2025/9/18(木)第25週「怪傑アンパンマン」
あらすじ
ミュージカル『怪傑アンパンマン』のチケットは売れず、羽多子とメイコもチラシ配りを手伝うなどしました。
そして迎えたミュージカルの公演初日。
空席が目立つ観客席を眺めながら、たくやは頭を抱えていました。
客入りの悪さが心配なのぶは、様子を見るために会場の受け付けに足を運びました。
するとそのとき、大勢の子供たちが駆けつけてきました。
参考:地デジ番組表
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鑑賞後の感想
感想欄は放送後に追記します。
予習レビューと史実のリアルエピソード
ミュージカル『怪傑アンパンマン』
嵩くんが最初に書いた「あんパンを配る太ったおじさん」には何も感じなかったらしいたくちゃんでしたが「アンパンマン」はすっかり気に入ったようです。
たくちゃんはアンパンマンのミュージカル化を嵩くんに提案。
嵩くんはたくちゃんの提案を受け入れ、ミュージカルの企画がスタートします。
さて、今週描かれるミュージカル化のエピソードには意外な登場人物がからんできます。
岩男くんの息子です。
父の死の真相を知るために上京した岩男くんの息子は八木さんの会社を訪問。
八木さんから岩男くんの死の真相を聞かされ大きなショックを受けるのです。
想像もしなかった父の死の真相を知りショックを受ける岩男くんの息子に、のぶちゃんは絵本『あんぱんまん』をプレゼント。
高知に戻った岩男くんの息子は、岩男くんの孫にあたる自分の息子にせがまれ、再び上京してミュージカル『怪傑アンパンマン』を鑑賞。
その過程で岩男くんの息子の心は癒され、岩男くんの悲劇も回収。
ざっくりとこんなエピソードが描かれますが、詳細は本欄では伏せておきます。
【史実】連載漫画『怪傑アンパンマン』
昭和48年(1973年)、絵本『あんぱんまん』が出版。
リアル嵩くんの悲願であったアンパンマンの初めての出版でした。
ところが絵本『あんぱんまん』は売れませんでした。
しかしリアル嵩くんはアンパンマンをどうしても世に出したかった。
そこでリアル嵩くんは、方々の出版社にアンパンマンを持ち込むものの、どの出版社も興味を持ってくれることはありませんでした。
そんな中、昭和48年(1973年)にリアル嵩くんは雑誌『詩とメルヘン』を創刊。
同誌の編集長となりました。
そして創刊から二年が経った昭和50年(1975年)、リアル嵩くんは『詩とメルヘン』で自作の漫画の連載を始めました。
その漫画のタイトルは『熱血メルヘン 怪傑アンパンマン』。
リアル嵩くんは、自ら編集長を務める雑誌でアンパンマンの連載を開始したのです。
今週のドラマの中に登場する『怪傑アンパンマン』というタイトルは当初『詩とメルヘン』に連載されたアンパンマン作品のタイトルでした。
しかし『詩とメルヘン』に連載された『熱血メルヘン 怪傑アンパンマン』も評判は芳しくありませんでした。
【史実】ミュージカル『怪傑アンパンマン』
雑誌『詩とメルヘン』に連載された『熱血メルヘン 怪傑アンパンマン』も不人気で、連載は一年足らずに打ち切ることになりました。
しかし、一人だけアンパンマンを気に入っている人物がいました。
リアルたくちゃんこといずみたくさんです。
ドラマの中のたくちゃんはアンパンマンの原型の絵を初めて見せられたときには微妙な反応を示していましたが、リアルたくちゃんの反応はまるで違うものだったようです。
アンパンマンをとても気に入ったリアルたくちゃんはアンパンマンのミュージカル化を提案。
リアル嵩くんはその提案を快諾し『ミュージカル 熱血メルヘン 怪傑アンパンマン』が上演されることが決定。
雑誌『詩とメルヘン』で『熱血メルヘン 怪傑アンパンマン』の連載が開始された昭和51年(1976年)に上演が開始。
リアルたくちゃんの稽古場に建てた建物で上演は行われました。
そして、このミュージカルはリアルたくちゃんが亡くなるまでの16年間も上演が続きました。
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