ヘブンとの日々 / ばけばけ 最終回/125回
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2026/3/27(金)最終週/第25週「ウラメシ、ケド、スバラシ。」
あらすじ
司之介とフミは、落ち込むトキを励まそうとしてヘブンの思い出話を語りました。
しかしトキにはヘブンとの過去を楽しい思い出として捉えられずにいました。
トキは立ち直れずにいたのです。
そんな中でトキは、司之介とフミに見守られながらヘブンと過ごした日々のことを丈に語り始めるのでした。
参考:地上波番組表
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鑑賞後の感想
感想欄は放送後に追記します。
予習レビューと史実のリアルエピソード
ついに『ばけばけ』は最終回を迎えます。
最終回にあたり、実在モデルの二人の生涯をまとめてみました。
リアルトキちゃんが64年の生涯の中で、リアルヘブンさんとの時間を過ごしたのはわずか13年。
リアルヘブンさんも54年の生涯の中で、リアルトキちゃんとの時間を過ごしたのは人生最後の13年です。
二人の生涯の中で実に短い時間でありましたが、それぞれの生涯の中で最も濃密で幸せな時間を過ごすことができたのではないでしょうか。
リアルトキちゃんとリアルヘブンさんの生涯
| 小泉節子の生涯 | 小泉八雲の生涯 | |
| 1850年 嘉永3年 | 6月27日、アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に、当時イギリス領だったレフカダ島で生まれる。 | |
| 1854年 嘉永7年 | 両親が離婚し両親から捨てられ、大富豪だった父方の大叔母に引き取られる。 | |
| 1866年 慶應2年 | 16歳の時に遊具が左目に当たり失明する。その翌年には大叔母が破産して経済的に困窮。 | |
| 1868年 慶應4年 | 2月4日、出雲松平家の番頭・小泉八代目弥右衛門湊と、小泉チエの次女として誕生。生後7日で親類である稲垣家の養女となる。 | |
| 1869年 明治2年 | 米国に向かう移民船に乗りニューヨークに上陸。その後、シンシナティに移動。 | |
| 1874年 明治7年 | インクワイアラー社に入社。マティ・フォリーと結婚。 | |
| 1875年 明治8年 | 当時、違法だった黒人との混血との結婚を理由にインクワイアラー社を解雇。 | |
| 1877年 明治10年 | マティ・フォリーと離婚。シンシナティを離れニューオーリンズへ行く。 | |
| 1879年 明治12年 | アイテム社の編集助手となる一方で食堂「不景気屋」を開業。しかし経営に失敗し閉鎖。 | |
| 1882年 明治15年 | タイムズ・デモクラット社の文芸部長になり、エリザベス・ビスランドと知り合う。 | |
| 1886年 明治19年 | 前田為二と結婚。しかし為二は一年足らずで出奔。 | |
| 1890年 明治23年 | 為二との婚姻関係を解消して小泉家に復籍。 | エリザベス・ビスランドから、日本は清潔で美しく夢のような国であったと知らされ、日本に行くことを決意。当時英訳された『古事記』に描かれた日本への興味もあった。 7月、島根県尋常中学校の英語教師になる。 |
| 1891年 明治24年 | 1月、ラフカディオ・ハーンの住み込み女中として雇われる。 8月、友人に出した手紙の中で小泉セツとの結婚を報告。 11月、夫婦は熊本県熊本市に転居。 | |
| 1893年 明治26年 | 長男の一雄が誕生。 | |
| 1894年 明治27年 | 兵庫県神戸市に移転。この頃より、セツが素材を提供し八雲が執筆するようになる。 | |
| 1896年 明治29年 | 兵庫県知事の承認を得て日本に帰化。小泉家への「外国人入夫結婚」の願いが島根県知事に承認され正式に「小泉八雲」となる。同年、東京府牛込区市谷へ転居。 | |
| 1902年 明治35年 | 西大久保に引っ越し。この頃より小泉八雲の健康が衰え始める。 | |
| 1904年 明治37年 | 小泉八雲死去、満54歳没。 小泉セツは36歳だった。 | |
| 1906年 明治39年 | 八雲との思い出をまとめた『思い出の記』が英訳され、エリザベス・ビスランドの著書『ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡』に収録され刊行。同著の収益は小泉家に贈呈された。 | |
| 1914年 大正3年 | 『思い出の記』が田辺隆次著『小泉八雲』収められて出版される。 | |
| 1932年 昭和7年 | 死去、満64歳没。 | |
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