2025/9/30(火)第1週「ブシムスメ、ウラメシ。」
あらすじ
明治の世になり武士の時代は終わっても武士の誇りを捨てることができず、司之介と勘右衛門は働けずにいました。
そんな中、トキは小学校で将来の夢を聞かれました。
その際に教師になると答えた親友のサワに影響されて、トキも教師になりたいと言い出しました。
それまでトキは、武家の娘としてお茶や三味線などの稽古を親戚の雨清水タエにつけてもらっていました。
しかしトキは、教師に稽古は必要とないと考え、教師になるための勉強に集中するため稽古をやめたいと告げました。
そんなトキに対して、タエは武士の娘が働く必要などないと答えました。
教師になる夢を否定されてトキが落ち込んでいると、そこに姿をあらわしたタエの夫の傳は・・・
参考:Yahoo!テレビ
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鑑賞後の感想
感想欄は放送後に追記します。
予習レビューと史実のリアルエピソード
今回の本欄では、松野トキとヘブンの実在モデルである小泉セツとラフカディオ・ハーンの、それぞれの誕生から幼少期の頃のエピソードをご紹介します。
小泉セツの少女時代
セツが6歳になったころ、新政府は義務教育とともに公立学校の制度を開始。
セツは8歳になってから公立の小学校で学び始めました。
小学校では読み方、書き方、算術に加え、女子は裁縫教科の授業も受けました。
セツは小学校が好きで成績も優秀でした。
そして、優秀な成績をとった生徒がもらえる賞を取ることが楽しみでした。
少女時代のセツはまた、お話や物語を聞くのが大好きでした。
家族はもちろん、家来や女中に加えて出入りしている酒屋などにまで話を聞かせてくれとせがみました。
そのため周囲の面々は、セツが近づいてくると逃げ出すほどでした。
セツは養祖父や養父が聞かせてくれる侍の話や戦争の話が大好きした。
しかし、それ以上の大好きだったのは養母が聞かせてくれる話や物語でした。
セツの養母・トミは出雲大社の社家で代々高級神官をつとめてきた高浜家で養女として育てられました。
そのためトミは、出雲の神々の物語、出雲大社にまつわる話の数々、生き霊や死霊の話、狐や狸が人に化ける話など話題が豊富でした。
セツは数えで2歳ころよりお話や物語を聞くのが大好きになりました。
セツの物語好きはその後も続き、二十歳を過ぎても物語好きは変わりませんでした。
そのため、セツの中に豊富な物語がセツの中に貯えられました。
そして、セツの中に貯えられた物語の数々が、将来の夫・ハーンの文学に貢献。
ハーンの『知られぬ日本の面影』所収の「魂について」や『心』所収の「阿弥陀寺の比丘尼」などはセツの中に貯えられた物語がハーンの作品になったものです。
ラフカディオ・ハーンの幼少〜青年期
ヘブンの実在モデル・ラフカディオ・ハーンが来日するまでの人生は不運の連続でした。
ラフカディオ・ハーンは1850年6月27日生まれ。
父のチャールズ・ハーンはアイルランド出身の英国陸軍軍医。
母のローザはギリシア人。
ラフカディオ・ハーンは母の故郷であるギリシアのレフカダ島で生まれ、その島名にちなんでラフカディオと命名されました。
ラフカディオ・ハーンは2歳のときにハーン家があるダブリンに移住。
その直後に、母のローザは夫の愛情を感じられなくなったことを理由に4歳の息子をダブリンに残してギリシアに去りました。
その後ラフカディオ・ハーンは大叔母のサラ・ブレナンに引き取られました。
大叔母は裕福だったため別荘暮らしなどを楽しむ日々をラフカディオ・ハーンは過ごしました。
しかしラフカディオ・ハーンが7歳のとき。
父がインドに赴任するのを機に再婚し、父の再婚は父の永遠の別れになりました。
ラフカディオ・ハーンは7歳で両親を失ったわけです。
その後ラフカディオ・ハーンは、カトリック系の全寮制の学校に入学。
平穏な学生生活を過ごす中で遊具が左目に当たり失明。
ラフカディオ・ハーン17歳のときでした。
その翌年、ラフカディオ・ハーンが17歳のときに大叔母のブレナンが破産。
退学を余儀なくされました。
退学の様子は記録には残されていないものの、ロンドンで貧窮生活を送っていたと言われています。
なお、ラフカディオ・ハーンが退学を余儀なくされた翌年の1868年にセツが生まれました。
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