NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『あんぱん』
2025年9月8日 〜 9月12日放送
あらすじ
「あんパンを配るおじさん」
嵩は再び「あんパンを配るおじさん」の漫画を描き始めました。
一方で手嶌治虫から任されていたアニメ映画『千夜一夜物語』のキャラクターデザインの納期が迫っていました。
手嶌治虫の頼み
キャラクターデザインづくりの作業が一段落ついた頃、のぶに頼みがあるという手嶌治虫を嵩が家に連れてきました。
手嶌治虫はのぶと向き合い、嵩の力を借りたいとのぶに頭を下げました。
その日の夜、一人になったのぶは嵩が描いた「あんパンを配るおじさん」の漫画に語りかけました。「いつの日か、飛べ」と
『千夜一夜物語』が大ヒット
それから半年が経過し、無事に公開されたアニメ映画『千夜一夜物語』は大ヒットしました。
手嶌治虫はヒットのお礼をしたいと嵩にある提案をしました。
そしてついに『あんぱんまん』を世に出す機会を嵩は得ることができました。
あんぱん|感想あらすじネタバレトップページ
今週の展開
116: 9/8(月)
117: 9/9(火)
118: 9/10(水)
119: 9/11(木)
120: 9/12(金)
予習レビューと史実のリアルエピソード
昭和48年(1973年)に『アンパンマン』が誕生。
しかし、『アンパンマン』は発売されてすぐにヒット作になったわけではなく、むしろ評判の悪い売れない作品でした。
では、どのようにして『アンパンマン』にヒット作になったのか。
『アンパンマン』誕生からヒット作になるまでをまとめてみました。
『アンパンマン』誕生
絵本『やさしいライオン』が出版されて大ヒット。
版元がもう一冊絵本をとリアル嵩くんに依頼し、リアル嵩くんが『やさしいライオン』に続いて新たな絵本を完成。
それが『アンパンマン』誕生の瞬間、昭和48年(1973年)のことでした。
しかし、版元の編集部での評判は悪く、読者からも顔を食べさせるのは残酷だという不評の声が集まりました。
評判は良くなかったもののリアル嵩くんは『アンパンマン』に愛着を感じていました。
そこでリアル嵩くんは自ら編集長をつとめる雑誌『詩とメルヘン』誌上で『熱血メルヘン 怪傑アンパンマン』の連載を開始。
しかしこの連載も不人気で一年足らずで終了しました。
そんな『アンパンマン』の転機となったのがミュージカルでした。
ミュージカル『アンパンマン』
『アンパンマン』が誕生した三年後の昭和51年(1976年)。
『アンパンマン』は、『ミュージカル 熱血メルヘン 怪傑アンパンマン』として上演が開始されました。
『アンパンマン』のミュージカル化を持ちかけたのは作曲家・いずみたくさん。
リアル嵩くんの代表作『てのひらを太陽に』に曲をつけた人です。
『ミュージカル 熱血メルヘン 怪傑アンパンマン』が上演されたのは、いずみたくさんの稽古場に建てた建物。
リアル嵩くんは脚本と主題歌を書きました。
そんなある日、リアル嵩くんはミュージカルに集まる子供たちに反応から、『アンパンマン』には悪役が欠けていることに気がつきました。
そして生まれたのがバイキンマン。
このようにしてリアル嵩くんは、観客席の子供たちの反応を確かめながら『アンパンマン』に磨きをかけていきました。
『アンパンマン』ブレイクの前兆
『アンパンマン』が誕生してから五年ほど経過したころ。
リアル嵩くんが家の近所の写真屋に写真の現像に行くと、店主が話しかけてきました。
3歳になる息子が『アンパンマン』が大好きだ。
そして毎晩『アンパンマン』の絵本を読んでくれとせがまれている、と。
その後もリアル嵩くんは似たような言葉をかけられるようになりました。
リアル嵩くんが知らない間に、『アンパンマン』は日本全国の幼稚園や保育園で一番人気の絵本になっていたのです。
『アンパンマン』を幼稚園や保育園に卸していた出版社の営業もそのことに気がつきました。
そこで営業担当はリアル嵩くんに『アンパンマン』の新作を依頼。
すると、幼稚園や保育園の先生たちや子供たちも大いに喜び、『アンパンマン』はシリーズ化されることになりました。
プロデューサー・武井英彦氏
『アンパンマン』が子供たちの間で大人気になっていることに気づいた人物がもう一人いました。
日本テレビのプロデューサー・武井英彦氏です。
武井氏の息子さんは当時幼稚園生でした。
その息子さんが通う幼稚園に武井氏が足を運んだ時のこと。
たくさんある絵本の中で、一冊だけボロボロになっている絵本がありました。
それが『アンパンマン』でした。
武井氏が先生に、何故これだけがボロボロになっているのかと尋ねると、子供たちに何度も読んでほしいとせがまれるからだとその先生は答えました。
武井氏が『アンパンマン』の人気を初めて知った瞬間でした。
テレビアニメ『アンパンマン』
昭和63年(1988年)10月3日、アニメ『アンパンマン』のテレビ放送が開始されました。
『キンダーおはしえほん』の一冊として最初の絵本『あんぱんまん』が刊行されてから15年。
当時、リアル嵩くんは69歳でした。
本作品は、放送前は視聴率を3%も取れれればいいだろうと言われていたものの、実際に放送が始まってみると7%の大ヒット。
文化庁の子供向けテレビ優秀作品にも選定され、30年続く人気番組になりました。
『アンパンマンミュージアム』開館
平成8年(1996年)、『アンパンマンミュージアム』が高知県香美郡香北町(現在の香美市)にオープン。
町立(現在は市立)の美術館として開館しました。
同ミュージアムの年間来館者数の目標は10万人でした。
一方で、香北町の当時の人口は6千人弱。
人口に対してあまりに大きな目標にリアル嵩くんは本当に達成できるのかと不安だったものの、オープンからわずか49日で年間目標を達成することができました。
あんぱん|感想あらすじネタバレトップページ