NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『ブギウギ』
2024年3月25日 〜 3月29日放送
あらすじ
スズ子が歌手引退を決意
『オールスター男女歌合戦』での水城アユミとの新旧対決への評価はスズ子の圧勝。世間はブギの女王の復活に沸きました。
しかし『オールスター男女歌合戦』のステージで燃え尽きたスズ子は、歌手としての限界を感じ、ある一つの決意を固めました。
スズ子が固めた決意とは、歌手引退でした。しかし羽鳥は、スズ子の歌手引退に猛反対し、もし歌手を引退するなら絶縁するとまで言いました。
羽鳥の後悔
スズ子が歌手を引退することにマネージャーのタケシも涙ながらに反対する一方、茨田りつ子はスズ子の決意を尊重しました。
ほどなくしてスズ子は、歌手引退を世間に知らせるために記者会見を行いました。記者会見の会場には鮫島も姿を現し厳しい質問をスズ子に浴びせました。
そのころ羽鳥は、スズ子と絶縁するとまで言ってしまったことを後悔していました。そして茨田りつ子に仲介を頼むものの羽鳥の頼みは一蹴されてしまいました。
福来スズ子 さよならコンサート
羽鳥はスズ子を訪問し絶縁発言を撤回した上で謝罪。最後にコンサートを開くことを提案し、羽鳥のその提案をスズ子は喜んで受け入れました。
そして迎えた『福来スズ子 さよならコンサート』の日。スズ子の楽屋には秋山美月、リリー白川、桜庭和希、山下と坂口、おミネらも駆けつけてきました。
スズ子の最後のコンサートは大盛況のうちに終わり、それ以降スズ子は鼻歌一つ歌おうとはしませんでした。そして歌手をやめたスズ子の日常が始まるのでした。
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今週の展開
122: 3/25(月) スズ子が下す大きな決断
123: 3/26(火) 歌手引退の決意を伝える
124: 3/27(水) 歌手引退の記者会見開く
125: 3/28(木) スズ子と羽鳥が向き合う
最終回/126: 3/29(金) 最後のステージ
予習レビューと史実のリアルエピソード
いよいよ最終週。
スズ子ちゃんが歌手引退を決意します。
そこで、笠置シヅ子さんが歌手廃業を宣言してから最晩年までをまとめてみました。
歌手廃業とテレビドラマ
昭和31年(1956年)の大晦日に放送された「紅白歌合戦」に大トリで出演した笠置シヅ子さんは翌年早々に歌手を廃業し女優業に専念したいと宣言しました。
昭和32年(1957年)テレビドラマ『雨だれ母さん』に出演。
同年1月8日から7月16日まで放送された本作で笠置シヅ子さんは、2人の子供を育てる下町暮らしの未亡人役を好演。
その後も笠置シヅ子さんは女優業を中心にした活動を継続。
昭和35年(1960年)に主演したテレビドラマ『台風家族』は大ヒットし、放送は昭和39年(1964年)まで続きました。
映画とカラーテレビ
テレビの普及に伴いテレビドラマへの出演機会が増える笠置シヅ子さんでしたが、女優業の中心はテレビドラマから映画へ移行。
上記『台風家族』が放送されている4年間にも日活、東宝、東映作品に出演。
『台風家族』終了後の昭和40年代前半も、女優業としての活動の中心は映画でした。
またカラーテレビが浸透し始めた昭和41年(1966年)に放送が開始された『家族そろって歌合戦』にレギュラー審査員として出演。
同番組は昭和55年(1980年)まで放送が続く人気番組となりました。
『家族そろって歌合戦』への出演が始まった昭和41年(1966年)には、笠置シヅ子さんは液体クレンザー「カネヨン」のテレビコマーシャルに出演。
「カネヨン」のテレビコマーシャルへの出演は晩年まで続きました。
最晩年
昭和56年(1981年)日本劇場が有楽町マリオンへの建て替えのため閉館が決定。
同年1月28日から2月15日に行われた公演『サヨナラ日劇フェスティバル、ああ栄光の半世紀』では舞台あいさつを務めました。
同じ年に乳がんが発見され手術。
昭和58年(1983年)には卵巣がんで入院。
昭和59年(1984年)にがんが再発。
昭和60年(1985年)3月30日、卵巣がんのために死去。
享年70歳。
「日劇時代は楽しかったね」が最期の言葉となりました。
昭和60年(1985年)4月5日に行われた告別式の葬儀委員長は服部良一氏が務めました。
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連投すみません。「カネヨンでんねん」ってコマーシャルは懐かしいですわ。
趣里ちゃんがドラマの台詞、設定だとはいえ「歌手を引退します」って言うのは、ランちゃんはどのような心境で見守るのだろうか。
コンサートに愛助さん、出てほしいな。六郎君みたいに。