あんぱん

嵩が手蔦治虫と遭遇する / あんぱん 第95回

2025/8/8(金)第19週「勇気の花」

あらすじ

ある日カフェに行った嵩は、そこで天才漫画家・手蔦治虫と遭遇。

すると手蔦治虫は嵩に声をかけ、嵩を驚かせました。

手蔦治虫と実際に会った嵩はいたたまれない気持ちになり、会社に戻ると退職届を提出しました。

一方、のぶは鉄子に意見しそのことで鉄子を怒らせてしまいました。

鉄子を怒らせ落ち込むのぶが家に帰ると、いつになく上機嫌な登美子が待っていました。

しかし、嵩が三星百貨店を退職するつもりがあることをのぶが登美子に告げると、登美子は猛反対し始めるのでした。

参考:地デジ番組表

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鑑賞後の感想

感想欄は放送後に追記します。

予習レビューと史実のリアルエピソード

今週、嵩くんが三星百貨店をやめて漫画家として独立します。

しかし、すぐに漫画家として売れるわけではありません。

次週以降、嵩くんの漫画家としての「売れない苦悩」が描かれます。

ではリアル嵩くんは三越をやめた後、どのような状況だったのか。

当時のリアルエピソードをまとめてみました。

リアル嵩くんの漫画家としての仕事

三越をやめた後も仕事はあったものの、漫画家としてヒット作を生み出すことが出来ないことが悩みだったリアル嵩くん。

「困ったときの柳瀬さん」と呼ばれ漫画以外の様々な仕事を手掛けていたころ、リアル嵩くんは漫画家としてどのような仕事をしていたのか。

以下、不遇の時代の漫画家としての主な仕事をまとめてみました。

昭和29年(1954年)『ビールの王さま』
三越をやめて独立した翌年、ニッポンビール(現・サッポロビール)の広告としての漫画『ビールの王さま』の連載がスタート。

ニッポンビールが「ビールの王さまコンクール」を開催。

この企画で使われた漫画です。

昭和31年(1956年)『週刊漫画TIMES』
日本初の週刊漫画雑誌『週刊漫画TIMES』が創刊。

リアル嵩くんは創刊初期から表紙や漫画を手がけ、昭和35年(1960年)の一年間を通して表紙を担当。

主な掲載作品は『暗黒星の恐怖』『とんでもナイ子さん』『泣きツラのカレ氏』など。

同誌に連作された漫画の中で、昭和41年(1966年)に連載された『ウルトラ.P 怪人ナメラー』が有名。

昭和31〜32年(1956〜57年)『トンガラ氏』『マックロちゃん』
昭和31年(1956年)『北海タイムス夕刊』に『トンガラ氏』が連載。

昭和32年(1957年)『高知新聞』に『マックロちゃん』が連載。

昭和33年(1958年)『ミルキーまんが』
不二家の社内報『FUJIYA MONTHLY』に「ペコちゃん」を主人公にした『ミルキーまんが』が連載。

昭和34年(1959年)『メイ犬BON』
三越在籍中から書き続けていた犬を主人公にした『メイ犬BON』を自費出版。

昭和35年(1960年)『珍犬ミミ』
『主婦と生活』に『珍犬ミミ』が連載。

犬の主人公「ミミ」はその後、『アンパンマン』に登場する「レアチーズ」のモデルとなった。

昭和42年(1967年)『ボオ氏』
『ボオ氏』が週刊朝日マンガ賞を受賞に、リアル嵩くんの代表的な漫画作品の一つに。

帽子を目深にかぶり顔が見えない主人公「ボオ氏」は、リアル嵩くんにとって初の代表的なキャラクターに。

リアル嵩くんは「ボオ氏」というキャラを晩年まで描き続けた。

また『ボオ氏』はリアル嵩くんの漫画家としてのキャリアの転機にもなりました。

転機となった『ボオ氏』

昭和40年(1965年)、『週刊朝日』が漫画賞を開催しました。

優勝者は賞金100万円と『週刊朝日』での半年間の連載の機会を得られるものでした。

募集対象はプロアマ問わず。

リアル嵩くんも応募はできるわけですが、チャレンジするかどうか迷いに迷いました。

すでにプロ漫画家として活動していながら落選して人に笑われるのが怖かったのです。

迷った末にリアル嵩くんは応募を決意。

「某氏」と「帽子」をかけ合わせたキャラクター「ボオ氏」が主人公の四コマ漫画を半年分の24個書き上げました。

そして「ボオ氏」は最高賞に当たるグランプリを受賞。

漫画家としての評価も一気に高まりました。

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