NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『ブギウギ』
2024年1月4日 〜 1月5日放送
あらすじ
戦争が終わろうとするころ
昭和20年(1945年)日本の戦況が悪化していたころ。同じく戦況が悪化する上海で、羽鳥は軍の支援を受けた音楽会を、軍の意向を無視して開催し成功させていました。
同じころ、りつ子は九州の海軍基地に慰問のために訪問。軍歌を歌うことを拒否したりつ子は、特攻隊員たちの求めに応じて『別れのブルース』を歌いました。
スズ子は富山県高岡市に慰問で来ていました。そして夫を戦争で亡くし失意の中にいる静枝のために「大空の弟」を、六郎を思いながら熱唱しました。
そんな中、8月15日を迎えようとしていました。
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今週の展開
65: 1/4(木) 上海の音楽会/慰問活動
66: 1/5(金) スズ子『大空の弟』歌う
予習レビューと史実のリアルエピソード
服部良一と笠置シヅ子の終戦
実在人物・企業名 | 劇中人物・企業名 |
服部良一 | 羽鳥善一 |
笠置シヅ子 | スズ子 |
上海での服部良一さん
服部良一さんは陸軍報道班員として上海陸軍報道部に配属。
音楽による文化工作が服部良一さんに与えられた任務でした。
上海での服部良一さんの上司にあたる将校はヨーロッパに音楽留学した経験を持つ、元テノール歌手でした。
音楽への愛情を理解するその将校は、軍人としてではなく音楽家として自由に外国人と交流することを服部良一さんに認めていました。
そんな中で満映のスター女優・李香蘭と上海交響楽団の共演による音楽会の開催が決定。
服部良一さんは、当時の上海で流行していた『夜来香』にブリのリズムを取り入れて編曲した『夜来香幻想曲』を完成させました。
その歌のレッスンの際、李香蘭が服部良一さんに訴えました。
この曲は立ったままでは歌いにくいと。
李香蘭の訴えは服部良一さんの狙いどおりのものでした。
服部良一さんは激しく踊るための楽曲を作曲したのです。
この『夜来香幻想曲』がその後の『東京ブギウギ』を始めとしたブギのリズムの始まりと言われています。
服部良一さんの終戦
そんな中、服部良一さんは上海で終戦を迎えました。
終戦を知った服部良一さんは、自室に新聞記者たちを集めると隠しておいたジョニーウォーカーのボトルを開け、皆で押し黙って飲んだのだそうです。
その後、服部良一さんは収容所に抑留され、軍人たちが戦犯容疑で連行される中で死を覚悟。
しかし昭和20年(1945年)12月、上海からの最初の引き揚げ船で無事に帰国しました。
吉祥寺の自宅に戻り家族の無事を確かめた翌日、服部良一さんは日劇を訪問して笠置シヅ子さんたちと再会。
年明けに笠置シヅ子さんを吉祥寺の自宅に住まわせました。
笠置シヅ子さんの終戦
笠置シヅ子さんが終戦を迎えたのは、慰問で訪れた富山県高岡市でのことでした。
昭和20年(1945年)8月15日。
笠置シヅ子さんは高岡市の東宝劇場で長谷川一夫一座と共演していました。
終戦を知った瞬間の笠置シヅ子さんは「今、誰かがジャズを歌えと言ったら私は死にます」と意味不明の言葉を叫んで周囲の人々に笑われたと記録に残されています。
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