2025/9/26(金)最終週/第26週「愛と勇気だけが友達さ」
あらすじ
のぶが退院しました。
退院はできたものの、自分がいなくなった後の嵩のことがのぶは心配でした。
のぶは自分がいなくても大丈夫かと嵩に問い、そんなのぶを嵩は抱き寄せました。
一方、アンパンマンは日本中の子供たちのヒーローになっていました。
アンパンマンの成功を心から喜ぶのぶは、「嵩はうちのアンパンマンや」と嵩に言いました。
参考:地デジ番組表
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鑑賞後の感想
感想欄は放送後に追記します。
予習レビューと史実のリアルエピソード
一時は、自分に残された時間はわずかしかないと覚悟したのぶちゃん。
しかし、奇跡的に5年も生きながらえた姿が描かれドラマは完結。
最期の別れという悲しすぎる場面は描かれないようです。
では、史実ではリアルのぶちゃんとリアル嵩くんの別れはどのようなものだったのか。
以下にまとめてみました。
「アンパンマンの勲章を観る会」
1991年(平成3年)、リアル嵩くんは勲四等瑞宝章を受章。
大勢の知り合いにお祝いしてもらったリアル嵩くんは、そのお礼にと「アンパンマンの勲章を観る会」と銘打ったパーティーを開くことにしました。
赤坂プリンスホテルで開かれたそのパーティーはリアル嵩くんがショーを企画。
リアルのぶちゃんはパーティー嫌いでしたが、こんなに楽しいと分かっていたら私の友だちも招待したかったと大喜び。
そこでリアル嵩くんは、もう一度やるのでリアルのぶちゃんの友達を全員招待しようと約束しました。
しかしその頃、リアルのぶちゃんの体調は再び悪化し始めていました。
それまでリアルのぶちゃんは丸山ワクチンを1日おきに投与していました。
しかし、ガンが全身に転移していることを知らされていなかったリアルのぶちゃんは、体調が良くなったことで丸山ワクチンを打つのやめていました。
しばらくの間、その事実をリアル崇くんは知りませんでした。
そして、丸山ワクチンの投与をやめた事実をリアル嵩くんが知って、丸山ワクチン投与の再開をすすめてもリアルのぶちゃんは拒んでいたのです。
「アンパンマン20周年の未来を祝う会」
1993年(平成5年)7月、リアル崇くんはリアルのぶちゃんと約束したパーティーを開くことにしました。
パーティーのタイトルは「アンパンマン20周年の未来を祝う会」。
リアルのぶちゃんはその日が来るのを楽しみにしていましたが、パーティーの直前に容態が悪化し車椅子なしでは参加できないような状態に。
しかし車椅子に乗った姿を人に見せたくないというリアルのぶちゃんの気持ちをリアル崇くんは大事にし、リアルのぶちゃんは欠席。
リアルのぶちゃんのために開かれたパーティーはリアルのぶちゃんが不在のまま開かれました。
その四ヶ月後の11月13日、リアルのぶちゃんの容態が急変しました。
リアルのぶちゃんの最期
リアルのぶちゃんは東京女子医大病院に緊急入院。
リアル崇くんは毎日病院に通いました。
丸山ワクチンの投与も再開し少しは顔色が良くなるものの医師からは絶望的と宣告されました。
入院から8日が経過した11月21日、その日リアルのぶちゃんはいつになく元気でした。
その日、病室で見ていたテレビに偶然リアル崇くんが出演し、そのことを大喜びしました。
その日の夜、リアル崇くんが病室に行くと、リアル崇くんが大丈夫かと心配になるほど、リアルのぶちゃんはおしゃべりをしました。
その翌朝。
リアルのぶちゃんは意識不明になりました。
その日の午後4時、リアルのぶちゃんはリアル崇くんに手をにぎられながら息を引き取りました。
享年75歳。
余命3ヶ月の宣告を受けた日から、リアルのぶちゃんは6年も生きることができました。
一方のリアル崇くんは、両親、弟、叔父叔母の最期を看取ることはできませんでしたが、最愛の妻を手を握りながら見送ることができました。
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