2025/6/20(金)第12週「逆転しない正義」
あらすじ
のぶのもとに次郎から葉書が届きました。葉書の差し出し地は呉の海軍病院で、次郎はそこに入院していたのです。のぶは呉に行き、次郎の病室に足を運びました。のぶは近況を報告しつつ、戦争について次郎の言うとおりだったと打ち明けました。
その後、のぶは朝田家に足を運び次郎が入院していることを家族に報告しました。次郎の病気が肺病と聞いて家族は心配するものの、肺浸潤なら治る可能性があるという蘭子の言葉を聞かされ面々は安心しました。
昭和20年(1945年)7月4日、高知市内が米軍による空襲に見舞われました。空襲があったことを知った羽多子は蘭子とメイコを連れて高知へ。一面焼け野原となる中、羽多子たちはのぶと会うことが出来ました。
昭和20年(1945年)8月15日、終戦。その日嵩たち部隊は、駐屯地で玉音放送を聞きました。朝田家の面々も神妙な面持ちで玉音放送を聴きました。そしてのぶも、焼け野原と化した高知市内で終戦を迎えるのでした。
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感想
次郎さん
次郎さん、航海から無事に帰国できたものの病気で入院。
のぶちゃんと次郎さん、再会の場面は病室でのことになりました。
病室でのぶちゃんが次郎さんに言いました。
「次郎さんの言うとおりだった」
言うとおりだったとは、戦争で日本に勝ち目などないと言ったことです。
のぶちゃん、日本は必ず勝ちますと小学校の子供たちに言い続けてきたことを深く悔やんでいるらしい。
そのせいもあってか、かつて次郎さんの言葉を全否定した勇まさしさは微塵もない。
それどころか意気消沈さえしている。
のぶちゃんの次週の決断のフラグが立ちました。
一方、次郎さんも心配です。
次郎さんの病気は肺浸潤。
当時は不治の病とされていた肺結核の初期症状です。
なので治る可能性があるからと言っても油断はできない病気です。
ただでさえ食糧事情は悪く、十分に栄養をとることができない。
医薬品も不足しているはずです。
そんな状況下でのぶちゃんはどれほど心配なことか。
終戦
ようやく戦争が終わりました。
駐屯地では玉音放送を聞く部隊の面々。
面々が沈痛な面持ちで放送を聞く中、八木さんだけは今回も冷静。
予想していたとおりみたいな平然とした表情を浮かべているのが印象的でした。
健ちゃんの表情からは安堵感が見えました。
一方、嵩くんは頭の中が空っぽのようです。
まだ何が起きたのか把握しきれていない様子。
しかし、生き残ることができて何よりです。
朝田家の人々もラジオの前で神妙な面持ち。
玉音放送の直後に蘭子ちゃんがつぶやいた言葉。
「やっと終わったで、豪ちゃん」が心に沁みました。
蘭子ちゃんの中では今でも豪ちゃんが生きているようです。
蘭子ちゃん、もっと深く落ち込んでしまうことを心配していましたが、しっかりと立ち直った状態で終戦を迎えることができました。
今週の振り返り
朝ドラとしてはあり得ないほどにハードな描写が続いた一週間でした。
嵩くんたちの部隊の描写の過酷さは驚くばかり。
とりわけつらかったのは岩男くんとリン少年のエピソードです。
仲の良い親子のようにしか見えなかった岩男くんとリン少年。
でも、実はリン少年を孤児にしたのは岩男くんでした。
両親の仇をうつと心に決めたリン少年。
岩男くんもまた、仇をうたれることを予測していたらしい。
そして仇をうったものの、そのことを悔やむリン少年。
この不条理に対して八木さんがやり場のない怒りをぶつけるのももっともな話です。
駐屯地の場面では、正気を失った康太くんが暴走するなど、これでもかというくらいに地獄が描かれました。
これらの地獄が物語後半になって効いてくるのでしょうか。
予習レビューと史実のリアルエピソード
今週、終戦の年、すなわち昭和20年の夏。
そして終戦の日が描かれます。
昭和20年夏:嵩くん
岩男くんの悲劇があってから二週間。
駐屯地の食糧難はますます悪化するようです。
嵩くんと康太くんはタンポポの根を食べて飢えをしのぐものの、ついにタンポポさえも食べ尽くしてなくなってしまう。
そして、栄養失調におちいった嵩くんは警備中に倒れてしまいます。
すると、夢の中に清さんが出てくる。
ここでもまた、千尋くんから受け取った手帳が回収されます。
そして夢の中の清さんは、物語の後半の嵩くんの活躍を暗示するようなことを言うのだとか。
「お前はお父さんの分も生きて、みんなを喜ばせるものを作るんだ」
「何十年かかっても諦めずに作るんだ」
これら清さんの言葉の数々。
間違いなく物語後半のフラグでしょう。
余談ですが、倒れた嵩くんを介抱するのは健ちゃん。
お粥を食べさせながら福岡出身の健ちゃんは前作へのオマージュのような言葉を嵩くんに対して発します。
「食べり」です。
昭和20年夏:のぶちゃんと次郎さん
嵩くんが清さんの夢を見ているのと同じ頃のことなのでしょうか。
次郎さんからのぶちゃんのもとに葉書が届きます。
次郎さん、なんと呉の海軍病院に入院中。
葉書は病院で書いたものみたいです。
葉書を受け取ったのぶちゃんはすぐに呉の次郎さんのもとに駆けつけます。
次郎さんは肺浸潤、初期の肺結核。
肺結核といえば当時は死の病。
まして栄養事情の極めて悪い時代です。
次郎さん、航海中の悲劇は避けることができましたが、別の形での悲劇のフラグが立ってしまいます。
昭和20年夏:朝田家、そして終戦
昭和20年7月4日午前2時。
高知市内が空襲に見舞われます。
のぶちゃんは高知市内で暮らしているので避難を余儀なくされます。
一方、朝田家がある御免与は空襲の被害はありませんでした。
高知市内の空襲を聞きつけて羽多子さんは蘭子ちゃんとメイコちゃんを連れて高知市へ。
そして、のぶちゃんと焼け野原の中で再会。
その一ヶ月後に終戦を迎えます。
のぶちゃんの自宅は空襲の被害は免れるようです。
なので、のぶちゃんは焼け残った高知市内の自宅で玉音放送を聴くことに。
朝田家の人々も御免与で終戦を迎えます。
そして嵩くんは、駐屯地で岩男くんとリン少年を思い出しながら終戦を迎えます。
ようやく戦争が終わりました。
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因みにやなせ先生と同じく戦場体験のあるマンガ家の方々としては水木しげる先生も加藤芳郎先生も海外にいたので加藤先生が2日遅れで水木先生は10日遅れで玉音放送ではなく軍部上官からポツダム宣言受け入れという形で敗戦が伝えられています
因みに手塚治虫先生(当時は阪大医学部学生)は玉音放送を聞いてなくてやけに静かな状況に疑問を持ち宝塚から梅田に自転車で向かったところ阪急百貨店の灯りがついているのを見て終戦に気付いたそうです
蘭子「やっと終わったで・・・・豪ちゃん・・・・。」
あの場面、朝ドラなどで視る度に思うのですが、あの漢語の多い昭和天皇陛下の言葉を正しく理解していた人はどのくらいいたのでしょうか。
以前に放送していた「梅ちゃん先生」では放送を聴いていたヒロイン(堀北真希)たちが「???」の状態で戸惑っているところへ一緒に聞いていた軍需工場の監督(徳井優)が「日本は負けたんだあ!!」と悲痛な声をあげる。
これが実際だったんじゃないかなと私は勝手に思っているのですがね。
名乗る程の者ではございません様。私は家族サービスで呉まで行きました。お目当ては大和ミュージアム。十分の一の大和の巨大模型も良かったけど、連合艦隊のほとんどの艦艇のミニチュアが展示してあるのにまず感激。さらに映写室で、大和の完成までのプロセスを映像化したのを見せてくれたのですが、そのナレーションが石坂浩二氏だったのにさらに感激。でも呉って「仁義なき戦い」シリーズや地名は変えてたけど「孤狼の血」の舞台でもあるのですね。呉に住んでたある人に聞いたのですが、呉に「仁義なき戦い」の関係者のモデルになった人が立てたホテルがあるそうです。小林旭氏が演じた武田のモデルになった人かな?
還暦のたつお様
因みに私は宇宙戦艦ヤマト世代ですので1/10の戦艦大和を見ながら「この10倍のサイズでイスカンダルまで1年間往復航海可能かどうか」等と考えていました
個人的には平成終盤のリメイクヤマトの方が昭和ヤマトより好きです、ガミラス帝国の方々が魅力的にリメイクされてまして「青き花咲く大地~♪」とガミラス帝国国歌は歌詞見ないで歌えます(特に2202で神田テレサと山寺デスラーが対峙するシーンは鳥肌たちましたね)
さて、シン宇宙戦艦ヤマトはどんな展開になるんでしょうかね?
何かヤマトの話になってしまいすいません
呉に関して追記
飲みに行ったら必ず注文していたのがご当地名物の揚げかまぼここと「がんす」だったなあ、キャッチコピーの「うまいでがんす~」というのはアンガールズ田中さんが広島ローカル番組でよく使ってましたね(広島出身のアンガールズの二人と吉川晃司さんは全国ネットと広島ローカル番組では明らかにキャラが違いましたね)
高知空襲、このシーンを見ると「火垂るの墓」や「この世界の片隅に」を思い出す。玉音放送を聞いた事のある人によると最初、天皇陛下が何をおっしゃらているのかよくわからなかったらしい。
ヒロインの最初の夫が戦死ではなく病気になってしまうのは「虎に翼」以来。
この時代「この世界の片隅で」の舞台だった呉市、仕事で何度か行きました
広島駅から30分ぐらい、駅の発車メロディが宇宙戦艦ヤマトで、戦艦大和ミュージアムがあり海軍カレーが食べれたり海軍ラムネが飲めます、お土産には海軍コーヒーを買ってましたね