ばけばけ

トキが機織り工場で働く / ばけばけ 第5回

2025/10/3(金)第1週「ブシムスメ、ウラメシ。」

あらすじ

明治19年(1886年)。

18歳になったトキは、傳が営む機織り工場で織子として働いていました。

トキが働くのは司之介が作った借金を返すことが目的でした。

しかし借金はなかなか減らず、トキは働き手を増やすことを考えました。

トキは自分が婿を取れば働き手を増やすことができると考えたのです。

そこでトキは、機織り工場で一緒に働くチヨとせんを誘って、八重垣神社に参拝。

トキたちは縁結びの神様の前で恋占いをしました。

参考:Yahoo!テレビ

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鑑賞後の感想

感想欄は放送後に追記します。

予習レビューと史実のリアルエピソード

セツが学業を断念

明治9年(1876年)セツは小学校の下等教科の7級に進級。

しかし、その頃に養父の稲垣金十郎が詐欺被害に遭い、稲垣家は城下町の外れに転居。

セツは小学校に通えなくなりました。

そんなセツを救ったのが実父の小泉弥右衛門湊でした。

小泉家も経済的に苦しい状況にありましたが、まだ当時は余力がありました。

そこで弥右衛門湊がセツの学資を出すことになったのです。

セツは再び小学校に通学。

明治10年(1877年)小学校の下等教科の6級に進級。

全校生徒400名の中でずば抜けて成績が優秀だったセツは、飛び級試験で進級。

下等教科の卒業を決める大試験にも合格。

大試験に合格した当時11歳になっていたセツは、上等教科に進んだ後、松江女子師範学校に進学するのが希望でした。

しかし、その頃の稲垣家は日々の生活費すらままならない状態でした。

実父の弥右衛門湊は、再びセツの学資を小泉家で負担することを申し出るものの、養祖父の万右衛門がこれを拒否。

セツは稲垣家の娘。

それが小泉家に頼るというのは稲垣家の恥であるというのが、養祖父の万右衛門が実父の弥右衛門湊からの申し出を拒否した理由でした。

養祖父の万右衛門は一度言ったことは絶対に曲げない人でした。

そのため実父の弥右衛門湊は学資を出すことを断念し、セツの希望は完全に断たれてしまいました。

松江女子師範学校への道を断たれたセツは一週間もの間、泣き続けたと言われています。

学業を断念したセツのその後

セツは学業を断念。

学業を断念するだけでなく、11際にして働くことを余儀なくされました。

当時、養父の稲垣金十郎は30代後半。

得意の囲碁を教えるなどしていましたが、詐欺被害に遭ったことを馬鹿にされて激怒し、トラブルを起こして失職。

60歳の養祖父の稲垣万右衛門も道場で武芸を教える仕事をしていました。

しかし、道場主から求められていない武士の嗜みまで厳しく教える姿勢が煙たがれて失職。

稲垣家の働き手は養母のトミひとり、そんな状態でした。

そんな状況下のある日、セツは生家の小泉家に遊びに来るように言われました。

迎えの人力車に乗ってセツは小泉家へ。

セツを小泉家に呼んだのは実父の小泉弥右衛門湊でした。

そしてセツを呼んだ目的はセツの仕事のことでした。

小泉弥右衛門湊は家禄奉還によって得た資金によって機織りの会社を起こしていました。

その機織りの会社は士族の娘を集めて機織りをさせ、製品は大阪などで販売。

セツはこの機織り会社の織子として働かないかと実父から誘われたのです。

セツは実父の誘いを快諾。

そしてセツは機織り会社の織子となりました。

なお、セツが織子となったのはセツが11歳のときで明治12年(1879年)。

そしてセツが最初の夫・前田為二と結婚したのは18歳のときで明治19年(1886年)。

セツが最初の結婚をした頃には小泉家の機織り会社は倒産。

小泉家は全財産を失い長屋暮らしを余儀なくされました。

そして明治20年(1887年)、実父が死去。

同年、夫の為二は義理の祖父である稲垣万右衛門の厳しさに耐えかねて家出をしました。

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