あんぱん

赤紙届き東京去る健太郎 / あんぱん 第47回

2025/6/3(火))第10週「生きろ」

あらすじ

昭和16年(1941年)12月8日、日本が米英と開戦しました。そのころより小麦粉は配給になり朝田パンは休業。あんパンを焼けなくなった朝田パンは、陸軍に納入する乾パンを作ることしかできなくなりました。

一方の嵩は、東京の製薬会社に就職し一年ほどが経過していました。そんなある日、嵩が帰宅すると健太郎がカレーライスを作っているところでした。健太郎に赤紙が届き、最後の夕食としてカレーライスを作ったのです。

明くる日、入隊のために東京を去り福岡に向かう健太郎を、嵩は生きてまた会おうと言って涙ながらに見送りました。同じころ、のぶのもとには航海が取りやめとなり予定より早く次郎が帰って来ました。

その日の夜、帰宅した次郎は夕食の席で何か言いたいことがあるものの、黙っていることにしました。そしてのぶと一緒に写真の現像をしながら、戦争が終わった後にやってみたいことを語りました。

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感想

嵩くんが心配

ヤムおじさんが去った直後から小麦粉が配給制になり、そして米英との開戦。

ヤムおじさんがいなくなったら、とたんに空気が重く暗くなってきました。

そんな中で、健ちゃんに赤紙です。

健ちゃんが出征したことで、ブログ主は嵩くんのことが心配になってきました。

前週、嵩くんは二人の大事な人を失っています。

寛先生が急逝しました。

そして、のぶちゃんは他の男と結婚してしまいました。

寛先生が亡くなりのぶちゃんが他の男と結婚し、深く落ち込む嵩くんを支えてくれたのが親友である健ちゃんのはずです。

そんな健ちゃんまでもがついにいなくなる。

そして、嵩くんの良き理解者だったヤムおじさんも、嵩くんの知らないところでいなくなっています。

ところで、前週の最後に放送された予告映像では嵩くんにも赤紙が届いてました。

また、ちょっとネタバレになりますが、次週では嵩くんの最も大事な人の一人である千尋くんも「旅立つ」描写があります。

嵩くん、いよいよ一人ぼっち。

でも、次週には嵩くんの良き理解者となるはずの新キャラが登場します。

その新キャラの登場がブログ主には楽しみでなりません。

次郎さん

次郎さん、死を覚悟しているのかも。

航海というロマンチックな仕事も戦時下では危険極まりない仕事です。

夕食の席で次郎さんが言いかけたこと。

のぶちゃんへの遺言みたいなことだったのかも。

しかし、その言葉は封印。

戦争が終わった後のことに、のぶちゃんととともに思いを馳せました。

のぶちゃんと次郎さんの二人きりの場面。

しみじみとしながらも悲しくなるような場面でした。

ヤムおじさん

大好きなヤムおじさんが去ってしまったことが寂し過ぎて、昨日はずっとヤムおじんのことを考えていました。

考え続ける中で気がつきました。

ヤムおじさんは御免与の朝田家に戻ってくるだろうと。

そもそもヤムおじさんが朝田家を出て行った理由は、朝田家を嫌いになったからではありません。

御免与の町が嫌いになったわけでもありません。

朝田家がこれから乾パンを作り続けなければならない状況になったこと。

朝田家の人々のことを考えれば、乾パン作りを続けるのはやむをえないこと。

ヤムおじさんはそのように考えたのでしょう。

しかし、世話になった朝田家の人々のために一度は乾パンを作ったものの、もうこれ以上作ることはできない。

乾パンを作れば心の古傷が痛むから。

実際、ヤムおじさんがカマジイに過去を打ち明けた際、ヤムおじさんは乾パン作りを断っているはずです。

何故なら、乾パンの材料が朝田パンに運び込まれた際、カマジイは困惑していたから。

さらに、ヤムおじさんが作ると宣言したとき、カマジイは驚いていたから。

乾パンを作るつもりはなかったが、朝田家の人々のことを思うとつくらないわけにはいかなかった。

でも、これ以上は無理。

朝田パンはこれからも乾パンづくりを続けるだろうから、自分はもうここにはいられない。

そう考えて出て行ったのでしょう。

しかし・・・

戦争が終わって、小麦粉と小豆も手に入りやすくなったら。

そのときにはヤムおじさんは、朝田家にいることを拒む理由はありません。

これはブログ主の推測ですが、戦後になってあんパンを作れるようになった頃、羽多子さんは再びあんパンを焼き始めるのでしょう。

そんな中、こんなまずいあんパンを焼くなと文句を言いながらヤムおじさんが戻ってくるような気がします。

カマジイも言いました。

あいつは風向きが変わったら戻ってくるだろうと。

風向きが変わるとは戦争が終わること。

ヤムおじさん、戦争が終わったら戻ってきてほしい。

でも、戦争が終わってしばらく経ったらのぶちゃんと嵩くんのストーリーの主要部隊は東京へ。

御免与の場面は減るはずです。

だとするとヤムおじさんの出番は減る。

ヤムおじさん、銀座の美村屋に復職しないかな・・・

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予習レビューと史実のリアルエピソード

ヤムおじさんの過去

今週、隠され続けてきたヤムおじさんの過去がついに明らかになります。

前週、ヤムおじさんが朝田家を去りました。

ヤムおじさんが朝田家を去った日の前の晩、ヤムおじさんはカマジイに自分の過去を語っていました。

ヤムおじさんが過去を語った唯一の相手が、最も仲の悪かったカマジイでした。

カマジイが聞いたヤムおじさんの過去。

それをカマジイがのぶちゃんに語ります。

ヤムおじさんは、話題が戦争の話になるといつも強い反応を示していました。

ヤムおじさん、第一次世界大戦に参戦していたようです。

ドラマの中では欧州大戦と呼ばれます。

第一次大戦と聞いて???と思う方もいるかと。

ドラマの中でもカマジイが欧州まで行った日本兵は聞いたことないと驚くみたいです。

それにはワケがあります。

若き日のヤムおじさんは銀座のパン屋で働いていてもっと美味いパンを焼きたくなり密航船に乗ってカナダへ。

ところが、日本人義勇兵として英国軍に入隊することになり参戦。

そのため第一大戦に参戦することになりました。

ヤムおじさんはその戦場でで地獄を体験しました。

塹壕の中で何日も泥まみれになり、その時の一番つらいのは空腹だったと語るヤムおじさん。

自分の隣で戦死した兵隊のコートから乾パンを取り出し飢えをしのいだこともあったのだとか。

これがヤムおじさんの戦争の記憶。

そして、乾パンを焼くことを強く拒んだ理由です。

また、ヤムおじさんは銀座の美村屋をやめてしまったことを後悔もしているようです。

ヤムおじさんにとって美村屋での日々は美しい思い出なのでしょう。

それ故に思い出したくないのかもしれません。

ヤムおじさんが御免与に住むことにした理由

ヤムおじさんは御免与に住むことにした理由もカマジイに打ち明けていました。

それまで各地を転々としていたヤムおじさんがどうして御免与に腰を据えたのか。

御免与を立ち去ろうとした際に、のぶちゃんが駅まで追いかけてきた場面がありました。

そして、のぶちゃんが「おさらばらあて、いやや」と叫ぶと、一度は改札を通ったヤムおじさんが駅に戻ってきました。

ヤムおじさん、各地を渡り歩いたものの、そんなことを言われたのは初めてのことだったそうです。

それが嬉しかったヤムおじさん、御免与に住むと決めたそうです。

その話を聞いたカマジイは御免与に残るようすすめます。

ずっとここにいろと。

しかしヤムおじさんは去ってしまいます。

乾パンの作り方のメモを朝田家に残して。

ヤムおじさんの過去を知ったのぶちゃん

カマジイからヤムおじさんの過去を聞かされたのぶちゃんは深く後悔します。

乾パンづくりの注文を受けてきたのは自分。

乾パンづくりを強要したのも自分。

ヤムおじさんにとっても最も思い出しなくない思い出を思い出させてしまった、取り返しのつかないことをしてしまった。

ヤムおじさんが御免与に住むきっかけを作ったのはのぶちゃんでした。

そののぶちゃんが、ヤムおじさんが御免与を去るきっかけも作ってしまうという皮肉な結末を迎えてしまいます。

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POSTED COMMENT

  1. 還暦のたつお より:

    そもそもの、第一次世界大戦の発端は、領土問題で対立していたオーストリアとセルビアですが、オーストリアの皇太子がセルビアを訪問した際に暗殺され、まず両国で開戦。その後オーストリアに味方した、ドイツ、トルコと、セルビアに加担するフランス、ロシア、イタリアとでヨーロッパ全土を巻き込んだ大戦に発展します。セルビア側と同盟を結んでいたイギリスも参戦。日本も日英同盟を結んでいた関係で、中国にあったドイツの領土の軍事基地を攻撃します。当初は、世界最高峰の頭脳を持つよばれたドイツ軍参謀本部の立てた作戦で、開戦当初は戦況はドイツ側に有利でしたが、フランス、イギリス側の反撃で、フランス領内で戦線は膠着状態になります。両軍は距離を取って、塹壕や陣地を作って睨み合います。時折、両軍は戦線を突破しようと歩兵を突撃させますが、敵陣地からの砲撃、機銃掃射で莫大な犠牲者を出します。陣地、塹壕はドイツ側は、防水の効いた頑丈なコンクリート製でしたが、フランス、イギリス側の物は地面に穴や溝を掘って木材で囲った粗末なものでした。特にイギリス兵は塹壕に入り込む不潔な泥水のせいで、軍靴に泥水と共に入り込む細菌の為に、重度の皮膚病に感染して命を落とす兵士も少なからずいたそうです。そんな過酷な状況でヤムさんは戦っていたのです。

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