風、薫る 第13週「」予習レビューとあらすじ
NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『風、薫る』
2023年6月22日 〜 6月26日放送
養成所の卒業後
梅岡女学校附属看護婦養成所を卒業したりんと直美、多江とトメは、卒業後に帝都医大病院に勤務することが決定。
しのぶは、結婚して家族や近所の人々に看護の知識を生かす道を選択。喜代は伝道者となり、伝道活動の中で看護の知識を生かす道を選択しました。
看護婦としての初日
1889年(明治22年)1月。
りんと直美、多江とトメは、帝都医大病院で看護婦としての初日を迎えました。
(第13週で判明しているのは以上です)
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今週の展開
56: 6/22(月)
57: 6/23(火)
58: 6/24(水)
59: 6/25(木)
60: 6/26(金)
予習レビューと史実のリアルエピソード
養成所を卒業したりんちゃんや直美ちゃん、そして同期の多江ちゃんとトメちゃんは正式に看護婦として働き始めます。
そこで今週の予習レビューは、りんちゃんと直美ちゃんの実在モデル以外で、看護婦の道を歩んだ女性についてまとめました。
玉田多江の実在モデル(?):桜川里以
桜川里以(さくらがわ りい)は、日本の近代看護教育が始まった黎明期に活躍した看護婦です。
桜井女学校附属看護婦養成所の第1回生の卒業生で、鈴木まさや大関和とともに、日本の看護の草創期を支えた人物として知られています。
里以は、水戸藩の儒者である水野豊九郎(のちに桜川小晦と改姓)の娘として生まれました。
明治時代、西洋式看護教育が日本に導入される中で、アメリカの宣教師たちの指導のもと看護教育を受け、献身的に患者の看護にあたりました。
また慈恵病院(現在の東京慈恵会医科大学附属病院)でも看護の技術と精神を学び、その初期の活動を支えました。
卒業後、里以は帝国大学病院(現在の東京大学医学部附属病院)の婦長に任命されます。
東大病院からはそのまま勤務を続けるよう期待されていましたが、彼女は約2年ほどで病院を去りました。
理由は、病院で求められる仕事が診断の介助や外来患者の応援など、医師に従属する業務が中心だったためと考えられています。
それは、桜井女学校附属看護婦養成所で学んだナイチンゲール流の看護とは大きく異なるものでした。
看護を専門的な職業として実践しようとした里以にとって、その違いは大きかったのでしょう。
桜川里以の歩みは、日本の看護がどのような理想を掲げて出発したのかを物語っています。
近代看護の草分けとして、静かながらも重要な役割を果たした人物なのです。
広瀬梅
広瀬梅(ひろせ うめ)は、岡山県出身のトレインドナースです。
明治という激動の時代、傷病人の世話は「金銭目的の賤業」と見なされる風潮がありました。
そんな中で彼女は、看護師という職業の礎を築いた一人です。
桜井女学校附属の看護学校で大関和らと学び、専門的な知識と技術を身につけたトレインドナースとなりました。
1896年(明治29年)6月15日、日本史上最悪の津波災害といわれる明治三陸地震津波が発生。
約2万2千人もの死者・行方不明者を出しました。
その壊滅的な状況の中、広瀬梅は避難所で一人取り残された赤ん坊を見つけました。
彼女はその命を見捨てることができず、自ら育てることを決意。
瓦礫の中をほとんど徒歩で赤ん坊を連れて帰郷したという行動は、まさに想像を絶するものでした。
結婚後は佐野梅と名を改め渡米。
看護師・助産師として日本人移民を支え、日本人学校の経営にも携わりました。
偏見や因習と闘いながら時代を生き抜いた姿は、日本のナイチンゲールと呼ぶにふさわしいものです。
この広瀬梅をヒロインとしたミュージカル『拝啓ナイチンゲール様』が、2025年(令和7年)8月30日・31日に岡山芸術創造劇場ハレノワ小劇場でプレ公演されます。
広瀬梅役は川上遥菜さんが演じます。彼女の人生は、今も多くの人の心を揺さぶり続けています。
池田子尾と小池民
池田子尾(いけだねお)と小池民(こいけたみ)は、大正時代から昭和初期にかけて活動した日本の看護婦です。
ただし、生没年や詳しい経歴は明らかになっておらず、断片的な史料の中でその名前が伝えられています。
東京慈恵会医科大学の史料によると、池田子尾と小池民は慈恵病院(現在の東京慈恵会医科大学附属病院)の派出看護婦として記録されています。
当時の慈恵病院では、看護婦たちが患者の看護だけでなく診療の補助にも携わり、医療の現場を支えていました。
池田子尾もその一員として、看護婦の養成や日々の看護業務に従事していたと考えられています。
とくに婦人や子どもの世話を得意とする看護婦たちが協力しながら、男性への指示を含めた看護活動を行っていた様子が記録に残っています。
また、東京慈恵会医科大学の学術リポジトリに掲載された「慈恵病院派出看護婦」の集合写真には、後列向かって左から1番目に「池田子尾」、前列向かって左から1番目に「小池民」の名前が記されています。
この写真は1888年(明治21年)11月26日に撮影されたもので、明治から大正にかけての看護婦の歴史を伝える貴重な資料の一つです。
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