガンだったの」
実は里中満智子さんは子宮ガンを丸山ワクチンで克服していたのです。
その場で里中満智子さんは丸山ワクチンの入手の仕方をリアル嵩くんに伝授。
後日、里中満智子さんは自分自身のガンを克服するためにやったことのリストを、リアル嵩くんに送ってくれました。
回復したリアルのぶちゃん
リアル嵩くんは丸山ワクチンを入手し、主治医に注射してもらいました。
丸山ワクチンの投与を続け一ヶ月。
それまで寝たきりだったリアルのぶちゃんの体力は歩けるまでに回復しました。
そして入院した月の月末には退院し、自宅まで歩いて帰れるほどに元気になっていました。
しかしリアルのぶちゃんの残された時間は二ヶ月。
その残された二ヶ月をどのように過ごすべきかリアル嵩くんが考え続ける中、リアルのぶちゃんの顔色は日に日に良くなり体重も増えてきたのです。
リアルのぶちゃんは若い頃から体重が45キロを超えたことがなかったのだとか。
そして入院中には体重は35キロにまで減少。
ところが退院後は体重は50キロにまで増え、退院後一年経つころには発病前に続けていた茶道の稽古も再開できるほどになりました。
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ドラマも最終回直前になると必ずある懐かしい人々総出演(喜)
健ちゃん(懐かしくないか笑)が始めたカレー店は、いつものカフェですよね?引退したマスターから譲り受けたのでしょうか?
そして、メイコちゃんが忙しくなることで、星子ちゃんが雇われる展開に繋がります
黒井先生、80~90代かと思われますが背筋がシャンとして、さすが!鍛え方が違います
うさこちゃんは、女学校時代は早くお嫁に行くのが夢だったのに、嫌なお見合い相手から逃れる為に進学したら、最終的にはキャリアを極めて校長に! 大志を抱いていたのに夫を支える主婦になったのぶちゃんとは対照的です
お二人とも戦後は価値観の変化に相当苦しんだと思いますが、2人いたからこそ乗り越えられたのではないでしょうか? また、うさこちゃんは、時代に流されたというより、黒井先生一筋に着いて行ったという感じなので、黒井先生が立ち直れば同時に立ち直るのでは?
そして、今回、何より嬉しかったのは、秘書さんの再登場‼ まだ現役で、理想と現実の落とし処を捜しつつ歩み続けているんですねきっと
ワイはちっとも萌えませんでした
ラス前、懐かしい人達が次々と現れ(故人含む)。星子さんをリクルート。のぶさんは恐らく彼女を事務所のまとめ役の後継に。史実通りに展開すると愛する人との悲しい別れが。.