NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『風、薫る』
2023年5月18日 〜 5月22日放送

りんが千佳子の看護を担当

りんが千佳子の看護を担当することになりました。しかし看護婦の意義を理解できない千佳子は、りんを受け入れようとはしませんでした。

りんは直美とともに、看護婦としてどのように患者と接したらいいのかを悩み、試行錯誤を繰り返す日々を送りました。

千佳子の本音

ある日、千佳子が手術をしたくないと本音をりんに打ち明けました。武家の女として潔く死にたいと語る千佳子を見て、千佳子は美津に似ているとりんは思いました。

それ以来、千佳子はりんに対して少しづつ心を開くようになりました。そして千佳子は、夫の元彦への思いをりんに語りました。

手術を受け入れる千佳子

ある日、千佳子の見舞いに来た元彦にりんは声をかけました。千佳子は元彦との思い出を大切にしている。元彦からも手術を勧めてもらえないかと。

千佳子の気持ちを知った元彦は、自分のためにも手術を受けてほしいと懇願。元彦の願いを受け入れた千佳子は、手術を受ける気持ちを固めるのでした。

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今週の展開

36: 5/18(月)
37: 5/19(火)
38: 5/20(水)
39: 5/21(木)
40: 5/22(金)

予習レビューと史実のリアルエピソード

今週、りんちゃんは華族の女性の看護を担当します。

ドラマの中で描かれるエピソードは創作ですが、「華族の女性の看護を担当」という事実だけは実際に存在します。

今週の予習レビュー欄では、りんちゃんの実在モデルが看護を担当した華族の女性・三宮八重野とその夫・三宮義胤についてまとめてみます。

三宮八重野

三宮八重野(さんのみややえの)は、明治時代の日本で活躍した華族夫人であり、英国生まれの女性でした。

彼女の本名はアレシーア・レイノア(Alethea Raynor, 1846–1919)で、イギリスのキングストン・アポン・ハルで生まれました。

父は生地商ウィリアム・レイノアでしたが、外交官アーネスト・サトウは彼女を「下宿屋の娘」と記しています。

彼女の人生が日本と結びつくきっかけとなったのは、三宮義胤との結婚でした。

三宮義胤は1870年(明治3年)、東伏見宮嘉彰親王とともに英国へ渡り、ユニバーシティ・カレッジで学びました。

その後、英国滞在中にアレシーアと出会い、1874年(明治7年)にロンドンのハムステッドの教会で結婚。

結婚式には蜂須賀茂韶や岩倉具経が立会人として出席しました。

1880年(明治13年)、八重野は夫に伴って日本へ渡ります。

英国出身の彼女は、日本社会の中で独自の役割を果たしました。

皇族の妃や華族の女性たちに、西洋の服装や社交の作法を助言するなど、西洋文化を伝える存在として活動したのです。

こうした働きは、近代国家として歩み始めた日本のイメージ向上にもつながったといわれています。

また、八重野は社会活動にも関わりました。

『ベルギー公使夫人の明治日記』には、彼女が赤十字の役員を務めたり、孤児院を設立したりしたことが記されています。

華族社会の中にありながら、慈善活動にも力を注いだ人物でした。

英国に生まれ、日本の華族夫人として生きた三宮八重野。

西洋と日本という二つの文化の間に立ち、社交や慈善活動を通して新しい時代の日本社会を支えた女性でした。

三宮八重野の夫、三宮義胤

三宮義胤(さんのみやよしたね、1844-1905)は、幕末の尊王攘夷運動に身を投じ、のちに明治政府で活躍した外務・宮内官僚です。

華族制度のもとで男爵に列した人物でもあります。幕末には「三上兵部」と名乗って活動しました。

義胤は近江国志賀郡真野浜村(現在の滋賀県大津市)に生まれました。

父は真宗正源寺の住職である三上円海で、義胤はその長男でした。

若くして幕末の動乱期に身を投じ、尊王攘夷派の志士として国事に奔走します。

岩倉具視らと交流を持ち、王政復古運動にも参加しました。

1867年(慶応3年)には高野山で挙兵し、戊辰戦争では各地を転戦して功績を挙げます。

新政府成立後の1869年(明治2年)には、その功績によって賞典禄50石が与えられました。

その後は政府の官僚として歩みを進めます。兵部省に勤めたのち、1870年(明治3年)には東伏見宮彰仁親王(後の小松宮)の英国留学に随行しました。

さらに1877年(明治10年)には外務省に移り、駐ドイツ日本公使館に勤務。

1880年(明治13年)に帰国するまで、海外での外交活動に携わりました。

1883年(明治16年)には宮内省へ転じ、宮廷の要職を歴任します。

1884年(明治17年)には小松宮彰仁親王の渡欧に随行した際、後に妻となる女性と出会い結婚しました。

宮廷儀礼を司る式部寮の長官である式部長にも昇進し、宮廷の中心的な役割を担うようになります。

さらに日清戦争では大本営附として勤務した功績が認められ、1896年(明治29年)6月、男爵の爵位を授けられました。

1905年(明治38年)8月14日、61歳で亡くなります。

墓所は東京・文京区の護国寺と、故郷の正源寺墓地にあります。

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