NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『あんぱん』
2024年6月16日 〜 6月20日放送
あらすじ
嵩が宣撫班に配属
宣撫班の任務に就いた嵩は絵の腕前が評価され、地元民を喜ばす紙芝居を作るよう命ぜられました。
そこで嵩は亡き父が手帳に書いていた一文を参考にして紙芝居を完成。地元民の評判も上々で、嵩はその後も紙芝居を作り続けることになりました。
飢えと戦う嵩
昭和20年(1945年)春。嵩の部隊は食糧の補給路が寸断され、嵩たちは飢えと戦う日々を強いられることになりました。
兵隊たちの飢えが限界に達した頃、倒れてしまった嵩の夢の中に亡き父・清が姿をあらわしました。そして嵩が目を覚ますと、嵩は駐屯地のベッドの上にいました。
終戦
その頃、のぶは広島県呉市にある海軍病院に入院している次郎の見舞いに訪れいました。次郎は肺を患っていました。
昭和20年(1945年)7月。高知の街が空襲に見舞われました。空襲の翌朝、のぶは焼け野原の中で家族と再会。その一ヶ月、戦争は終わりました。
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今週の展開
56: 6/16(月)
57: 6/17(火)
58: 6/18(水)
59: 6/19(木)
60: 6/20(金)
予習レビューと史実のリアルエピソード
福州上陸作戦
昭和19年(1944年)、リアル嵩くんは福州上陸作戦に参加することになりました。
福州とは台湾の対岸です。
当時、海軍部はアメリカ軍が台湾を占領して中国大陸に進出する可能性を指摘。
陸軍部も福建省沿岸に潜水艦基地があるという情報を得ていました。
そのため陸海軍は中央協定を結び、米軍の上陸を阻止する目的で福州上陸作戦を実施しました。
福州上陸作戦が実施されたのは昭和19年(1944年)9月10月にかけて。
福州上陸作戦は一週間ほどの戦闘の末に福州を占領。
しかしリアル嵩くんが配属されていた舞台は、福州の中心地から外れたところへの上陸だったため、敵襲は皆無だったと言われています。
リアル嵩くん、戦地へ
リアル嵩くんの配属されていた舞台は福州上陸作戦に参加することになり、リアル嵩くんが戦地に向かう日を迎えました。
昭和19年(1944年)7月、リアル嵩くんを乗せた輸送船は門司を出港し上海に到着。
上海では一ヶ月ほど警備にあたりました。
昭和19年(1944年)9月、リアル嵩くん行き先を知らされないまま輸送船に乗せられました。
そして上陸前日、船上でそれが上陸作戦であることを知らされました。
リアル嵩くんたちは、上陸作戦が凄惨な戦いになることを船上で覚悟したようです。
しかしリアル嵩くんたち舞台が上陸したのは福州のはずれで、上陸地点には敵は皆無。
戦闘が一切ないまま上陸に成功しました。
宣撫班(せんぶはん)
福州に上陸し、同地に駐屯することとなったリアル嵩くんは暗号班に所属していました。
暗号班の主な任務は本部から暗号を用いて伝えられる指示を解読することでした。
しかし、暗号を解読する仕事はごくわずか。
さらに班長だったリアル嵩くんは実務は部下に任せておけば良い立場だったため、なおさら仕事がわずかでした。
そこでリアル嵩くんは宣撫班の仕事を手伝うことになりました。
宣撫班(せんぶはん)とは、旧日本軍が占領地域で住民の協力を得るために組織した小部隊です。
戦争目的の宣伝や民生に役立つ活動を行い、具体的な活動内容は次のとおりです。
避難した住民の留守宅の家屋財産の保護
難民救済として薬や食事の配給
避難民収容所や施薬所、施米所、施粥所の用意
中国の医療機関が逃げさった地域での難民の医療行為
宣撫班はまた、占領地の住民に対して危害を加える意図はないことを伝える役割も担っており、意図宣伝のためにリアル嵩くんは紙芝居作りをしていました。
福州での日々
上陸地点が中心地から外れたところだったこともあり戦闘が行われないまま福州に上陸することができたリアル嵩くんたち部隊。
上陸後も平穏な日々を過ごせたようです。
リアル嵩くんは絵が得意なことを生かして紙芝居を作り、方々で紙芝居を披露しました。
リアル嵩くんの紙芝居はどこに行っても現地の人々が笑い転げるなど好評。
紙芝居のあと、現地の人から食事に呼ばれることはあっても、軍隊と現地の人々との間にトラブルは一切なかったそうです。
しかし、それでもやはり現地の人々は日本軍を警戒。
紙芝居で方々を回る中で、どこに行っても女性が一人もいないことにリアル嵩くんは気がつきました。
日本軍を警戒して、現地の人々は女性を家の外に出さないようにしていたようです。
リアル嵩くんが作った紙芝居
リアル嵩くんが作った紙芝居のタイトルは『双生譚』。
『双生児物語』または『双子ものがたり』だったとも言われています。
あらすじは次のとおりです。
別々に暮らしていた双子がお互いを兄弟と知らずに戦うことになった。
ところが、相手を殴れば自分もその痛みを感じる。
ついにその二人は、互いが双子の兄弟であること。
相手を倒すと自分も滅びるということに気付く。
それは「日本と中国は双子の関係であって、この2つの国が仲良くしなければ、東亜の平和はない」という寓話でした。
この物語はリアル嵩くんのオリジナルですが、実は亡き父親の考え方がベースにあると言われています。
リアル嵩くんの唯一の戦闘体験
福州に上陸した翌年の昭和20年(1945年)。
リアル嵩くんたちの舞台は福州から上海へと行軍することになりました。
その年の4月にアメリカ軍は沖縄に上陸。
アメリカ軍による台湾上陸はなくなったと判断した日本軍は、福州などの部隊を上海に集結させ、決戦に備えることにしたのです。
福州から上海に移動するこの行軍で、リアル嵩くんは唯一の戦闘体験をします。
リアル嵩くんはこの行軍での戦闘について次のように回想しています。
「あの戦闘で5、6人は死んだと思います」
この戦闘でリアル嵩くん自身も生命の危険があったことは十分に考えられますが、リアル嵩くんの部隊がいたのは激戦地ではありませんでした。
そのためリアル嵩くんは、激戦地にはいなかったことの「うしろめたさ」や「ある種の恥ずかしさ」から、ある時期まで兵隊時代のことを語ろうとはしませんでした。
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