あんぱん

あんぱん 第14週「幸福よ、どこにいる」予習レビューとあらすじ

NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『あんぱん』
2025年6月30日 〜 7月4日放送

あらすじ

のぶが高知新報入社

のぶが高知新報に採用されることが決まりました。

のぶの採用は、高知新聞にとっては戦後初の女性記者の入社でした。

そしてのぶは、入社初日から取材現場に駆り出されることになりました。

のぶが夕刊の編集局員に

入社翌日からのぶは闇市で取材を行い記事を書いては、東海林に繰り返し突き返される日々を送ることになりました。

そしてようやく、のぶが書いた記事が朝刊に載ることが決まりました。

そんな中でのぶは、夕刊の編集局員となりました。

廃品回収を始める嵩と健太郎

一方、嵩は健太郎とともに廃品回収を始め、回収した雑貨を売る仕事をしていました。

そんなある日、嵩は回収したガラクタの中にアメリカの雑誌を見つけました。

そして、その雑誌の最先端のデザインに魅了された嵩は、久しぶりに心が躍るのを感じました。

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今週の展開

66: 6/30(月)
67: 7/1(火)
68: 7/2(水)
69: 7/3(木)
70: 7/4(金)

予習レビューと史実のリアルエピソード

今週から物語後半が始まります。

7月後半から8月にかけては、やなせたかしさんの仕事がドラマの中で再現され始めるのではないかと思います。

そこで、やなせたかしさんの代表的な仕事をまとめてみました。

やなせたかしさんの仕事

『アンパンマン』の原作者で知られるやなせたかしさんの生涯を、奥様の小松暢さんの視点から描く物語のスタートです。

実を言うとブログ主は『アンパンマン』を一度も見たことがありません。

そんなわけで『アンパンマン』も、やなせたかしさんのことも名前だけは知っている、くらいの認識しかありませんでした。

本作『あんぱん』の放送がなければ、『アンパンマン』はともかく、やなせたかしさんのことは全く知らないままだったかと思います。

しかし本作のレビューを機にやなせたかしさんのことを調べてみてびっくりです。

やなせたかしさんの仕事には馴染みのあるものがとても多いことを、ブログ主は初めて知りました。

以下、多くの人が知っているはずのやなせたかしさんの代表的な仕事です。

『手のひらを太陽に』
『アンパンマン』を一度も見たことがない人でも『手のひらを太陽に』を一度や二度は歌ったことがあるかと思います。

ブログ主もその一人です。

小学生の頃に学校で歌いました、というか歌わされました。(笑)

なんと名曲『手のひらを太陽に』を作詞したのがやなせたかしさんです。

作曲はやなせたかしさんのご友人のいずみたくさん。

リリースされたのは昭和37年(1962年)のことでした。

三越の包装紙のデザイン
やなせたかしさんは、三越の包装紙のデザインにも関わっています。

昔から使われている三越の包装紙のデザインを作ったのは、マティスに師事したモダン派の画家・猪熊弦一郎氏。

このデザインが作られた当時、やなせたかしさんは三越の社員でした。

そして、デザインを委託した猪爪氏のアトリエをやなせたかしさんが訪問すると、猪爪氏はやなせたかしさんに言ったそうです。

「MITSUKOSHI」の文字は指定の場所に入れておいて、と。

そこでやなせたかしさんは、猪爪氏のデザインの上に「MITSUKOSHI」の文字を描きました。

「MITSUKOSHI」の文字がやなせたかしさんの作品というわけです。

こうして三越の包装紙は完成しました。

なお、このデザインが出来たのは昭和25年(1950年)のこと。

それから75年が経過した2025年の今でも、このデザインの包装紙は使われています。

『アンパンマン』
やなせたかしさんの代表作にして、本作『あんぱん』のタイトルのモチーフにもなっている『アンパンマン』。

『アンパンマン』が誕生したのは昭和48年(1973年)。

誕生当初の『アンパンマン』は平仮名で『あんぱんまん』と表記されていました。

その二年後の昭和50年(1975年)にハードカバーの絵本『それいけ!アンパンマン』が出版され、この時からカタカナ表記に。

そして昭和63年(1988年)年、テレビアニメの放送がスタートしました。

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