NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『ばけばけ』
2025年4月1日 〜 4月5日放送
あらすじ
これは、怪談をこよなく愛する没落士族の娘・松野トキと、英語教師として来日した外国人・ヘブンの物語。
没落士族の松野家
明治の初め。
没落士族となった松野家では、小学生のトキが父の司之介、母のフミ、そして祖父の勘右衛門とともに貧しい暮らしを送っていました。
そんなある日、父の司之介はトキにいい暮らしをさせようとある決心をしました。
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今週の展開
1: 9/29(月)
2: 9/30(火)
3: 10/1(水)
4: 10/2(木)
5: 10/3(金)
予習レビューと史実のリアルエピソード
トキの実在モデル・セツの誕生
慶應4年(1868年)2月4日、この物語の主人公・トキの実在モデル「セツ」は松江城近くの小泉邸で産声をあげました。
セツの父親・小泉弥右衛門湊(やえもんみなと)は当時31歳。
セツ誕生の前年に小泉家の家督を継いだばかり。
セツの母親・チエは30歳。
14歳で小泉家に嫁ぐまで、30人もの奉公人にかしづかれる「姫」で、ご家中一番の美女と言われるような女性でした。
ところでセツが生まれる前、セツの生家である小泉家と遠縁の親戚にあたる稲垣家の間では、小泉家で次に生まれた子供は稲垣家でもらい受けるという約束が交わされていました。
小泉家にはすでに5人の子供が生まれていたのに対して稲垣家は子宝に恵まれていなかったからです。
そのためセツは誕生七日目を祝った翌日に稲垣家の養女となりました。
セツの養父・稲垣金十郎は当時26歳。
実際に体験した鳥羽伏見の戦いの様子を子供たちに面白おかしく語るような明るい好青年。
セツの養母・トミは24歳。
無学ながら働き者で愛情豊かな女性でした。
またセツが養女として引き取られた頃の稲垣家の当主は、金十郎の父・万右衛門。
当時50歳だった万右衛門は武士の誇りを決して捨てない人物であった一方、無類の子供好きであったためセツを喜んで迎え入れました。
セツは数えで4歳の頃には自分がもらい子であることを認識していました。
そして実父が「小泉様」と呼ばれ誰からも敬意を払われていたことはセツの誇りでした。
一方で稲垣家の養父母も深い愛情をセツに注いでいたため、セツの養父母への愛情は生涯にわたって揺らぐことはありませんでした。
セツが誕生した時代
セツが誕生した当時は激動の時代でした。
セツが誕生した年の前年、慶應3年(1867年)に江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜が「大政奉還」を行い政権を返上。
同年12月に「王政復古の大号令」。
しかし幕府の親藩だった松江藩は幕府方と新政府方のどちらにつくのか政治姿勢が曖昧だったため、新政府から不信の目を向けられることになりました。
年が明けて慶應4年(1868年)、セツが誕生した年。
1月に鳥羽・伏見の戦いが勃発し、旧幕府軍と薩摩・長州軍が激突し旧幕府軍は敗北。
同年9月8日(グレゴリオ暦1868年10月23日)に明治に改元。
明治3年(1870年)に松江藩で家禄の削減が実施。
それまで家によって大きな格差があった家禄は一律32石に引き下げられました。
そのため稲垣家は従来比で20%減。
セツの生家である小泉家にいたっては73%減となりました。
また明治3年(1870年)には、松江藩は士族で編成される軍隊をフランス式に調練することが決定し、ヴァレットという名の下士官がその任にあたりました。
その調練には多くの人が見学に押し掛け、その中には3歳だったセツもいました。
ヴァレットは好奇心の目を自分に注ぐ子供たちに近寄るものの、子供たちが「異人」に驚き逃げ出すか泣き出すかする中、セツだけはヴァレットを見つめ続けていました。
ヴァレットから年齢を尋ねられたセツは指で自分の年齢を示し、それに喜んだヴァレットは虫眼鏡をセツにプレゼント。
セツはその後、この虫眼鏡を大切にし続けました。
また、「異人」を目の前にしても動じなかったことは、その後のハーンとの出会いと結婚を暗示するかのようでした。
その翌年の明治4年(1871年)。
廃藩置県により松江藩は松江県となり、その後島根県に編入されました。
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