NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『あんぱん』
2025年8月18日 〜 8月22日放送
あらすじ
嵩が書いた詩
ある日、漫画家として売れる気配がないことを悩む嵩は詩を書きました。
作曲家のいせたくやは、嵩が書いたその詩を読み、メロディーをつけ始めました。
『手のひらを太陽に』
嵩が書いた詩に、いせたくやが曲をつけて生まれた『手のひらを太陽に』は子供向けの歌番組『みんなのうた』で紹介。
それがきっかけで、『手のひらを太陽に』は子供たちの間で大人気の歌になりました。
漫画家としての行き詰まり
『手のひらを太陽に』が子供たちに広く歌われることで、嵩は作詞家としてはヒット作を出すことができました。
しかし、嵩はその後も漫画のヒット作を出すことができず、嵩は漫画家として行き詰まりを感じ続けていました。
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今週の展開
101: 8/18(月)
102: 8/19(火)
103: 8/20(水)
104: 8/21(木)
105: 8/22(金)
予習レビューと史実のリアルエピソード
ドラマの中で、高知新報時代の嵩くんは東海林さんから「困ったときのメガネくん」と言われていました。
実はこの呼び名、リアル嵩くんの呼び名がモチーフになっているものと思われます。
リアル嵩くんは、三越を退社して独立後、頼まれた仕事は本業とは無関係なものでも引き受けていました。
そのためリアル嵩くんは「困ったときのやなせさん」と呼ばれていたのです。
では「困ったときのやなせさん」は、どんな仕事を引き受けていたのか。
以下はその一例です。
「困ったときのやなせさん」の仕事
『てのひらを太陽に』が大ヒットし、『まんがの学校』に出演して一躍有名人になったころ、リアル嵩くんは様々な才能との出会いを経験しました。
立川談志(落語家)
リアル嵩くんがまんがの先生として出演した『まんがの学校』の司会は、真打ちになったばかりの立川談志でした。
当時、立川談志は生意気な新人として同業者から嫌われていました。
実際にリアル嵩くんも心の中で立川談志を次のような言葉で表現したそうです。
「ナマイキ星から来たエイリアン」
そんなわけで周囲の人々は、立川談志と共演することになったリアル嵩くんのことを心配したそうです。
しかしリアル嵩くんは立川談志の勉強熱心さと豊かな才能に目を見張る思いをしました。
永六輔(放送作家)
新進気鋭の放送作家としてその名が知られ始めていた当時20代の永六輔から、ミュージカルの舞台装置を依頼されたこともありました。
リアル嵩くんは永六輔の手ほどきを受けながら仕事をしました。
そのミュージカルは舞台美術が高評価を受け、それ以来、舞台美術の仕事がリアル嵩くんに次々と舞い込むようになりました。
宮城まり子(女優)
女優の宮城まり子からは、リサイタルの構成を頼まれたことがあります。
この仕事もリアル嵩くんは未経験でした。
宮城まり子に教わりながら仕事を進めたリアル嵩くんは、リサイタルの構成に加えて衣装デザインまでも頼まれました。
そして宮城まり子のリサイタルは大成功しました。
羽仁進(映画監督)
映画監督の羽仁進からはテレビ用映画の依頼を受けました。
この仕事でしごき抜かれたリアル嵩くんは脚本とは何かを深く理解。
その後の『アンパンマン』制作に、羽仁進との仕事の経験が役だったと言われています。
『まんがの学校』の先生
漫画家として後進に追い抜かれるリアル嵩くんの苦悩の中で生まれ、空前の大ヒットとなった『てのひらを太陽に』の初の放送が昭和36年(1961)年。
その3年後の昭和39年(1964)年4月。
リアル嵩くんはNHKの『まんがの学校』というテレビ番組に出演し、一躍有名人になりました。
この仕事、実はリアル嵩くんは最初の依頼の際に断っています。
この番組の司会をやってほしいというのがNHK側からの最初の依頼でした。
当時のリアル嵩くんは本業以外の仕事でも引き受けていたものの、司会の依頼だけは司会の経験がないことを理由に断ったのです。
するとNHK側が、司会が無理なら学校の先生として出演してほしいと再度の依頼。
リアル嵩くんもそれなら出来ると快諾。
また、当初はリアル嵩くんは出題するのが役割でしたが、それでは退屈だろうと考えお絵描きコーナーを提案。
これが大人気となり番組も三年続く人気番組に。
リアル嵩くんの『まんがの学校』への出演は、リアル嵩くんが子供の好みを理解する上で、貴重な機会となりました。
リアル嵩くんはそれまで、子供向けの仕事を手がけたことはありませんでした。
なので、この番組を通して理解した子供の好みが後の『アンパンマン』に生かされたようです。
一方、リアル嵩くんは行く先々で子供たちから声をかけられ絵を描いてほしいと求められるようになりました。
しかし、リアル嵩くんは独自の人気キャラクターを持っていません。
漫画のヒット作がまだないという悩みを、リアル嵩くんは改めて思い知らされました。
穴を埋める仕事
ドラマの中で嵩くんは、朝刊の穴を埋めるために漫画を描いて採用決定。
雑誌の穴を埋めるために漫画を描いて「月刊くじら」編集部に異動。
「穴を埋める」ことがその後の幸運につながりました。
実はリアル嵩くんも「穴を埋める」ことで、大きな幸運を手に入れています。
昭和42年(1967年)春、ラジオドラマを放送している文化放送の『現代劇場』で、依頼していた脚本家の作品が間に合わず、放送の穴が空きそうな事態に。
そこで「困ったときのやなせさん」の登場です。
リアル嵩くんは「穴を埋める」仕事の依頼を快諾。
ラジオドラマ『やさしいライオン』を一晩で書き上げました。
さて、この「穴を埋める」仕事が、その後どのような幸運をリアル嵩くんにもたらしたのか。
ラジオドラマ『やさしいライオン』は大好評で、本作は絵本としても出版されました。
出版された絵本もヒット。
そこで版元は、もう一冊絵本を出さないかとリアル嵩くんに依頼。
この申し出を快諾したリアル嵩くんが出版したもう一冊の絵本が『アンパンマン』でした。
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『手のひらを太陽に』『見上げてごらん夜の星を』
奇しくも、この2曲は以前放送された朝ドラ『ひよっこ』劇中でも歌われていましたね。(向島電機乙女寮コーラス部による合唱場面がありました)