風、薫る 第7週「」予習レビューとあらすじ
NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『風、薫る』
2023年5月11日 〜 5月15日放送
看護婦見習い実習
1888年(明治21年)。養成所の生徒たちの看護婦見習い実習が帝都医科大学附属病院で行われることになりました。
しかし医療や衛生の知識がない帝都医大病院の看病婦たちは養成所の生徒たちを歓迎せず、入院している患者も生徒たちを見下していました。
りんの悩み、直美の覚悟
りんは患者と医師の疎通が出来なかったことを気に病むものの、バーンズは患者が回復さえすればそれでいいのだと悩むりんを諭しました。
一方の直美は患者のためになるなら何でもすると覚悟を決め、医師に巧みに取り入り患者の希望を通すなどしました。
和泉公爵夫人・千佳子の入院
養成所の生徒たちが患者たちに受け入れられ始めた頃、和泉公爵夫人の千佳子が入院。しかし千佳子は病院も看病婦も気に入らず、退院すると言い出しました。
医師たちが千佳子を必死になって引き留める中、バーンズに呼び出されたりんと直美は、院長室に足を運びました。
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今週の展開
31: 5/11(月)
32: 5/12(火)
33: 5/13(水)
34: 5/14(木)
35: 5/15(金)
予習レビューと史実のリアルエピソード
今週のドラマの舞台は帝都医科大学附属病院です。
そこで今週の予習レビュー欄では、帝都医科大学附属病院の実在モデルである帝国大学医科大学附属第一医院についてまとめました。
帝国大学医科大学附属第一医院
帝国大学医科大学附属第一医院は、現在の東京大学医学部附属病院(東大病院)へとつながる医療施設です。
その歴史は明治時代に始まりますが、さらにさかのぼると幕末期の医療機関に源流を見ることができます。
最初の出発点は1858年(安政5年)5月、神田お玉ヶ池に設立された種痘所でした。
これは西洋医学を取り入れた医療施設で、その後1861年(文久元年)10月に西洋医学所、1863年(文久3年)2月には医学所と改称。
1868年(明治元年)7月には、横浜軍陣病院が神田和泉橋の旧藤堂邸に移され、「大病院」と呼ばれるようになりました。
医学所はこの大病院に附属する形となり、翌1869年(明治2年)2月には両者が合併して医学学校兼病院となります。
さらに同年12月には大学東校と改称され、日本の近代医学教育の中心となっていきました。
その後も名称は変わり続けます。
1871年(明治4年)7月には東校、1872年(明治5年)8月には第一大学区医学校、1874年(明治7年)5月には東京医学校となりました。
1876年(明治9年)11月には、本郷本富士町の旧加賀藩邸に校舎・寄宿舎・病院が新築され、施設は本郷へ移転します。
1877年(明治10年)4月、東京開成学校と東京医学校が合併して東京大学が誕生し、病院は東京大学医学部附属病院と改称されました。
さらに1878年(明治11年)11月には神田に附属病院が設立され、こちらを第二医院、本郷の医院を第一医院と呼ぶようになります。
1886年(明治19年)3月、東京大学は帝国大学へと改組され、医学部は医科大学となりました。
これに伴い第一医院と第二医院は、それぞれ帝国大学医科大学附属第一医院・第二医院と改称されます。
第一医院は本郷の病院として臨床講義にも利用され、医学教育の重要な拠点となりました。
その後1893年(明治26年)には帝国大学医科大学附属医院へ、さらに1897年(明治30年)には東京帝国大学医科大学附属医院へと再編され、現在の東京大学医学部附属病院へと発展していきます。
幕末の種痘所から始まり、幾度もの改組を経て成長してきたこの病院は、日本の近代医学と医学教育の歴史を体現する存在といえるでしょう。
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