NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『あんぱん』
2024年6月2日 〜 6月6日放送
あらすじ
健太郎に召集令状が届く
昭和16年(1941年)12月。日本軍はハワイの真珠湾を攻撃し、米英との戦争に突入。のぶの小学校でも徹底した軍国教育が行われるようになりました。
昭和17年(1942年)1月。嵩が東京の製薬会社に就職してから一年が経過したころ、同僚の健太郎に召集令状が届き、仕事をやめることになりました。
のぶの夫・次郎
のぶの夫・次郎の航海が戦争の影響で取りやめになりました。次郎は久しぶりに家に帰り、戦争が終わったらしたいことをのぶと語り合いました。
ほどなくして次郎は兵隊と軍事物資を運ぶための航海に出ることになり、大事なカメラをのぶに託すと旅立って行きました。
嵩が入隊
嵩にも召集令状が届き、出征のために高知に帰りました。そして迎えた嵩が人々に見送られているところに登美子が姿をあらわしました。
登美子が「死んじゃだめ」と泣き叫び騒然とする中を嵩は旅立ち、勇猛果敢なことで知られる福岡の小倉連隊に入隊しました。
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今週の展開
46: 6/2(月)
47: 6/3(火)
48: 6/4(水)
49: 6/5(木)
50: 6/6(金)
予習レビューと史実のリアルエピソード
リアル嵩くんの就職
昭和15年(1940)3月、リアル嵩くんは東京高等工芸学校を卒業。
同年4月、東京日本橋の田邊元三郎商店(現在の田辺三菱製薬)に入社し、宣伝部でデザイナーとして働き始めました。
実はリアル嵩くんは卒業の前年に電通でアルバイトし、卒業後に入社しないかと誘われていたそうです。
そんなリアル嵩くんが製薬会社である田邊元三郎商店を選んだのは、親を亡くした自分を育ててくれた叔父への恩返しを考えていたからですた。
リアル嵩くんの叔父は開業医でした。
そのためリアル嵩くんは、自分が製薬会社に就職すれば叔父さんが薬品を安く調達できるようになるだろうと考えたようです。
電通に入社しなかったことを後悔もしたらしいリアル嵩くんでしたが、やがて田邊元三郎商店での広告の仕事に没頭するようになります。
東京高等工芸学校で友人だった神保勝清も田邊元三郎商店に一緒に入社したこともあり、リアル嵩くんの一年目の社会人生活も学生時代同様に充実したものだったようです。
リアル嵩くんの職場環境
リアル嵩くんが入社した田邊元三郎商店には、当時、内藤豊次という人物がいました。
後にエーザイを創業する人物です。
内藤豊次は、新薬開発と同じくらい広告にも情熱を注ぎました。
第一次世界大戦によって、輸入薬剤に依存していた田邊元三郎商店は経営難に陥りました。
その窮地から会社を救ったのが内藤豊次でした。
内藤豊次は新薬開発と広告宣伝を車の両輪として第一次世界大戦や関東大震災による苦境を乗り越えることに成功。
今では一般用語になっている「高血圧」という言葉も、内藤豊次が新薬を販売するための広告に用いた造語でした。
そんな内藤豊次のもとには多彩な才能が集まっていました。
また内藤豊次は広告に漫画を積極的に採用。
田邊元三郎商店にはプロの漫画家も出入りしており、リアル嵩くんは職場で様々な才能を持った人々と交流することができました。
しかし広告の仕事に没頭する日々は長くは続きませんでした。
リアル嵩くんに召集令状が届いたのです。
リアル嵩くんが召集される
1941年(昭和16年)1月、リアル嵩くんに召集令状が届きました。
ほどなくしてリアル嵩くんは福岡県小倉市にあった陸軍の部隊に入営。
当時、軍務に従事する期間は二年間と定められていました。
よってリアル嵩くんは昭和18年(1943年)には召集が解除され、予備兵に編入されるはずでした。
しかし戦況の悪化によって、予備兵に編入されたその日の再度の召集。
その結果リアル嵩くんは、終戦翌年の1946年(昭和21年)1月までの5年間、陸軍生活を送ることになります。
リアル嵩くんが入隊したのが22歳。
復員したのが27歳。
デザイナーとして貴重な時期となる20代の十年間の半分を、リアル嵩くんは軍隊の中で送ることを強いられてしまったことになります。
野戦重砲部隊
リアル嵩くんが入営した野戦重砲部隊の正式名称は「野戦重砲兵第六聯隊補充隊」。
旧日本陸軍の部隊名には正式名称と通称号の2種類があり、上記が正式名称。
一方、通称号は「西部第七十三部隊」です。
正式名称「野戦重砲兵第六聯隊補充隊」の末尾が「補充隊」となっていますが、これは聯隊の本体は中国へ派遣され、その留守部隊という意味を持ちます。
なお「野戦重砲兵」とは、野戦で任意に移動して敵の堅陣や要塞を攻撃し、味方の要塞を守る砲兵です
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