NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『あんぱん』
2025年8月11日 〜 8月15日放送
あらすじ
嵩が三星百貨店を退職
嵩が三星百貨店を退職し独立しました。
嵩は独創漫画派という集団に所属。
その集団の中で割り振られた仕事をこなしはするものの漫画家としては決して順調ではありませんでした。
のぶが鉄子に懇願
一方ののぶは、漫画家を志す嵩を支えるため、鉄子に秘書を続けさせて欲しいと頭を下げました。
そんなのぶに対して、鉄子は思いもよらない言葉を返しました。
新進気鋭の演出家・六原永輔
嵩が独立してから7年が経過。
嵩が漫画家として売れる気配がない中、作曲家のいせたくやが新進気鋭の演出家・六原永輔を連れてやって来ました。
そして六原永輔は、ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』の舞台美術装置を手がけてくれないかと嵩に相談しました。
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今週の展開
96: 8/11(月)
97: 8/12(火)
98: 8/13(水)
99: 8/14(木)
100: 8/15(金)
予習レビューと史実のリアルエピソード
リアル嵩くんが三越を退社し独立
リアル嵩くんは、漫画などの仕事で得られる収入が三越からのもらう給料の3倍になり、独立を考え始めるものの踏み切ることができずにいました。
安定した収入を失うことへの恐怖があったのです。
そんな中で三越でストライキが発生しました。
会社側は、労働組合の中で右翼を侵入させて警察に暴力をふるわせるなどして、組合の取り締まりの口実づくりに躍起になっていました。
一方の労働組合は極左に乗っ取られ傲慢な要求を訴え続けていました。
そんな会社と組合の激しい対立をリアル嵩くんは、どちらの立場にも立たずに見守っていました。
ストライキは会社側の勝利で終わるものの、両者の間には深い溝が残ってしまいました。
激しい対立を静観し続けてきたリアル嵩くんでたが、両者が正義を主張し合うばかりの状況に愛想を尽かし始めました。
そんな中で、安定収入を失うことへの恐怖から独立に踏み切れないリアル嵩くんに対してリアルのぶちゃんが言いました。
「収入がなければ私が食べさせてあげる」
このリアルのぶちゃんの一言に背中を押されたリアル嵩くんは、ついに三越退社を決意。
独立を果たすことができました。
独立後の挫折
昭和28年(1953年)リアル嵩くんは三越を退社し独立しました。
独立後のリアル嵩くんは「フリーの漫画家」という立場で活動を行うつもりでした。
しかしリアル嵩くんは大きな挫折を経験することになります。
漫画家として思うような作品を描けない、ヒット作が出ないという挫折。
それに加えて、後から出てきた年下の漫画家たちに次々に先を越されるという挫折です。
リアル嵩くんは漫画のヒット作の実績がなかったので、大物漫画家とは呼べない。
同年代の漫画家が知名度を上げていく中で自分だけは無名。
しかし、将来を期待される無名の若手漫画家と呼ぶには歳をとりすぎている。
そんな中途半端なポジションの中で自分だけが取り残される挫折をリアル嵩くんは経験することになったのです。
ただし唯一の救いは、仕事だけはたくさんあったので食べていけなくなるという心配はありませんでした。
しかし、仕事は人気漫画家の原稿が間に合わなかったときの穴埋めのための漫画。
あるいは単発で受注した漫画など、器用なリアル嵩くんは便利屋さんとして使われるだけの日々を過ごすことになりました。
ところでドラマの戦場の場面で、倒れた嵩くんが清さんの夢を見る場面がありました。
夢の中で清さんが嵩くんに言いました。
「みんなを喜ばせるものを作るんだ、年十年かかってもあきらめずに作るんだ」と。
このドラマの中の清さんのセリフは、リアル嵩くんの挫折の日々を暗示しているものと思われます。
『てのひらを太陽に』
リアル嵩くんが三越を退社する三年前の昭和25年(1950年)、手塚治虫氏の『ジャングル大帝』の連載が開始。
そして手塚治虫氏の後に続く若い才能が次々と連載漫画を描き始めました。
手塚治虫氏を中心とする新しい漫画界の動きの中で、それまでの漫画の主流でリアル嵩くんが手がけ続けてきた四コマ漫画は衰退。
連載長編漫画が、漫画の主流となり漫画界の風向きが大きく変わりました。
このような大きな変化も、リアル嵩くんが漫画界に居場所を見出せなくなった要因の一つでした。
昭和36年(1961)年、リアル嵩くん42歳。
三越を退社し独立してから8年が経ったものの、漫画のヒット作は出ないままでした。
自分は漫画家として世の中から必要とされていないのではないか。
そんな不安に押しつぶされそうなある日の夜、リアル嵩くんは幼い頃によく遊んでいた「レントゲンごっこ」をしました。
レントゲンごっことは懐中電灯を手のひらに当て、手の血流を透かして見る遊びです。
自分は落ち込んでいても手の中に真っ赤な血が流れているのを見て、生きていることを実感したリアル嵩くんは一編の詩を書きました。
その際、手のひらを透かして見たのは懐中電灯でしたが、太陽にした方が詩らしくなると考え、懐中電灯を太陽に書き換え。
そして誕生したのが、リアル嵩くんの名作『てのひらを太陽に』です。
ところでリアル嵩くんが『てのひらを太陽に』を作詞した前年、リアル嵩くんは永六輔氏が演出するミュージカル『見上げてごらん夜の星を』の舞台美術を担当。
その際に親しくなった作曲家のいずみたくし氏が『てのひらを太陽に』に曲をつけました。
昭和36年(1961)年、民放のテレビ局で『てのひらを太陽に』が初の放送。
その翌年、『てのひらを太陽に』はNHKで放送され、発売されたレコードは大ヒット。
日本人なら誰もが知っているようなこの名曲は、リアル嵩くんの苦難の中で生み出されました。
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