NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『ばけばけ』
2025年12月22日 〜 12月26日放送
あらすじ
銀二郎とイライザが松江に来る
銀二郎が東京で会社を興して成功。トキと復縁するために松江にやって来ました。銀二郎は松野家の家族に出奔を謝罪。銀二郎と松野家の家族は和解しました。
同じタイミングでイライザ・ベルズランドが来日しました。ヘブンが日本滞在記を書き上げる前にイライザを日本に呼んだのです。
息が合うトキとヘブン
トキと銀二郎が月照寺に足を運ぶと、そこにヘブンとイライザそして錦織の三人がいました。トキはその場で月照寺に伝わる怪談を語り始め、ヘブンはその話に夢中になりました。
怪談を通じて息がピタリと合うトキとヘブンの様子を見て、銀二郎もイライザも二人の間には入り込めない何かがあると感じていました。
二人きりのトキとヘブン
イライザは、ヘブンの心がすでにトキに向いていることを察し松江を去って行きました。銀二郎もまたトキとの復縁を断念しました。
銀二郎を見送ったトキは、松江大橋でヘブンと顔を合わせました。トキとヘブンは二人きりで肩を並べて散歩を始めるのでした。
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今週の展開
61: 12/22(月)
62: 12/23(火)
63: 12/24(水)
64: 12/25(木)
65: 12/26(金)
予習レビューと史実のリアルエピソード
イライザ・ベルズランド(演、シャーロット・ケイト・フォックス)の実在モデル:エリザベス・ビスランド
シャーロット・ケイト・フォックスが演じるイライザ・ベルズランドの実在モデルはエリザベス・ビスランド・ウェットモア (Elizabeth Bisland Wetmore)。
ラフカディオ・ハーンと親交を結び、ラフカディオ・ハーンが訪日するきっかけを作ったアメリカのジャーナリスト・編集者です。
エリザベス・ビスランドは1861年2月11日、ルイジアナ州セントメアリー郡のフェアファックス・プランテーションで生まれました。
エリザベス・ビスランドの誕生直後に米国で南北戦争が勃発。
ビスランド一家は、一時疎開していました。
エリザベス・ビスランドは10代のときに詩の投稿により「B・L・R・デーン」の筆名で文筆家としての活動を開始。
1881年、『ニューオーリンズ・タイムズ・デモクラット』に入社。
この新聞社ではラフカディオ・ハーンが文芸部長として働いており、エリザベス・ビスランドとラフカディオ・ハーンが親交を結ぶきっかけとなりました。
1887年、ニューヨークに移住。
ニューヨークでは『ザ・サン』から現地での最初の仕事を得たのを機に1889年まで多くの出版社で働きました。
世界一周旅行
1889年11月、『ニューヨーク・ワールド』誌は、ジュール・ヴェルヌの小説『八十日間世界一周』の80日間の空想旅行を再現する世界一周旅行の企画を発表。
女性ジャーナリスト、ネリー・ブライを世界一周旅行に派遣すると発表しました。
この発表を受けてジョン・ブリスベン・ウォーカーは、その対抗馬としてエリザベス・ビスランドを世界一周旅行に派遣すると決定。
エリザベス・ビスランドは世界一周旅行を命じられた6時間後にはニューヨーク港を出航しました。
出発までに6時間しかなかったのは、その日にネリー・ブライが世界一周旅行の旅に出発。
エリザベス・ビスランドをネリー・ブライよりも早い世界一周記録を打ち立てるためでした。
1889年11月14日、ネリー・ブライは東向きに出発。
一方、エリザベス・ビスランドは西向きに出発。
二人の旅行は揃って報じられるものの、ネリー・ブライが当時人気のあった『ニューヨーク・ワールド』が熱心に報じられる一方、同紙はエリザベス・ビスランドを無視。
そのため人気が出たのはネリー・ブライでした。
二人の世界一周旅行のレースは、ネリー・ブライが勝利を収めましたが、エリザベス・ビスランドも76日半で世界一周旅行を完遂。
ジュール・ヴェルヌの小説で描かれた架空の記録80日を超えることができました。
エリザベス・ビスランドはその後、『コスモポリタン』誌に旅行記を連載。
1891年には単行本『In Seven Stages: A Flying Trip Around The World』として刊行されました。
この世界一周旅行の際にエリザベス・ビスランドは日本に二日間滞在。
その時の様子をラフカディオ・ハーンに手紙で知らせたことが契機となり、ラフカディオ・ハーンはその後訪日することになりました。
なおエリザベス・ビスランドは1906年にラフカディオ・ハーンのアメリカでの公式伝記『ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡(The Life and Letters of Lafcadio Hearn)』を刊行。
同著から得られた収益はすべて小泉家に寄贈しました。
またラフカディオ・ハーンの没後、エリザベス・ビスランドは三度来日。
松江の「小泉八雲旧居」にも足を運んでいます。
1929年1月6日に肺炎のため死去、67歳でした。
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