あんぱん

開幕直前で埋まらない席 / あんぱん 第123回

2025/9/17(水)第25週「怪傑アンパンマン」

あらすじ

ミュージカル『怪傑アンパンマン』の準備が始まり、ますます多忙になる嵩をのぶはサポート。

たくやはピアノを弾きながら曲にアレンジを加え続けました。

メイコと健太郎も手伝いに加わり、ミュージカル『怪傑アンパンマン』の準備は着々と進んでいました。

そして3ヶ月ほどが経過したころ。

開幕の日が近づくもののチケットは売れていませんでした。

チケットを1枚でも多く売りたいのぶは、あることを思いつくと行動を開始しました。

参考:地デジ番組表

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鑑賞後の感想

感想欄は放送後に追記します。

予習レビューと史実のリアルエピソード

雑誌『詩とメルヘン』

昭和48年(1973年)、嵩くんが雑誌『詩とメルヘン』を創刊します。

雑誌『詩とメルヘン』を刊行するのは八木さんの会社の出版部です。

八木さんはこの年、「九州コットンセンター」という社名を「キューリオ」に変更。

雑誌『詩とメルヘン』は「キューリオ」による刊行です。

なお「キューリオ」の実在モデルは「サンリオ」です。

「サンリオ」の「サン=3」を「キュー=9」に変えて「キューリオ」にしたのでしょうか。

なお、嵩くんの初の商業出版の詩集は八木さんの提案によって刊行されました。

一方『詩とメルヘン』は、読者から投稿してもらった詩を掲載した雑誌を刊行したいという嵩くんの希望を八木さんが受け入れ、刊行が決まりました。

嵩くんは新聞や雑誌への漫画の投稿が漫画家の第一歩でした。

そんな嵩くんは、詩人を目指す人の第一歩を応援する雑誌を作りたいという想いから『詩とメルヘン』の刊行を思い立ったようです。

【史実】雑誌『詩とメルヘン』創刊

昭和48年(1973年)、アンパンマンが初めて絵本として世に出たのと同じ年。

リアル嵩くんは雑誌『詩とメルヘン』を創刊しました。

雑誌『詩とメルヘン』を刊行したのはリアル八木さんが経営する会社です。

リアル八木さんの会社はドラマの中で再現されているようにリアル嵩くんの詩集『愛する歌』も出版しています。

リアル嵩くんはリアル八木さんに相談しました。

詩の雑誌を出したい。

編集者は自分一人で、しかも無報酬でいい。

そんなリアル嵩くんの提案は受け入れられ、リアル八木さんは詩の雑誌の発刊を決めました。

それが今週のドラマの中でも再現される雑誌『詩とメルヘン』です。

リアル八木さんが雑誌を発刊する予算として出したのは120万円。

全く売れなくても赤字が120万円で済むのなら問題ないというのがリアル八木さんの考えでした。

これまでにないコンセプトの雑誌を、雑誌業界の人々はすぐに廃刊になるだろうと予想。

リアル嵩くん自身も売れるとは思っていませんでした。

そのため初版は1万5千部のみ。

ところが初版は1万5千部はあっという間に完売した上に雑誌としては異例の5刷。

不定期刊として創刊されながらすぐに月刊化。

リアル嵩くんが発案し、そして編集長もつとめた『詩とメルヘン』は30年間にわたって刊行を続けました。

【史実】雑誌『詩とメルヘン』リアル嵩くんの仕事

編集者は自分一人で無報酬。

この条件で雑誌『詩とメルヘン』の創刊を実現したリアル嵩くんの仕事は、編集長という立場でありながら多岐にわたりました。

雑誌『詩とメルヘン』は読者から届く詩を掲載していました。

毎月、読者から送られてくる詩は膨大な量にのぼりましたが、それらすべてに目を通して掲載する詩を選定するのはリアル嵩くんの仕事でした。

リアル嵩くん自身も連載エッセイを執筆していました。

スタッフが揃っている編集室であれば新人に任せるような小さなイラストもリアル嵩くんが手がけ、表紙はすべてリアル嵩くんの作品でした。

そんな中、投稿作品に子供たちの詩が増加。

リアル嵩くんは詩を愛する子供たちのために子供向けの詩の雑誌『いちごえほん』を創刊。

雑誌『詩とメルヘン』が創刊された二年後の昭和50年(1975年)のことでした。

さらに昭和57年(1982年)には、イラストレーターを目指す若者向けの雑誌『イラストレ』も創刊。

リアル嵩くんは雑誌の編集者として、雑誌の創刊者として、様々な仕事を手がけました。

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